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人生は飽きることとの闘い

皆さん、こんにちはミーケです。
今回なんですけど、最近楽しくないな。
仕事も学校も、動画も映画も趣味も、つまらないな。
子供の頃は楽しかった、楽しめたのに。
何をやっても活気が出ない。
年齢なのかな?体を動かしてないからかな?
「何かつまらないなぁー、人生」って思ってる方いませんか?

それは色んな事に"飽きてる"かもしれませんよ。

好きな食べ物を毎日食べろと言われたら・・・

衣食住の食・食べ物を例に話を進めていきますが、

例えば「好きな食べ物は?」と言われたら、皆さんは何でしょう?

私はハンバーガーですが。
好きなチェーン、バーガーキングやウェンディーズに行って、
それを毎日食べに行くなら、4日ぐらいは余裕な気がしますが、
さすがの私でも1週間とか10日も行ったら飽きると思います。
美味しいものでも直に飽きが来ます。
どんな美味しい高級料理でも必ず飽きが来ます。
人によってはうんざりしてくるかもしれません。
ただ、中には365日カップラーメン食べても平気って人もいるので
一概には言えませんが、そんな人ごく稀ですよね。
それにラーメンやハンバーガーばかり食べる訳にいかない。
栄養が偏るし、高カロリーだし、
世の中に他の食べ物はいくらでもあるのに、
別にわざわざそれを食べ続ける必要はない訳で、
だんだん違うものが食べたくなります。
この食欲の、特に味覚という感覚が人は発達しすぎて、
ほんと人間は罪深くて、キリがない訳です。

犬の場合、味覚はほとんど感じないそうで、
代わりに優れた嗅覚で補ってるので、
だから同じ配合飼料(パッサパサのヤツ)を毎日食べても平気なわけです。

なぜ飽きが来るのか

で、この問いですが、
同じ刺激が続くと、ドーパミンが出にくくなるからだと言われています。
このドーパミンが出ると快感や幸福感を得られるそうです。
つまりどんな美味しい食べ物でも、同じものばかり食べてると、
ドーパミンが出にくくなる。

例えば遠足で食べた弁当や、縁日の屋台で食べた焼きそばとか海の家のカレーとかって美味しかったりしませんか?
同じものを家で食べると、なぜか大して美味しくなかったりします。
一人より複数人、家とは違う場所、殺風景な店よりいい雰囲気の店とかで食べた方が、美味しく感じたりします。
私は個人的に「駅弁って酸っぱくてまずい」と思ってるのですが、
想い出補正の類ではないかとwww
ちなみに食後のデザートが満腹でも美味しいのは、ドーパミンが出る為だと言われてます。
喫茶店とかもいい例で、コーヒーは別にしても、
軽食の類はたいていは家でも再現して食べれる味です。
はっきり言ってお金の無駄です。割高です。
家で集まって食べる方が遥かに安上がりだ。
でもなぜわざわざお金を払ってまで、
無駄と分かった上で店に行くのかって考えたら、
喫茶店という環境の中で食べることに意味があって美味しく感じる。
雰囲気にお金を払っているようなもんだ。
ドーパミンが出やすいからである。
映画館とかもそうですよね。
劇場で観るのと、ディスク、金ローは全く別物である。

仕事も飽きる

つまり色んな事でこの話が繋がっていると思っていて、
仕事にしたって、同じことを繰り返しているから飽きが来ているわけである。
何らかの理由で、その人は同じ仕事しか与えられていない。
だから「この仕事つまんないな」「やめたいな」の一因になっていると思う。
仕事を変える、転職活動をするのも手である。
ただ、ラインの仕事が自分に向いてるとかそういう人もいるので、
一概には言えないが。

趣味も飽きる

動画にしたって、同じドラマや映画、アニメを何十回も観てたら飽きると思います。
展開を知っているからである。
普通は…の話なので、劇場視聴20回目とか飽きない人もいるにはいるが。
絵や物語を描く作家にしても、キャラと舞台を変えただけで、
似たり寄ったりの作品作りにうんざりして、
スランプに陥って筆を折る作家はごまんといる。
売れるために食べるためにやってきた事が
飽きが来たことで、ふとやる気が途切れ、
"燃え尽き症候群"のように廃人になってしまう人もいるようだ。

あえてペットを飼う理由

昔、aiboって犬のペットロボットありましたよね。
今もどんどん進化しています。
吠えない、噛まない、食費かからない、糞尿しない、初期費用は高額でも、ペットと比べても維持費は安く、メリットが多いのに
それなのに、なぜ手間のかかる生身のペットを飼うのか?
必ず老後の面倒を見ないといけない、死が訪れるペットを飼うのか?
ペットロボットで満足しないのか?って
ロボットはプログラミングされた行動パターンしかなく、
予測できるからである。

結局、飽きるからである。
子供がおもちゃに飽きるのと同じである。
生身のペットは行動が予測できないし、色んな性格の子がいて面白いからである。
それすらも今日のAIの進歩で克服できそうな勢いではあるが・・・。

人生は飽きることとの闘い

飽きないって人は極めて少なくて、
「最近●●●が飽きてきたなぁ」って感じる人は多いと思う。
確かに年齢とともにドーパミンは出にくくなるらしい。
あとは、筋力の低下などで外出が少なくなり、
若い時ほど色々な環境に身を置けないこともあるだろう。

肝心の『飽きないようにするにはどうすればいいか?』だが、
できるだけ違うことをする
昨日と違うものを食べるとか
環境を変える、
会う人を変えるなどするしかないと思っている。

会社と家の往復だけだと偏ってくる、なんか人として。
こいつの引き出しに会社の話しかないのかな?って
相手からも「何かつまんない人だなー」って、
結局周りにも避けられる。
周りから飽きられてるという事です。
気付いたら誰からも誘われないし、孤立してるかもしれない。
人生に飽きていない、ドーパミンが出続けてる人っていうのは、
目が光って輝いている。
言葉もハキハキして表情や姿勢に自信が満ち溢れている。

そういうオーラが出ている。
反対に飽きを受け入れたり、開き直って諦めてる人って
もう目が死んでるし、なんかもう闇の負のオーラが漂ってる。
「そんなことやって何になるの?」と他人にケチをつけてきたら、もう末期ガンである。

そうはなりたくないものですね。
そう思いません??

人生という無駄をいかに楽しむか

最初に喫茶店の話をしたが、
別に毎日行ってるような人は、誰に何と言われようと行くだろう。
本人も無駄と分かった上で、無駄使いを楽しんでるからである。
無駄をいかに楽しむかが人生だからである。
"旅行"にしてもただの個人の自己満足である。
お金を無駄使いする行為が旅行である。
行ってるから偉い訳でもないし、多くの場所に行くから、海外に行くから、凄い訳でもない。
何か精神的に成長する訳でもない。
行く人だけが承認欲求を満たすためだけの行為でしかない。
当人達だけが勝手に感動してるだけである。

全部無駄である。
旅行は好きじゃないし、倹約したいって人も別に間違いではないのだ。
これは私の持論ではあるが、
仕事も、会社も、学校も、人間関係も、芸術も、趣味も、宗教も、国も、生き物も、地球も、
そもそも人が生きてる事そのものが無駄であると思ってる。
ただ、あまりにもそういう風に考えたら人生がつまらない、虚しくなるし、
病気になって精神的に病んでくるかもしれないのでほどほどにね。
結局、その無駄を楽しむのが人生で、無駄を楽しめた人が幸福感を感じられるのだ。
喫茶店にしても、旅行にしても、どんな形でも楽しめた人が勝ちなのである。
お金をかけるから、量や質を追求するからといって
必ずしもその人の幸福感に繋がるとは限らない。

これは何を持って、その人の幸福感に繋がるのか?
人によって違うとしか言えないとは思いますが。
マウントを取って幸せならそれはそれでいいのである、本人はね。
ただ、その時に邪魔をするのが『飽きる』という心なのだ。

『飽きる』

それでも同じ喫茶店に行き続けていると飽きてくる。
その時は隣の町の違う店に行くなど変えてみるのが良いだろう。
マンネリに陥ってる事が非常に多い。
同じ観光地にばかり行くから飽きるのだ。
たまには違う場所に行けと。
たまには違うハンバーガー食えと。
でも、高いバーガーに手を出せないんだよなぁ~w
ほんと飽きることってバカにはできな人生を左右する大きな要素である。


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