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日記:音楽は外の音を「聞くもの」ではなく、自分のなかで「鳴るもの」

最近嬉しかったことのひとつが、このタイトルの言葉を見つけられたことです。あ、そう、それだ!とスッキリしました。


片岡祐介さんという音楽家さんの音楽を知ってから、「音楽」とは学校で習った音楽や好きなアーティストの曲を聞いたりするのとは違う、もっと根源的な何かなのではないか、とか、アートとか芸術の前にもっと「生命」に近い何かなんじゃないかというような気がしてました。

何だろう、あれ、あれなんだけどなあ、もうすぐそこまで出かかっているのにだけどなあ、えっと、あれだよ…という感じ。

具体的にいうと、特に意識し出したのは東京大学教授安冨歩さんのYouTubeチャンネルで配信中の「やすおか命の牧場」シリーズに片岡さんが音をつけた「陽だまりと氷の日 2022年1月その2」を視聴してからです。ごきげんな時に知らずハナウタをうたってしまう時のように、「音をつけている」のではなく、いのちは音楽そのもので、それが知らないうちに溢れてしまったように聞こえました。

その「あれ」が、先週片岡さんのYouTubeチャンネルで行われたオンライン呑み会に初参加した際、空気も読まずに楽しくチャットを書き込んでいた際、いつの間にか言葉になっていたわけです。すごく嬉しかったです。片岡さんが、共感するようなことを言ってくれたので、やっぱそうだったんや!とさらに嬉しかったです。


もっとも、いつも、本当のことやこういう日記は、書いたそばから何だかイケすかない「…ぽく装ったもの」になってしまいます…残念ですが。。そういったものなので、タイトルの言葉も訳知り顔をする前に手放して、自由に飛びまわってもらおうと思っています。

これは最近ずっとわたしが考えていることの一つで、周辺には安冨さんが語る「非暴力不服従」の考えが座っていたりします。音楽つながりでいうとソウルフラワーユニオンの「満月の夕」も、色んな人に歌われ続けているその有り様が、やはり一つの命のようで、これって何なんだろうと考えています。


ところでやはり、これだけのことでも書くのに時間かかりますね。あと後ろをうろうろする家族がちょっと邪魔。ほんとは毎日ではなく数日おきに投稿したいのですが、それだと生活のリズムが作りづらいような。。いや、できるかも。。

※片岡さんのオンライン呑み会は、片岡さんYouTubeで不定期開催の「丑三ツ大学」の講義「音楽は非暴力か?」開催を受けての打ち上げ的な会です。「音楽は非暴力か?」は、ウクライナ情勢に絡めつつ、歴史上幾度も力を発揮しながらしっかり認識されていなかったように思える「非暴力不服従」についてと、さらにはそこに音楽を絡めて語ってくれています。良いです。無料でも見られますが、できれば受講チケットを購入してぜひ。

https://youtube.com/watch?v=4pmOJGv7E2c&feature=share

(日記:2022年3月28日)

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