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実は近くに

数か月後に引っ越しを控えている私は、最近思い出の品を整理している。
そのとき、小学校のときの友人からの手紙を見つけ、考えさせられたことがある。

小学生のとき、仲の良かった友達として名前はあがるけれど、「親友」と思ってはいなかったくらいの友人がいる。(失礼だけれど、今の思いを正直に書きたい。)

彼女は小学校の途中で遠くに引っ越してしまったので、私達は手紙のやりとりをしていたようだ。
その手紙を読むと、わたしをすごく大事に思ってくれていたことがわかった。彼女はわたしからの手紙を心待ちにしてくれていたようで、引っ越し後のさびしい気持ちと、わたしと手紙を通じて会話をすることの喜びを素直に表現してくれていた。
正直に言うと、そこまで想ってくれていたのかと驚いた。

そんな彼女に対して、わたしはどうだったのだろう。
友達が引っ越すのはもちろん寂しいし、引っ越し後にもつながりを持てたのは嬉しいことだ。
その気持ちは友達にも伝えていたと思うけれど、彼女の想いをきちんと受け止めていたのだろうか。
小学生で、あまり深く考えずにやりとりしていたのは仕方がないことなのかもしれない。
でも、もっとしっかり彼女と向き合えばよかった。

小学生のときの気持ちは思い出せないから、実は同じ気持ちを返せていたのか、やっぱりきちんと想いを受け止めなかった残酷な私だったのかはわからない。

でもこの出来事は、現在の人との関わりもきちんと振り返ろうという気持ちにさせてくれた。
わたしのことを大切に思ってくれている人がいるのに、彼らの粗探しをしてはいないだろうか。わたしは物事のマイナスな面を見てしまいがちだけど、もっと身の回りの素敵なことに目を向けたいとも思わせてくれた。

また、彼女の手紙はほんわかとあたたかく、わたしを幸せな気持ちにしてくれた。
手書きの文字だからこそ伝わってくる彼女の愛と優しさ。
それをわたしに向けてくれたこと、ほんとうにうれしい。ありがとう。
遅くなったけれど、彼女の想いをやっと感じることができた。

小学生のときに愛を返せなかった後悔と、身の回りの愛に気づくきっかけをくれたことに対する感謝。
葛藤はあるけれど、葛藤があるからこそ、彼女の手紙はわたしを大きくしてくれた。
まわりの人の想いを素直に受け取り、わたしも素直に表現する。
そんな気持ちのやり取りをしていきたいと思った。

気づいていないだけで、実は身のまわりに、たくさん愛がある、かもしれない。


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