中村たかえさんを応援している理由②覚悟と気概


岩場さんのばにゃー。
ロックでカッコいいラベンダーカラーに、ミモザの黄色が「初めからそうあるべくして」あった
ように映える。
こんなにミモザが似合う議員は、そうそういない。


JCPサポーターおおいたさんのテンプレートを使わせていただいたバナー。
この社会の縮図のひとつである日本共産党だって、ジェンダーの呪いから自由ではないからこそ。
彼女のようなひとに議会へ行ってほしい。

② 全身で発するメッセージ。

「中村たかえさんって、どんなひと?」と訊いて回ったら、100人のうちたぶん99人くらいは彼女の「おしゃれ」に言及する気がする。
服の着こなしも、アクセサリーのチョイスも、華やかな色に染めた髪も。
選挙に欠かせない手袋や感染対策のマスクまでファッションの一部として、好きな色を楽しんでいる姿も。
シンプルに「素敵」「似合ってる」「きらきらしてる」。
わたしも、最初は、ただただそんなふうに受けとめていたのだけど。

あるとき、急に心配になった。
「日本共産党らしくない」とか。
「議員らしくない」とか。

そういうこと、言われちゃったりするんじゃないだろうか、このハイレベルなお洒落さは、って。

そんな心配自体がまずよけいなお世話の極致であり、私自身の中に古臭い価値観がとけこんで一体化しちゃってるいい証拠なのだけど。
たかえさんがそんな頓珍漢な非難に遭遇したことが一度もないだろう、と思えるほど、私はこの国にも、その縮図のひとつである日本共産党にも、楽観的にはなれない。
(古い部分を自ら変えていこうとする粘り強くて地道な努力を、日本共産党がしていることは知っています。実際、そんな議員さんや党員さんに、ネットでもリアルでも大勢お目にかかりましたし。でも、応援しているからこそ耐えがたく感じてしまうジェンダーギャップや家父長制のなごりもやっぱり党の中には厳然として存在し、党の周りをうろつくうちに、いやでもそれは目についてしまうのでした…)

彼女がこのファッションを貫いていることは、「ただ好きな格好を楽しんでいるだけ」であるのと、きっと同時に。

「好きなものを身に着けて、やりたいことをする。生きたいように生きる。それは私の尊厳だ。私はそんな尊厳が侵されない社会をつくるために立ち上がり、いまここに立っている。自分のため、そして、誰ものために」

そんな尊厳を外からも中からも侵してこようとするこの社会への「宣戦布告」(戦争にまつわる言葉を比喩として使うのは嫌いだけれど、世の中には”対決すること””闘うこと”でしかなくせない悪がいくつもある。だから、あえてこう言います)でもあるんじゃないだろうか。

貫きとおすのは、きっと楽なことじゃない。
でも貫いてみせようじゃないか、というたかえさんの闘志の、なんとまぶしいことだろう。
「おしゃれ」と同じくらいよく目にする「カッコイイ」という評は、まさにその覚悟と気概への賛辞なのだと思うのだ。