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終わらないはじまり

「ものがたりをはじめても、終わらせることができないんだ」
そう言ってきみはMac book proをパタンと閉じた。
それ以来書くことをやめて人々を遠くから見守るようになった。

ある朝目覚めたら、目についたもの全てを一心不乱にIphoneでパシャパシャ撮っていた。次の日も、また次の日もずっと撮り続けて最後には帰ってこなくなった。
 帰って来なくなって1週間、玄関でガサガサ音がして出てみたらにこにこしてきみは立っていた。
「ストレージがいっぱいになっちゃった」
玄関に靴を脱ぎ捨てて家に上がるとMac book Proを引っ張り出してきて、ケーブルを差し込んだ。いっぱいになった写真をPCに取り込んで、Photoshopを再契約した。そして、片っ端からコラージュしていった。そんな日が10日ほど続いた。
満月の日曜日のこと。
「音をつかまえてくる」
ボイスレコーダーで耳にしたありとあらゆる音や声を撮り溜めていくんだと言い残してまた出て行った。ストレージがいっぱいになったころ、きみは帰ってきてお風呂にも入らず集めた音を聴きつづけていた。

何時間も何日も過ごした三日月の夜のことだった。
きみはムクっと起き上がって、頭をカキカキ電卓を叩いてMac book proに向かっていた。
ひと段落してお手洗いに立ったあと、ぼくはこっそり画面を覗き込んだ。

画面には貼った黒い付箋にはこう書いてあった。

「音はどこまで音楽で、声はどこまでことばなんだろう」

今、その時きみが買った最新Mac Book Pro は今僕の手元にあって、この文章を書いている。
そしてきみはぼくの隣で新聞や雑誌をハサミで切り取って、糊でぺたぺたコラージュしている。

きみとぼくの間には語り終えなかった物語が、写真や音のコラージュみたいに山積みになっている。

どんなものにもはじまりはあるけど、終わらせるには覚悟がいる。

終わらないはじまりだけの物語は、誰かが終わらせてくれることを夕日を眺めなてコーヒー片手にのんびりと待ち続けて、誰かが終わらせた物語をのうのうと読み続けている。



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