アウトプットのお仕事について

思考を変えるために書き出していく。
身体を動かすことにも近いけど、まず、アウトプットに慣れること。
知識を得るためのインプットと、アウトプットのためのインプットは全くと言っていいほど違う。

宇多田ヒカルの新曲が歌いたいなと思って歌ってみる。そうするとまったく歌えないことに気づく。これが一歩目。
やると聞くとは大違い、ということに気づかないと始まらない。
一方的に受け取るだけの状態は、感覚を磨いたり、イメージをつかむことには役立つけど、具体的に役立つことはない。あくまでも、自分の感覚を確認するところまでで、抽象的な想像をはぐくむだけにとどまる。

歌えるようになろうとすると、能動的に受け取ろうとする。
これが第二段階。
出だしの音は何で、歌詞覚えなきゃとか、ぶつ切りの状態のものを整理して流せるようにする。まあ、カラダに入ったかなというのはこの段階。

第三段階は「なんか違う」をすり合わせていく。
宇多田ヒカルと私は違うので、彼女の持つイメージとまったく同じには歌えない。とはいえ、宇多田さんのほうが歌がうまいことは間違いない。
だから、できるだけ近づけようとする。ポイントを重点的に読み解いて、練習を重ねたりする。これは正解があるから、わかりやすいし、まあまあ楽しい。

そして、4段階目はたぶん、「自分のものにしていく」というやつ。
まだできていないので、ここから先はまた次の機会に。
自分の言葉に置き換えていく、文脈に落とし込んでいく、ということになるのだろう。正解がない道のり。

だけど、この過程を踏むことがアウトプットのためのインプット。
誰かが聞いて喜んでもらえるものになって初めて、アウトプットできたといえるんじゃないかな。
知識を得るためのインプットは、牛みたいに咀嚼して体内に取り込んで、体から出しているようなものかもしれない。
だけど、アウトプットのためのインプットは、体内に取り込んだいろんなパーツを整理して、統合して、素敵な花束を作り出すことであって、それがアウトプットを仕事にするということにつながる。





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