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善光寺縁起

📜『善光寺縁起』

善光寺御本尊の故事来歴をつづった霊験譚。平安時代末期には全国的に広まっていたといわれています。


お釈迦様が印度・毘舎離国の大林精舎におられる頃、この国の長者に月蓋という人がありました。如是という名の一人の姫君があり、両親の寵愛は限りなく、掌中の玉と愛育されておりました。ところがある年、国中に悪疫が流行し、月蓋の心配もむなしく如是姫はこの恐ろしい病魔にとりつかれてしまいました。月蓋はお釈迦様の御前に進みます。どうか如是姫の命をお救いくださるよう・・・。
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善光寺の御本尊「一光三尊阿弥陀如来」は、印度から朝鮮半島へと渡り、大和朝廷「欽明天皇」の時代(552年、但し諸説あり)仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれています。欽明天皇は仏教を受容するかどうかを豪族に意見を求めますが、これを元に崇仏・廃仏論争が起こります。(仏教の問題というよりは、次期大王の人選も絡んだ蘇我氏(崇仏派)・物部氏(廃仏派)の対立が根底にあったと考察できる) 「善光寺縁起」によると、この仏像は、その最中に廃仏派によって難波の堀江へと打ち捨てられた、とあります。


信濃の国に本田善光という人がありました。ある時、国司に伴って都に参った折、たまたまこの難波の堀江にさしかかりました。すると、「善光、善光」と、いとも妙なる御声がどこからともなく聞こえました。そして、驚きおののく善光の目の前に、水中より燦然と輝く尊像が出現しました。
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信州善光寺は「一光三尊阿弥陀如来」(善光寺如来)を御本尊としています。創建以来約千四百年の長きにわたり、無宗派の寺で全ての人々を受け入れる寺として信仰を得ています。護寺運営は大勧進を本坊とする天台宗と大本願を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われています。


阿弥陀如来様は西方十万億土の彼方から、その身を一尺五寸に縮められ、一光の中に観世音菩薩・大勢至菩薩を伴う三尊の御姿を顕現され大光明を放たれました。
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