性癖分析シリーズ4「密着型衣装のフェティシズムの構造」


タイツ序論

 タイツ、特に黒タイツは比較的よく知られた性癖であり、「脚線美」という言葉の糖衣に包んで既に一つの表の市場を形成してさえいる。しかし、不思議ではないだろうか? 幾何学的な対称性があるわけでもない、人間の太腿から爪先にかけての特殊な形になぜ殊更に美を見出すのか。裸足に比べて露出は減っているのに、なぜそちらの方がよいという者がいるのか。なぜ「黒」なのか。

 黒タイツを着用した美少女キャラクターのイラスト集『くろタイツ』シリーズ(ジーオーティー)には、よむ氏をはじめ42名(一巻目、2018)のイラストレーターが参加し、それぞれの思う理想の黒タイツをそれぞれの技巧の限りで提示している。これを見れば、人によってどのようなタイツを好むか、タイツのどこに魅力を見出すかが異なることが分かる。薄手を好む者、厚手を好む者、着用時の爪先を好む者、ふくらはぎを好む者、繊維を強調した質感を好む者、ビニールのような滑らかな質感を好む者。

 このような違いに対し、「性癖は人それぞれですね」とは私は言わない。一方で、「タイツの爪先を好む遺伝子があるのです」とも言わない。性癖は「人それぞれ」で諦めるには惜しい程度には類型化されており、また先天的に決まっているとは考えられない程度には多様さを持っている。

 私は、多様な性癖の表れを、できるだけ互いに独立した、より抽象的な要素へと還元した上で、それらが環境要因によって人ごとに異なる比率・異なる順番で混ぜ合わされたものが個別の性癖であると考える。これが私の性癖分析(Philia Analysis)の基本的な考え方だ。その具体的な方法は、一つのジャンルの表現を、他の人々の言説を参考に様々な視点から鑑賞し、その時に私自身の心のどこがどう反応したかを逐一観察して言語化し、私自身の生い立ちによる偏りも考慮しながら整理するというプロセスを取る。今回のアーカイブは、タイツをはじめとした「密着型衣装」についてそれをした結果だと言えるだろう。

タイツ一般論

 ぐらんで氏はタイツの魅力を詳細な図解と共に示した。しかし、添えられた説明文は感覚的な記述に留まる。「そそられる」「エロスを感じる」「宇宙になる」のはなぜか、ということを、人類はもう一段階掘り下げて分析することができるだろうか。

 まず指摘しておかなければならないのは、裸体との関係であろう。乳袋やぴっちりスカートの類について、「本当は裸を描きたいが、コンプラ上できないので、着衣のまま裸に近付けようとしている」と断言するわけにはいかない。そのような場合もあるが、そうでない場合も多い。「着衣は脱衣に勝る」という場合はあるのだ。

 私はタイツが性的魅力に寄与する効果として、次の二点を強く意識することが多い。即ち、

  1. 肌から分泌されたなにものか(これは化学物質に限らない)を蒸散させずに繊維で捕捉し凝縮する効果、

  2. 肌に沿う素材で一様に圧力をかけることによって、それに拮抗する肉の張りが逆説的に強調される効果。

 肌から分泌されたなにものかが化学物質(汗や匂い)に限らないとは、例えばいわゆる「オーラ」のような心理的な放射物も考慮するべきということだ。体から外に放たれるものであって、着衣によって堰き止められるものなら、全て1.の「繊維で捕捉し凝縮する効果」を受ける。

タイツとラバーの相違点

 これらはラバースーツでも一応は実現でき、特に2.の点ではラバースーツの方が強いが、1.に関してはタイツに適度な透過性がある(つまり、「吸えば出る」)ことが差別化要因になっている。

 タイツの場合、そもそも現実で日常的に使われている衣類であるということのアドバンテージも大きい。「生活感」というものは一つのフェティシズムの対象だ(逆に「生活感のなさ」もフェティシズムの対象となりうるところが人間の厄介さだが)。生活感のフェティシズム自体も細かく分析される価値があるが、他人の生活を窺い知る機会の減った時代・社会においては、隠されたもの・禁じられたものの片鱗を見せているという点から日用品がフェティシズムの対象となる、という理由をここでは挙げておくに留める。

 汗や匂いがフェティシズムの対象となる理由もこれと同じで、隠されていた生活感の象徴だからだ。加えて、通常は忌避されるものであり、それを受け取ることによる「穢れ」がマゾヒスティックな興奮を引き起こす、という機序もある。この二つ目の理由も禁じられたものへのフェティシズムに含めることができるが、私はむしろ、マゾヒズムがフェティシズムに由来するのではなく、禁じられたものにフェティッシュを感じる心性の方が、人間が普遍的に持つマゾヒズムに由来していると考えている。禁忌を破ることの快楽は、自分の拠って立つ秩序の世界を掘り崩すことの快楽であり、それゆえマゾヒズムに他ならない。

 分泌物の取り扱いという観点の上では、ラバースーツとタイツの本質はそれぞれ「壁」と「フィルター」と言い表すことができる。ラバーが全てを内側に留め置き、脱いだ瞬間に一気に解放するのに対し、タイツは繊維内で渋滞させるうちに多少変質もさせ、一定割合で放出もする。この差は僅かだが決定的だ。なぜなら、この二つの性質は快楽の二つの基本類型、「カタルシス型」と「積み上げ型」に相当するからだ。

 溜めていたもの・抑えていたものを一挙に解放することに伴う快楽を、私は「カタルシス型」と呼ぶ。典型的には射精がこれにあたる。一方、同じ刺激が長時間続くことで少しずつ高まっていく快楽を「積み上げ型」と呼ぶ。いわゆる女性型オーガズム、ないしドライオーガズムがこれにあたる。二種類の快楽の感じ方は質的に全く異なる。そしてラバースーツの「内側に留め置き、脱いだ瞬間に開放する」という性質はカタルシス型の快楽を誘発し、タイツの「少しずつ蒸散させる」という性質は積み上げ型の快楽に繋がる。ただしタイツの場合は、強く吸い出したり圧力をかけたりした時には内に留められていた分が一挙に放出されるため、カタルシス型の快楽が生じる。

 加えて言えば、靴も「壁」として機能する。当然サンダルでは話は別だが、皮膚から出たものを内側に留め置くからだ。タイツの上から靴を履けば、フィルターと壁を重ねたことになるが、通常は鑑賞者は靴の外側にいるため、壁の性質が強く出る。ただし、サイズフェチと呼ばれるジャンルの「履き潰し」というシチュエーションにおいては、靴とタイツ(ないし靴下)の間の領域が注目され、フィルターと壁の両方の性質が重要になる。

タイツとラバーの共通点:拘束具として見る

 当然、直観的に察せられるように、ラバーとタイツには共通するポイントもある。例えば、身体に圧力を加えることによって、それに抗している肌の張りや筋力を逆説的に強調したり、皮膚のディテールを消してこれも内部の筋肉と骨格に注目させたりといったことだ。

 身体に圧力を加えるという点では、密着型衣装は拘束具でもある。拘束された身体に何かをしたいという欲望とは別に、拘束された身体自体が美しいという印象を持つ人がいる。これは、拘束具の圧力に拮抗している身体が「抗する力」を持っていること、つまりは潜在的な暴力を秘めていることが露わになるからだと私は考えている。拘束された身体が、拘束されることによって、力を振るう主体として見えてくる。そして、見る者のマゾヒズムがそれに反応するのだ。以下にいくつかの例を挙げる。

緊縛と日本刀

 縄をかけられた人体には特有の美しさがあるとされる。これは、縛り方による造形美に加えて、圧力に抗する人体の弾性を「静のなかの動」として感じているのだろう。外力に呼応して皮膚と肉が発揮する抗力。M側(拘束された側)の身体もまた暴力を秘めた身体であることが、そこに露呈する。私はこのような魅力を「暴力性の美」の類型と呼んでいる。それはラバースーツやストッキングの魅力と同型の構造であり、また日本刀が縄を必要とすることなく発揮している美しさと似たものでもあるのだろう。

ヒロピンと風船

 変身ヒーローがピンチに陥るシーンに興奮する「ヒロインピンチ」のフェティシズムにも、衣装による効果が関与していると私は考える。幼少期に戦隊ヒーローものの特撮番組を見てこの嗜癖に目覚めたと語る者は多い。そのいくらかには、コスチュームも寄与しているだろうと思う。人体に貼り付いて伸縮する生地は、皮膚のディテールを消して輪郭を強調した上で、中身にかかる圧力とそれを押し返す肉の力を強く意識させ、しかも中身が全く見えないというもどかしさを伴って性衝動を刺激する。

 ラバーやストッキングが持つ「ゆるみのなさ」、即ちあとほんの少しで張り裂けそうな印象を与える衣装、これを見せられることは射精を促す刺激を受けることと心理的に等価だ。意識に不連続かつ急激な相転移が起こるのを防ぐために、その直前で回路をバイパスするのが絶頂であると私は解しているから。

 縄や日本刀と密着型衣装が異なる点は、衣装は破れる可能性があることだ。同じように潜在的な暴力を浮き上がらせるものではあっても、衣装は外力と内圧の拮抗の結果、内圧が勝って破裂するということが起こりうる。実際に破れるところを見たことがなくとも、衣装が伸縮性を持つことを知っていて、それが内部の肉によって引き伸ばされている質感を見れば、破れる可能性を予感することはできる。

 誰でも風船を見たことはあるから、風船との類推で破れる可能性に思い至ることもできる。そう、実際に性癖としてある「風船フェチ」も、不連続かつ急激かつ不可逆な変化への予感を中核としていると私は考える。どうにもできないこと、取り返しがつかないこと――それもまた、人間の持つマゾヒズムを刺激するものだ。

 タイツが穿かれる部位である下肢も、それ自体としてフェティシズムの対象となりやすい要素を持っている。しかし、それを単に「隠れている性器を想像させるから」といった消極的な語りに求めることはしない。

 まず、下肢のフェティシズムを論じる者の多くは、股関節から下の全体を指す「脚」と、足首から先の「足」を厳格に区別する。脚と足の間のまさに骨肉の争いは、一つには線と「点および面」の争い、もう一つには汗腺の多少をめぐる争いなのだろうと私は考えている。脚とは基本的に線であり、見て美しいが、接触することを考えるなら平面に近く体重の集中する足の裏及び爪先に分があるかもしれない。汗腺の多少については言うまでもない。

 体重を支えていること、汚れやすいこと、人体の最末端であること。これらが、足が特異的に持つ三つのフェティシズム要素だ。これらの要素は互いに絡み合っているから、もう少し解きほぐして互いに独立にした捉え方として、「末端であること」「体重を支えていること」「大きな筋肉があること」の三つとして整理した方がよいと思っている。これらの要素は、他のあらゆる性癖がそうであるように、全てマゾヒズムに関わる。

 末端であることは、それに触れる者の地位を貶めるというイメージに結びつく。三つのうちでこれだけが着衣に関係していない。

 体重を支えていることは必然的に「踏む/踏まれる」という行為の舞台となることを意味し、踏まれることは相手の存在を強く感じられるシチュエーションとして古くから人気がある。またタイツとは「放出物を内に留めるが、押せば出る」という性質において関わる。靴を履くことも、足が体重を支えていることの帰結である。

 大きな筋肉があることは、潜在的な暴力性を意味する。先に述べた外力と内圧の拮抗だけでなく、脚全体が動く動作、つまり踏んだり蹴ったりすることの暴力も当然ある。それらは筋肉と骨によって担われ、衣装で皮膚のディテールが消えることによって意識に上りやすくなる。さらに、広く滑らかな面(無限の面)は「終わりが見えない」という不安を呼び起こし、これも性的興奮に繋がるが、ここでは割愛する。この点については以下の記事で詳細に述べた。

 汚れやすいことは、体重を支えているために地面と接する(または保護材としての靴に包まれる)ことと、大きな筋肉があるためにその接続部にも大きな窪み(膝の裏など)ができることの帰結だ。性癖をできるだけ独立した要素に分解するという分析の趣旨に照らして、これは体重と筋肉の二つに分解した。

 太腿であれば大きさによって、下腿であれば硬さによって、能動的な暴力が意識される。これらはいずれも足の裏より勝る。体が止まっている時には一切表れないのだとしても、皮膚の張りによって内部のことが想像され、それが振るわれた時のことが想像される。タイツなどはそれを強化する。ちなみに私は、外力と内圧の拮抗から感じる暴力性を「内的暴力性(internal violence)」、部位全体が動くことに伴う暴力性を「重心系の暴力性(center-of-mass violence)」と呼ぶ。

 加えて言えば、隠されているものを開いて暴くことも人間に普遍的な興奮をもたらす。非行少年が動物を解剖している最中に勃起したり射精したりする例に顕著だが、生き物の体の中身は物理的・道徳的に二重に隠されており、これを開いて暴くことは自分の立つ世界の秩序を掘り崩すマゾヒズムの一つの表れだと私は考えている。チラリズムという言葉もここに通じている。この言葉は通常、スカートが下着を隠していることなどについて使われるが、生物の体そのものが、皮膚によって複雑な構造を覆い隠し、また中の情報を適度に外に滲ませているチラリズムの具現ではないか?

なぜ黒が好まれるか?

 タイツの中でも黒タイツが好まれる理由についても検討しておくべきだろう。基本的には、輪郭がはっきりすることで内的暴力性が増し、石を思わせる硬質な印象になることで重心系の暴力性が増すためだと思っている。ここに加えて、分泌物をどの程度蒸散させてどの程度留め置くかについての各々の好みによって、繊維をどの程度皮膚の色に近付けるか(デニール数、または繊維の色)が決まるはずだ。黒や茶色以外のカラータイツでは性癖の構造はもう少し複雑になるが、恐らくは色に対する文化的な意味付けの問題であり、タイツに固有の問題からは離れるのではないか。

ケモと網タイツ

 余談として、動物とタイツの組み合わせについても述べておく。「犬に網タイツを履かせると性的に見える」という言説を私は見たことがある。

 毛の生えている動物がタイツの類を履けば、人間の場合よりも「圧縮率」が高まる。そして網タイツなら、網の隙間から毛がよく見え、ストッキングやラバースーツとの差別化にもなる。とはいえ、ここで言う「圧縮率」に寄与しているのは毛であり、潜在的な暴力性を高めるものではないだろう(獣自体が持つ暴力性は別だ)。また網タイツは壁というよりはフィルターだが、密着型衣装というよりは縄に近い。従って、同じタイツという名前がついているが、性癖という観点からは別物とみなすべきだと思う。

まとめ

まとめよう。タイツをはじめとする密着型衣装の性癖の構造は以下の要素に分解できる。

〈着衣の性質〉

  1. 肌からの放射物を繊維で捕捉し凝縮する。(繊維密度・色相によって調節)

  2. 着衣の圧力に拮抗する肉の圧力(内的暴力性)が強調される。(明度によって調節)

  3. 皮膚のディテールが消えることで内部の肉と骨(重心系の暴力性)が意識され、さらに広く滑らかな面への興奮(無限の面の暴力性)が生じる。(彩度・光沢によって調節)

〈下肢の性質〉

  1. 末端であることで、触れる者の地位を貶めるというイメージを持ち、社会性のマゾヒズムに訴求する。

  2. 体重を支えていることで踏みつけに使われ、踏む者の存在を強く感じること・踏まれる者の地位を貶めることに役に立つ。また保護材として靴や靴下に包まれ、肌からの放射物を繊維で捕捉する効果を受ける。

  3. 大きな筋肉があることで、内的暴力性・重心系の暴力性・無限の面の暴力性を想起させる。

 これらの要素のどれをどの程度重視するかは一人一人異なる。その配合の違いにより、密着型衣装の中でもタイツを選ぶかラバーを選ぶか、黒を選ぶか茶色を選ぶか、爪先を選ぶか太腿を選ぶかといった微妙な性癖の違いが生じる。さらにこれらの要素の組み合わせによって、着衣ではない縄・日本刀・風船などへのフェティシズムも部分的に説明することができる。


〈以上〉

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