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日記:ラーレとトルコ軍楽

仕事で0 時を回る日が続く今週であり、今日もつぶやきだけと思っていましたが、140字に収めるよりは書き散らした方が早い。。

丑三つ大学「音楽は非暴力か」を家事などしながら何度もリピしていると、そばでゲームをしていた息子が、動画で流れたトルコ軍楽を聞いてそれがトルコのものだと分かり、自分でなぜだろうと驚いていました。うーん確かに。みんながなぜかトルコの音楽だと分かる。本当にすごい音です。少なくとも戦いの場においては、これに勝てる音楽を今のところ思いつきません。(もっともその前にそこまで音楽を知りませんが)。それこそ戦いのコンテキストを変えるべきかもしれない。

ところで会社への道すがらにチューリップが植わっていて毎日しみじみ見るのですが、改めて本当に信じられないほどうつくしいです。このうつくしさは何だろう何だろうとしばらく考え、あ、「ラーレ」だと思い当たりました。まさにラーレという響きにふさわしいうつくしさだと思い当たったわけです。チューリップは中近東原産のお花で、向こうでは「ラーレ」というのだと、昔読んだことがあったのです。

こんなにふさわしい名前があるのに、なんでチューリップとなったのか?ウェブでちょこっと調べたら、異国のモノの名前が伝わるときにありがちな「勘違い説」が出てきました。ターバンを意味する「チューリパ」がラーレの名前として誤ってヨーロッパに伝わったとのことです。それが本当なのかはさておき、あの花はやっぱりラーレなんだと腑に落ちる思いでした。

音の響きから受ける印象は文化圏によって異なるのではと思うのですが、「ラーレ」という音を「きれいね」と感じる私の感性は近代〜現代日本だからなのでしょうか、江戸時代の人はどういうふうに感じるのかなあ。一方でトルコ軍楽は普遍的に怖い気がします。少なくともトルコ軍楽はラーレに宿る詩情をバリアのように跳ね返し、ラーレのうつくしさ(記号的なうつくしさではなく、1人ひとりが自分の感性で受け取るうつくしさ)が軍楽の渦中にいる人に届くことはなさそうです。

さてさてトルコ軍楽のコンテキストを変える方法はないものか…うっかり考えだしてしまいそうなので、ここでやめます、眠らなくては。。

今週の難仕事はまだまだ予断を許さない緊張状況ですがトルコ軍楽を聞くとバーサーカーになれそうだ。眠らなくては。。

備忘録:田川健三著「キリスト教思想への招待」着。

(日記:2022年4月6日)


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