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母が熱中症で病院に運ばれたと
兄から連絡があった。
それほど大したことでなく済んだが、
血圧が高く糖尿の持病もあるから
検査も兼ねて二週間ほど入院するという。
明日は自分が行けないので
病院にオムツを届けて欲しいと頼まれた。

翌日、病室を見舞うと
母はベッドに横たわり、
虚ろな眼差しで遠くを見ていた。
腰のあたりにコルセットのようなものが巻かれ、
その両端のヒモがベッドに固定されていた。
徘徊を防ぐためだろう。

僕を認めると、
すっと手を伸ばして
僕の手を握ってきた。
ただ、すでに母は僕が自分の息子であることを
認知できてはいない。
だから手を求められたことに
少し戸惑った。
母はそのまま10分ほどもその手を離さなかった。


意識はしっかりしているが、
言うことはやや混濁している。
「野良(田んぼ)へ行かなきゃ」と言ったが
母が田畑に出られたのは、
もう何年も前のことである。
看護師の声がするのを
「女の声がするのは誰かいるのか?」と言う。
「看護師さんだよ」と言うと、
そのまま視線を遠くに向けて
「逃げなきゃ」と言う。

「じきに家に帰れるから、のんびりすれば」と言うと、
「逃げなきゃ」と言う。
病院にいるのが嫌なのか、
ベッドに繋がれて動けないのが苦痛なのか?
「どこか辛いところはない?」と聞くと
「わたしゃ、寝ているから楽だ」と言い、
「あんたさんは立っていて辛かろう」と言う。


唐突に
「うまく逃げるんだよ」
「自分がでばん・・・ないで隠れているんだよ」と言う。
”デバル”は、多分、”出っ張る” とか ”でしゃばる” なのだと思う。
「周りとうまくやれるように、隠れてるんだよ」
「この布団の中に隠れるか?」と言って
自分の布団を少しめくってみせたが、
すぐに「入れやしないな」と言って笑った。

母の笑い声を久しぶりに聞いた気がした。


母のその言葉は、
それが母の得た「生き方」だったのかもしれない。
そう思うと、少し寂しくもあった。
まるで
自分の息子に言う忠告のようにも聞こえたが、
母はすでに僕が誰であるかを知ってはいない。

母は、なぜそんなことを口にしたのだろう。
母は誰に向かって、そう言ったのだろう。


病院の階段を降りながら、
僕は改めて、母の、
人の一生ということを考えてみたのだった。

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