それで、それで?

行き止まり、というか行き着いた感じがする。
おなじところをぐるぐるとまわりつづけていて、先に進むことを手放していた。度胸が足りない。度胸だけじゃなくて色々足りないところだらけだけど。それでも、大切にしてくれる人がいる。場所があるということがありがたい。

友達はいたし、仲間もいたけど、信じるということがどういうことなのか。つかんではいなかった。人を信じられないということは未成熟の証だ。
ひとを信じられる大人になろうとおもった。
信じるということは、無邪気に、盲目的に信じることとは違う。

「信じる為には疑うこと」というフレーズの本質をつかみきれなかった。
「疑う」という言葉もつマイナス感覚に加えて「人を疑うなんて、信じていない証拠だ」という正論フィルターをかけていたからにちがいない。
「疑う」という言葉では、ワタシには伝わらなかった。
ワタシが受け止めた「疑う」とはもっと率直に、疑問をもつということだ。
もっとまっさらな感情で、全く何もないフラットな状態で対象に向き合うことではないだろうか。最近「そもそも」という言葉をつかうことがふえてきていたけど、その経緯もあってそうおもうようになってきたのだ。
あるいは「対象に興味をもつ」ということにも近しいのではないだろうか。

だから、「不思議なものに対峙していると思って、興味津々でその謎を解き明かそうとして向き合う」という表現がしっくりくる。
あくまでも興味津々である、ということが大切で、間違っても疑心暗鬼で対象に向き合えという意味ではなかったのだ。

決して相手に対して疑惑の眼差しで向き合ってはならないのに、騙されまいと疑念をいだきつつ人とむきあっていたらそりゃあ信じることなどできない。
むしろ、ワクワクと前のめりに「それでそれで?」と投げかけることが必要だったのだ。

「人を疑うなんて、信じていない証拠だ」
誰から聞いたのかもしれないこの言葉。
きっとワタシ自身が、こんな決まり文句に振り回されて、縛られていることが他にももっとたくさんあるんだろう。

初対面は好奇心そのものが発動しやすい。だから、初対面の人と話すのは楽しかったのだ。そう、初対面の時のあの感覚をたやすことなく。
「それで、それで?」をいつになっても欠かすことなく。心がけよう。


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