chirico kaworu

宇多田ヒカルと本と苔とおさんぽがすきです。さいきんはキリンとウミガメもすきになって、よ…

chirico kaworu

宇多田ヒカルと本と苔とおさんぽがすきです。さいきんはキリンとウミガメもすきになって、ようやくyou tubeで学習する方法を身につけてきたような気がします。固まるときは周囲の人のスピードや考えがよくわからないときです。ちょっと時間をもらって落ち着いたらまた動きだします。

マガジン

  • おはなし

    ここにあるのはお話です。あくまでもフィクション。

  • てんとせん

    1日ずつその日におもいつく文章を書き足していって、一つの話になったら面白いのではないかとおもって試しています。

  • 片付けできない人の片付け論

  • 舞台のことなど

    演劇、舞台のことなどまとめています。

最近の記事

今日の記録

仲間同士でチケットを売る文化がしっくりこなかったんだと気づいた。 誰にみてもらいたいかということを明確に、誰に知ってもらいたいのか、ターゲットを定めて動きたい。 凡人には凡人なりの居場所がある。 凡人も続けられたらそれは才能のひとつ。しがみつくのではなく、かろやかに、飛びまわろう。

    • カフカに始まる

      今日の出来事について。 おしごと、おしごと、MTG、そして事務処理。 日々のいろいろを記録していこうと思う。 今朝は朝の散歩にでかけられた。もう寒くない、散歩に良い季節。 桜に、つつじも咲いていた。 最近カフカがきになるので検索したら、海辺のカフカばかりでてくる。カフカもマグリットと同じく、働きながら作家活動をした人だと知る。 シュールと不条理はやっぱり好き、というか、社会はシュールで不条理なのに物語や舞台上だけ整理されているのもどうかとおもってきた。 そして、ナラティブが

      • もしおつきさまがなかったら

        もしおつきさまがなかったら、多くの文学作品は生まれていない。 おつきさまがなかったら、夜は漆黒の闇になる。 もしおつきさまがなかったら、地球はぐるぐる回りすぎてしまう 人がすめない星になる 太陽はとても輝いて地球をきらきらと輝かせてくれる なくなったらそりゃまあ大変 だけど月がなくなってもおなじこと 月と太陽によってささえられている地球 それとおんなじことが身の回りにもたくさんある どちらも大切なのに どちらかだけをもてはやしたり だからバランスをとるために

        • 情報とおしゃべり

          生活していると否応なく情報がやってくる。 国会図書館とかはいままで出版された書籍がすべて保存されているそうだけど、それ以上に多くの情報がこの画面にはあふれかえっている。 書籍となるための文章は選別されている。だけど、この画面に打ち出されている文字に規制もルールも存在しない無法地帯だ。情報になっていない言葉の羅列。おしゃべりと独白。 ルールがあるとすれば、その文章を発信する人の倫理観だ。 ここまで文章にして、ふと首まで土に埋められて、ひたすらしゃべり続ける人の姿が浮かんだ。ベ

        今日の記録

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        • おはなし
          11本
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          18本
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        • 舞台のことなど
          8本

        記事

          アウトプットのお仕事について

          思考を変えるために書き出していく。 身体を動かすことにも近いけど、まず、アウトプットに慣れること。 知識を得るためのインプットと、アウトプットのためのインプットは全くと言っていいほど違う。 宇多田ヒカルの新曲が歌いたいなと思って歌ってみる。そうするとまったく歌えないことに気づく。これが一歩目。 やると聞くとは大違い、ということに気づかないと始まらない。 一方的に受け取るだけの状態は、感覚を磨いたり、イメージをつかむことには役立つけど、具体的に役立つことはない。あくまでも、自

          アウトプットのお仕事について

          しあわせな日々

          朝、目が覚めたらゆっくりしてしまったことに気づいた。 家の中は作業が進まないので、とにかく家を出ることにしている。 別居中の猫の餌をあげて室内で遊ばせておいて、近くの作業スペースに向かう。3時間くらい集中して一つ作業を終わらせることができた。気持ちいい。そのあと、もう一つ、次の企画のプランを書き出してまとめた。 途中まででちょっとタイムアップしてしまったけど、なんとなく輪郭が掴めるくらいまでは行けたのでよかった。 そこから猫の世話をしにまた戻って、帰り道にドラッグストアで母の

          しあわせな日々

          すきなものの話をするのが得意ではない

          人がすきなものについて語っているときは面白い。 だけど、自分が好きなものについて語るのはそんなに好きじゃない。 好きなことをはなすときに楽しい雰囲気にならないからだ。 ほんとにすきなもののことを語る時って、そんなに面白くないんじゃないのかもしれない。 猫が好きだとか、カレーがすきだとか、そういうものを語るのは楽しい。 だけど、ほんとにすきなものって、理由もなく好きで、むしろどうしようもないところが好きだったりする。 すきなものは、わたしだけの宝箱の中に入れておきたい。 べつに

          すきなものの話をするのが得意ではない

          バケツの容量の決め方

          脱力はすべてにまさると感じている。 たいてい緊張していたり、余裕がなくなると周囲の人に手間を取らせてしまう。 そういうときって、目いっぱいバケツのふちまで水を入れてこぼさないように運んでいるようなものだ。そんな状態の人に声をかけることなどできやしない。 バケツを大きくすることができないなら、水を捨てればいい。 もったいないじゃなくて、あきらめる。からっぽになったらもう一度運べばいいし、減った分だけ注ぎなおせばいい。 前向きなあきらめとは、自分に余裕をもたせることだ。 そう

          バケツの容量の決め方

          こうありたいと思うからはじまる

          やりたいことばかりやって、といわれつづけてきて、そうじゃないとおもいながらどうやったらその誤解がとけるんだろうとおもってきたけど、やっぱりやりたいことばかりやってきたんだね、と思うようになった。だけど、ほんとにやりたいことはやってない。 そう考えるとほんとにやりたいことというのは、こうありたい理想の状態を実現することかもしれない。 だけどそれはとても抽象的で、アウトプットできる状態になっていない。 こうありたい理想の状況を書き出してみるという決意表明。 まだここには書けないな

          こうありたいと思うからはじまる

          黒猫と寒椿

          お正月も近い冬のある日、このまちで流れる唯一の川に水鳥が4、5羽浮かんでいた。くだっていくとすぐにせき止められているこの川は小学校の校歌では緑輝く、とうたわれているけど、もう半世紀以上前から生活用水の影響で水底は全く見えない。 スマートフォンを取り出して鳥たちをカメラに収めようとした。スマートフォン?カメラ?電話のマイムがまだ受話器をかたちどるように、言葉が現実に追いついていないことがあることに気づく。言葉だけでもまだカメラという四角く黒い箱から覗くレンズ越しのファインダー

          黒猫と寒椿

          PERFECT DAYS

          全く前情報なしで観にいった。 日本人には描けない、ファンタジーなTOKYO。 観ている最中に、岩井俊二監督のスワロウテイルをおもいだした。 仮想の美しい日本。 無口な平山の動作だけで演じる役所広司は、日本人だけど、日本人ではない感覚を演じている。 例えば、日本人の感覚で言うと、別れのシーンにハグはしない。 これが日本人の監督だったりすると、こうは描けないのだけど、フィクションのTOKYOで、存在しない平山を演じるから成立する映画だ。 物語とか、映像とか、作品というものは、ド

          モーツァルトを聴きながら

          ことばの原稿を書こうとして行き詰まっていたのでそもそもとSpotifyでモーツァルト を検索して流す。 音楽検索する並びにクラシック作家をめにするのは不思議な気がする。アナログ世界にいるはずの人々がデジタルに置き換えられてひょいひょいとんで音を醸し出す。 便利だと思うと同時に、Iphoneから流れてくる電子音にそぐわないなと思う。キンキン響く音はクラシックの音と相性がよくないんだろうなと思う。 それでも流れてくる旋律だけは拾えるから、音の数は見えてくる。 モーツァルト 。誰も

          モーツァルトを聴きながら

          記録すること

          記録していくことは大切にしよう。誰かの何かの役にたつかもしれない。 技術というのは安心感と安定だ。それは観客にも同じだ。だから、土台と言える。土台がない状態で何を立ててもうまく立たない。 だからこそ、なにができるかってことなのだけど、田舎でいるとその土台に触れることが難しい。都会だからって多いかといえば多いだけなのかもしれないけど。

          記録すること

          それで、それで?

          行き止まり、というか行き着いた感じがする。 おなじところをぐるぐるとまわりつづけていて、先に進むことを手放していた。度胸が足りない。度胸だけじゃなくて色々足りないところだらけだけど。それでも、大切にしてくれる人がいる。場所があるということがありがたい。 友達はいたし、仲間もいたけど、信じるということがどういうことなのか。つかんではいなかった。人を信じられないということは未成熟の証だ。 ひとを信じられる大人になろうとおもった。 信じるということは、無邪気に、盲目的に信じること

          それで、それで?

          ひとのグラデーション

          ことばの原稿を書こうとして行き詰まっていたのでそもそもとSpotifyでモーツァルト を検索して流す。 音楽検索する並びにクラシック作家をめにするのは不思議な気がする。アナログ世界にいるはずの人々がデジタルに置き換えられてひょいひょいとんで音を醸し出す。 便利だと思うと同時に、Iphoneから流れてくる電子音にそぐわないなと思う。キンキン響く音はクラシックの音と相性がよくないんだろうなと思う。 それでも流れてくる旋律だけは拾えるから、音の数は見えてくる。 モーツァルト 。誰も

          ひとのグラデーション

          着地点のない手紙

          着地点のない文章を描き続けている。 流しっぱなしの水道のように。 川なんてそんな大それたものじゃない、水道水だ。 こうみられたいなんていう確固とした自分なんてないのに 求められるから、そうせざるを得なかったり そう思われないと、仕事にならなかったり 信用されなかったりするから しぶしぶそれに合わせているんじゃないかと思うことがある。 わたしはただわたしのままでいたいだけなのに 時の流れは残酷で 人の視線は正しくて わたしのままで居させてはくれない だからこそ あなたはあ

          着地点のない手紙