見出し画像

たき火

『たき火』(童謡)

🍂🍂🍂
かきねの かきねの まがり角
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
北風ぴいぷう 吹いている
🍂🍂🍂

巽聖歌 作詞
渡辺茂 作曲

昭和十六年(1941)九月、渡辺茂の自宅に、日本放送協会から一通の封書が屈きました。「十二月の『幼児の時間」の“歌のおけいこ”で使いたいから、同封の詞に曲づけをされたい」・・・。詞とは巽聖歌の「たき火」でした。渡辺茂は、わずか十分程で五線譜にスラスラと音符を書き込みました。“長年捜し求めていた理想の詞に出会った気持でした”と述懐しています。十二月の三日間。九日、十日、十一日。ラジオ放送される運びとなります。

《詩情あふれる歌詞とメロディー》
🍂かきねの かきねの まがり角

十二月八日未明、日本海軍はハワイの真珠湾に奇襲攻撃をかけました。日米開戦の始まりです。その翌日と翌々日(九日、十日)、朝の『幼児の時間」で「たき火」が放送されました。開戦の興奮冷めやらぬ世の中とは裏腹に、平和な童謡が放送されたのです。ところが、「たき火は敵機の攻撃目標になるし、落ち葉も貴重な資源で風呂ぐらいは焚けるから勿体無い」と軍当局からクレームがつきました。三日間の放送予定でしたが、三日目は放送中止になり、戦時番組に切りかえられました。

《日本中から「たき火」が消えました。》
🍂北風ぴいぷう 吹いている

敗戦後の昭和二十四年からスタートしたNHKの「うたのおばさん』で松田トシ、安西愛子によって、この曲は再び採り上げられました。初冬をテーマとしながらも、心が温まるような童謡「たき火」は、たちまち全国の幼稚園、保育園、小学校低学年で歌われるようになります。

《日本中の子供達が再び歌い始めます。》
🍂さざんか さざんか さいた道

昭和二十七年(1952)小学一年生の音楽教科書に載るようになると、今度は消防庁から「町かどのたき火は困る。防火教育上、考えて欲しい」とクレームが入りました。音楽教科書のイラストには必ず水バケツがスタンバイされ、大人が付き添っていました。大人たちは「たき火」を通して「火の用心」を教え込むことになります。

《「たき火」の詩的情景が失われていきました。》
🍂しもやけお手々が もうかゆい

そして現在、童謡「たき火」は教科書には掲載されていません。平成14年(2002)より・・・といわれています。(平成12年「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の施行で、家庭ゴミの自宅焼却はダイオキシンの発生原因になるので原則禁止、となる。)

《「たき火」の情景自体が日本から消えてしまったのでした。》

🍂🍂🍂
こがらし こがらし さむい道
たき火だ たき火だ おちばたき
あたろうか あたろうよ
そうだんしながら 歩いてる
🍂🍂🍂


「たき火」の歌詞は、東京都中野区上高田にあった、旧豪農の鈴木新作家の屋敷がモデルだと言われます。その屋敷は一辺の長さが百メートル余りもある長い垣根で囲まれていました。近所には、林芙美子や赤穂浪士四十七士に討たれた吉良上野介が葬られている上高田の萬昌山功運寺があります。

渡辺は詞を読みかえすうちに自然とメロディが浮かび、これだと手を打って、わずか十分程で五線譜にスラスラと音符を書き込みました。“長年捜し求めていた理想の詞に出会った気持でした”と述懐しています。

「しもやけおててがもうかゆい」とある2番の歌詞に着目した化粧品会社が、子供用クリームの宣伝にこの作品を使いたいと、巽聖歌のもとに依頼がきました。巽は宣伝に使われれば高額のギャラが入ることを知りつつも、「教科書に載っている歌を宣伝に使うのは困る」と断りました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?