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#9 世界は『余白』で出来ていた

今回は私の中で大ブームとなっている『余白』について語ろうと思っている。

デザインの余白 空間の余白

なぜ私が『余白』に沼っていったのか、

そこにはデザインを勉強した背景が存在する。

筑波大学蹴球部 インスタ投稿より

これは私が作成したデザインで、メモリアルマッチに出場する方を紹介するために作られた。
しかし、これはデザインを専門にしている芸術専門の学群に所属している人にアドバイスをいただいてできたものだ。

私が当初していたデザインはこれである。3人のバランスが悪いのは置いといて、どう感じただろうか。
私は上手く全身が映っていて、写真が敷き詰められていて悪くない出来だと思ったが、実際は違った。

水色の余白があるから全体と文字が際立つデザイン

また、、北海道のエスコンフィールドを見学させていただいたときに空間の余白について学んだ。
いままでのドームよりも何も無い『余白』の空間が多く存在していた。
これが、また素晴らしい空間を生み出していた。

これが実際の『余白』の一つだが、来た人は座ったり、寝そべったり自由にその空間を活用している。仕事をしている人さえいた。

余白が自由さを生み出す

人生の余白へと

私は『余白』についてずっと考えている。
いま、意図的に自分自身に余白を作ろうとしている。

いままでは、計画的にと言いながら、何かを行う詰めた日々を送っていた。
それも悪くはないのだろう。

気づくと体は弱りきっていた、一向に良くならない体調と格闘する日々。

あえて、蹴球部の仕事を抑えて、帯同もしない『余白』の一週間を過ごしている。

余白は本当に奥深い。

余白が奥行きを生み出している。
冷静になって自分とは何かを見つめる時間。
何もなく、ゆっくりとする時間。
余白があるのも悪くない。

余白を楽しんでいこう。

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