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いいなとおもうことは自分にはないものなので気にしない。

最近自分に言い聞かせている。
人の才能をいいなと思う前に、自分の持っているものに目を向けることに集中する。むしろ人の持っているものを持っていたところで自分にとって何も特徴にならないことにも気づいた。刺激的なことは起爆剤になって良いけど心地良さにはつながらない。気持ちよさより心地良さが大切なのかもしれない。ただし適度な刺激はひつようだ。

戯曲ありきの世界で生きてこなかったから、戯曲とは、ひととひととを同じ舞台に立たせることのできるほんとうによくできたツールだなって思う。戯曲があれば、あのひととあの人がひつようだとか、照明があればいいなとかいろいろなことが思い浮かぶ。戯曲がない世界はそのツールをつくりだすことから始まる。だから戯曲ってとても合理的だなとも思う。その作品がおもしろければたくさんの人が興味を持つし、そうじゃなければ集まらない。となると戯曲以外のツールを生み出すか興味をもってもらったり、注目を集める自分にならなきゃならないのかな、なんてことを思う。基本的に演劇の入り口は戯曲だったりするのかな。私は面白い戯曲にであってないのかもしれない。だから、現代の戯曲から好きな戯曲をみつけることは大切かもしれない。それでもやっぱり、もしわたしがつくるのであれば現代の戯曲より古典の戯曲の方が作りやすいんじゃないかなとは思ったりもする。でもそれは先入観かもしれないので、やっぱりいろいろ読んでみようと思う。

戯曲は磁石で、そこに磁力があれば引っ張られる。それは間違いない。戯曲あってもなくてもいいから誰かと一緒につくりたい。それがいちばんいまやりたいことかな。



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