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toramoの植林地

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ゆっくりとしたtoramoの読書記録。場所は山間の明るい斜面です。あっちに植えたりこっちに植えたり、あれを植えたり、これを植えたり。植えた本は、手塩にかけて育てるも良し。ほっとい… もっと読む
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記事一覧

日記:むしろ相違を原動力として:「生きるための論語」安冨歩

久しぶりの友人に会おうとしたら 久しぶりの友人に会う前に読んだ言葉。 安冨歩さん「生きるた…

日記:それでも出会えなかったことについて:読書中「マイケル・ジャクソンの思想 子…

「マイケルジャクソンの思想」、ほぼ読み終わりました。 最後の8章、映画「ゴースト」の解説は…

日記:続、メッセージの隠蔽と「伝えること」について:読書中「マイケル・ジャクソン…

前noteの続きとなりました。 東京大学教授安冨歩さんの「メッセージは隠蔽されなくてはならな…

日記:言葉はまち針みたいなものと思い「使わせていただく」:あと最近少しずつ安冨歩…

ステルス「国」ではなく人を守る、という言葉に共感し、その構えが大事だろうと考える人間です…

日記:分かった!…だけでは「終われない」何か:キリスト教が大まかに把握できた気が…

結論から言うと、とても良かった。特に1〜3章は、まさに知りたいことが知れました。ところが4…

日記:田川さんの「怒り」が書かせている章に思える:「キリスト教思想への招待」(田…

忘年会の日ですが私は欠席なので早く帰ることができ、本も30分読めました、うれしい。こう言う…

日記:パウロと親鸞と社会への批判姿勢:キリスト教思想への招待(田川健三)第三章

親鸞とパウロの比較が面白い 第三章「彼らは何から救われたのか」の終盤はパウロと親鸞の比較です。文量は少なく簡単な比較ですが、とてもおもしろい。比較は大きく2つ。そのうち1つは、先日のnoteで記しました。 続いてもう1つ、おもしろい!と思ったのが、以下の記述です。 意外にも世俗的な親鸞、なのか、、、? この記述の前段として、彼岸的救済信仰として、思想上はパウロより徹底している親鸞だが、実践的には両者の関係は逆である、と田川さんは述べています。 (もちろん田川さんは、親

日記:せめての抜き書き。あと「イブ」の感覚についてもちょっと:「キリスト教思想へ…

「even」+「ing」今日公開の「マル激」の宮台真司先生の言葉で知ったのですけれど、クリスマス…

日記:パウロのお話を聞いていたら親鸞が現れた:「キリスト教思想への招待」第三章彼…

第三章、彼らは何から救われたのか、で親鸞への記述が出てきました。 親鸞が登場したのは、キ…

日記:読者を熱狂に引き込まないのに読んでしまう:彼女のことが好きになったかもしれ…

読了しました。 読んで良かったです。 小説を読む意味を、久しぶりに噛み締めました。 積極…

一粒日記:「キリスト教思想への招待」(田川健三)、第二章を読書中、というか通過中。読書は結構な割合で旅行している気分になり、それが楽しい。というかだんだんヨーロッパのファンになってしまいそうだ…やっぱり公共の意識があるって羨ましいなあ、もちろん何事も手放しでは語れないけれども

日記:ボヴァリー夫人(読書中):何で今さら彼女の話を読まなきゃいけないのか?

ワールドカップが楽しいらしく息子が踊っています。私は全く興味がありません。さて。 フロー…

日記:乱読期。つまみ食い読書の自覚についての覚え書き

「キリスト教思想への招待」読書を再開しています。 相変わらず目から鱗の内容です。 著者田川…

日記:アイヌ神謡集は外国語文学か。そしてこの「列島」ってもっと格好よいのでは?というお話:100分de名著「アイヌ神謡集」第4回を視聴して

第4回をみました。 なお第3回までの感想はこちらにnoteしています。 和人の行ったアイヌへの行いには胸が酷く潰れます。知っているつもりでしたが、改めてその破壊性に慄然とする。そして実際に同じことが、もし自分の身に降りかかったら、言葉はしばらく役に立たないものになると思います。 子どもの頃、母親に連れられていった北海道で、のちにアイヌ初の国会議員になった萱野茂さんに観光客として会ったことがあります。萱野さんの目には、私はどう映っていたんだろう。 おもしろかったのが、明