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ペットロスと私③完結篇

~前回②の続きです~

ペットを失くすということ。

それはこんなにも深く悲しく無情なものだという現実を目の当たりにした。
私は愛しい亡骸を目の前に完全に思考回路が停止してしまったらしい。
妻と子供たちの私に掛ける少なめな言葉に気付いたのはそれからしばらく経ってからだった。

「確かペットの葬儀してくれるってとこ近くになかったっけ?」

あとから聞いたが私に一番なついてたインコの死にひどく落ち込み責任を感じ沈みきってきたのを見かねて妻が色々考えてくれたらしい。
私も何となく噂には聞いていたがこれほどの出来事が今までなかったので、きちんと調べた事はなかった。
妻と二人で調べ始めたら家から割りと近い所にペットセレモニー○○(他社様なので名前は伏せておきます)という会社があった。
すぐ連絡をしたら本日火葬をしてくれるというので身支度をし家族全員で先方へ向かった。

そこは小さい空間でしたが人間と同じように祭壇があり焼香もでき、火葬炉も設置してあるいわば葬儀場兼火葬場だった。
その祭壇に我が子を安置し思うままに焼香をし、思い出を語らいあった。
そして火葬炉に入れ最後のお別れ。

「ありがとうね、また会おうね」

また心の底から涙が溢れ、視界がぼやけてきた。
姿が見えなくなるまで視線をそらすことなくただ我が子を見つめていた。
そして「ありがとう。」を私たちに伝えたのか、静かに旅立っていった。

担当者の穏やかな語り口と優しい表情や応対に私たちは少しだけ気持ちが落ち着き、収骨までの間は家族でインコの思い出を語り合った。

ペットというのは我が子と同様の愛しさがあるが人間のように言葉ではその気持ちを私たちに伝えることができない。
その代わり仕草やまなざし、動作、鳴き声で私たちに感情、思いを伝えてくる生き物だと思う。
だからこそ唯一無二の愛らしさ、癒しを日々教えてくれるのだ。
私はペットを失くし、ペットロスを体験することでよりペットに対してのかけがえない命の大切さを知りました。
自分達の手で収骨をすることで後悔の念も大分消えました。それでもしばらくは現実に居ない虚しさや悲しみの波が幾度も襲ってきました。時が経ち今では心置きなく見送ってあげれたかなと思います。

今は2羽のインコに癒される日々を過ごしていますがいつか旅立つ日はやってきます。
それでもお互い、大事なかけがえない楽しい時間をペットに、人間に捧げています。
ペットロスは誰でも平等に起こりますし、正常な反応です。
私は自らのペットロスの体験により、この仕事を選び、同じようにペットを見送りたい方の為に誠心誠意寄り添ってきました。
今回ペットロスカウンセラーの資格を得た事で更に自分の体験を生かしペットロスで苦しむ方の心に深く深く寄っていきたいと思っております。

長くなってしまい申し訳ございません。お付き合い頂き誠にありがとうございます。
ペットロスのお話はひとまず今回で完結です。次回は絶賛考案中ですのでまたお会いしましょう!


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