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【SH考察:048】冥王は母を何と呼んだか

Sound HorizonのMoiraでは、『冥王 -Θανατος-』にて、タナトスが母上のことを「モイラ!」と呼ぶ。
アルバム名の読み方が「ミラ」だから、初見では違和感があるだろう。
なぜ発音の揺らぎがあるのか、その理由を考えまとめた。


対象

  • 6th Story Moiraより『冥王 -Θανατος-』

考察

タナトスが母を呼ぶとき

曲中、タナトスは母を2回呼ぶ。

母上...貴柱あなたガ命ヲ運ビ続ケルノナラバ
(中略)
母上...貴柱あなたガ命ヲ運ビ続ケ
怯ェル仔等こらニ痛ミオ与ェ続ケルノナラバ

Sound Horizon. (2008). 冥王 -Θανατοςタナトス- [Song]. On Moira. KING RECORD.
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり
※「痛ミオ」は文法上「痛ミヲ」が正しいが、歌詞カードに則りそのまま記載

ここの「母上」の発音が気になる。明らかに「モイラ」と発音しているように聞こえる。

6th StoryのタイトルはMoira。発音は「ミラ」だ。
なぜ発音に揺らぎが起きているのかを探りたい。

ちなみに、神は一人二人ではなく一柱二柱と、「柱」を単位にして数える。
母上に対する「あなた」が貴女あなたではなく貴柱あなたなのはそのため。

そもそも「モイラ」とは

モイラとは現実のギリシャ神話でも登場する、寿命や運命を司る女神のことを指す言葉。
ただし運命を司る女神は3柱おり、3柱ともをまとめて指す場合はモイライと複数形に語末が変わる。
もともとは一柱だけだったが、後に3柱いるものと考えられるようになった。

サンホラの世界ではずっと「ミラ」または「モイラ」と単数形で呼ばれていることから、単独で運命を神格化した存在としてその存在を認知されていたと思われる。

また、サンホラの世界で、Moira以降糸を紡ぐ描写、特に時間の経過を表すものとして縦糸描写がよく登場するようになる。

時を運ぶ縦糸――
命を灯す横糸――

其を統べる紡ぎ手...其の理を運命と呼ぶならば……

Sound Horizon. (2008). 冥王 -Θανατοςタナトス- [Song]. On Moira. KING RECORD.

これは現実のギリシャ神話でも運命を決める、選択することを糸にたとえる描写があることに由来すると思われる。

3柱の女神のうち、まず一柱目のクロートーが糸を紡ぎ、二柱目のラケシスが糸の長さを決めて、三柱目のアトロポスが糸を切る。こうして人間の運命、寿命が決めるとされていた。

ちなみにこの記事のサムネイルは『運命の三女神:クロートー、ラケシス、アトロポス』という絵画で、まさに女神達が糸を紡ぎ運命を定めている様子が描かれている。
(出典:John Melhuish Strudwick, Public domain, via Wikimedia Commons

古代ギリシャ語と現代ギリシャ語

では本題だ。発音の揺らぎについて考えてみる。
ギリシャ語は古代と現代で随分発音が変わる。
(なお別にこれはギリシャ語に限った話ではない。日本語も縄文時代の人間と現代の人間で、同じ単語を発音しても全然違う音になるようだという研究はある)

「モイラ」はΜοῖραの古代ギリシャ語での発音だ。
一方でこれを翻訳機にかけて現代ギリシャ語で発音させると「ミラ」になる。

つまり、タナトスは古代ギリシャ語で呼びかけていることになる。

作中の発音の揺らぎ

作中、ギリシャ語がほぼ全て現代ギリシャ語で発音されている。
別記事でも触れたが、例えばここ。

ようこそ此処は【詩人の島レスボス
海原女神サラサ太陽神イリオス かいな白き美女神カーラの聖域

Sound Horizon. (2008). 聖なる詩人の島 -Λεσβοςレスボス- [Song]. On Moira. KING RECORD.
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり

ここの「海原女神サラサ」は海を意味するギリシャ語Θάλασσαのこと。
古代ギリシャ語での発音はTalassaタラッサだが、現代ギリシャ語的に読むとThálassaサラサになる。

図: イソップ寓話「農民と海」で自らを守るタラッサ
イソップ寓話とは古代ギリシャ人イソップ(アイソーポス)が作ったとされる寓話
出典:Arthur Rackham, Public domain, via Wikimedia Commons

そもそもアルバム名も「ミラ」と発音しており、全体的に現代ギリシャ語発音だ。
タナトスが母を呼んだ「モイラ」だけが例外的に古代ギリシャ語発音になっている。

この理由は、このアルバムの構成を考えるとわかりやすい。
『神話 -Μυθος-』から『神話の終焉 -Τελος-』までは、アレクセイ ロマノヴィチ ズヴォリンスキーがもつ母の形見の内容だととらえることが出来る。

私/貴方を支えたのは家族の存在と 母の形見となった一冊の叙事詩ほん

Sound Horizon. (2008). 人生は入れ子人形 -Матрёшкаマトリョーシカ- [Song]. On Moira. KING RECORD.
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり

この【叙事詩ほん】はかつて暗誦詩人ミロスがその弟子となったエレフセウスのために残した詩で、Элэфсэйаエレフセイアとして出版されているようだ。
もとは当然ギリシャ語だっただろうが、Хроникаクロニカ Романовиаロマノヴナ Михайловаミハイロヴァというあまりにも気になりすぎる名を持つ人物がロシア語に翻訳している。

歌詞カードで『神話の終焉 -Τελος-』の後の挿絵をめくると、СУДЬБА運命 ИЗДАНИЕ出版と書かれている。
これは本の背表紙か奥付か、ともかく一番最後であろうページ。
アレクセイが持っていた形見の本の内容が終わったことを表しており、それは言い換えると今まで見聞きしていた、『人生は入れ子人形 -Матрёшка-』の次である『神話 -Μυθος-』以降の話は全て本に則った内容だったことがわかる。

この本が現代発音に則って表記されていたら、それを聞かされる我々の耳にも現代発音で聞こえて当然だ。

一方で、『人生は入れ子人形 -Матрёшка-』より前に語られる『冥王 -Θανατος-』は叙事詩に含まれない。
そのため元の発音のままだったのだろう。

アレクセイと翻訳家クロニカについては、こちらの記事で触れている。

結論

タナトスは古代の発音のまま母を呼び、叙事詩の内容を後追いする我々はその内容を現代語発音で聞いていた。

アルバムタイトルの発音を「ミラ」と知ってから『冥王 -Θανατος-』を聞くと、いきなり「モイラ!」と呼んでて面食らうが、むしろ登場人物たちは皆、当時は「モイラ」と発音していた可能性が高いのだろう。
例えばこことか。

運命は残酷だ されど彼女を怖れるな
女神ミラが戦わぬ者に 微笑むことなど決してないのだから

Sound Horizon. (2008). 死せる英雄達の戦い -Ηρωμαχιαイロマキア- [Song]. On Moira. KING RECORD.
Ηρωμαχιαイロマキアの意味は「英雄の戦い」Ηρως(英雄)+μαχια(戦い)
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり

ミラよ…これが…貴柱あなたの望んだ世界なのか!

Sound Horizon. (2008). 神話の終焉 -Τελος- [Song]. On Moira. KING RECORD.
Τελοςテーロスの意味は「終焉」
※書き起こしのため誤差がある可能性あり

更新履歴

2023/08/11
 初稿
2024/04/24
 一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記

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