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逃げ場の多い社会を作る

新卒一年目の私は、あなたの野望は何かと問われて、そう答えたらしい。

2019年4月、私はある外資系コンサルティング会社で、新品のスーツを着て意気揚々と新人研修に臨んでいた。丸の内は駒場とは比べ物にならないくらい小綺麗で、同期や街ゆく人びとみな一様にオシャレで、この一分一秒がお金になっているのかと思うと人生をやり直しているかのような充実感があった。

その会社では、初夏の修善寺で合宿と称される謎のイベントが行われるのが恒例で、私ももれなく朝から晩まで走らされたり踊らされたりをひとしきりやらされた。夜になると講堂みたいなところに集められて、一人ずつ台に上がって、みんなの前で自分の野望を叫んでいくのだ。

お金持ちになりたい、会社のパートナーになりたい、金融で起業したい、とにかく同期で一番になりたい…競って自分の仲間たちが自分の大きな野望を披露していく様子を、私は羨ましくも遠い目で眺めていた。みんな、自分の人生が煌びやかなものであることを、そしてありつづけることを、とても強く信じているのだ。社会に勝ち負けというものがあるのであれば、自分は勝ち続ける方にいるのだという信念、それはきっと生まれや育ち、何より彼ら/彼女らが選んできた、人生のひとつひとつが与える存在の強度への確信に違いないと思った。

私は、きっとそういう人生は歩めないだろうと、その喧騒の中でひとり思ったことを今でも思い出す。社会が減点方式なら、もうとっくの昔に退場になっている。人間関係も、社会生活も、ありとあらゆることが人並みにできない。足の踏み場もない部屋を這いながら家を出て、不仲な家族に毎日怒鳴り散らされ、対人不安ですぐに人間関係をめちゃめちゃにして、気に入らないことがあれば周りや世の中に恨み言ばかり吐いていた。果たしていつまでこんなふうに生きていくのだろうと、我に帰っては途方に暮れていた。

しかし、会社は、それまでの人生で所属してきた集団とは全く違う理屈で自分を評価してくれた。部屋が散らかっていようが、対人不安があろうが、恨み言ばかり吐いていようが、関係なかった。会社に求められた結果を出せば平等に褒め立てられ、期待の言葉をかけてもらえた。評価は金銭という対価を伴い、自分がそれまで感じたことのない充実感をもたらした。今まで一度だって一緒いたことのない、綺麗に着飾ったピカピカの人たちと並んで歩くことだってできた。

人と人を分け隔てる境界はたくさんある。文化資本、教育資本、家庭資本、魅力資本、私たちが生きている人間社会は、こうした複数のパラメーターを計算しながら、慎重に上下関係を決めている。しかし会社にいれば、仕事ができるかどうかという一点でのみ、平等に扱ってもらうことができた。それは、まさしく救いだった。

私は会社という制度に、資本主義というシステムに、命を救われた人間だ。

普通に生きることができないというのが、20代前半の自分にとっていちばんのコンプレックスだった。それは今も変わっていない。でも、私は会社という制度の中でなら輝くことができる人間なのかもしれないと思う。それは、21世紀の高度情報化社会の中で、企業労働者に要求される特定の能力値が、ほんの少し平均より高かったというだけの、全くの偶然だ。さらに言えば、企業の中で運良く自分の能力値を好意的に評価してくれる人間に出会うことができたというだけの、徹底的な偶然だ。

なぜあの時自分が、「逃げ場」の多い社会を作りたいと言ったのか、もうよく思い出せない。ピカピカで自分の人生を確信している勝ち気な同期のみんなに、冷や水を浴びせたかったのかもしれない。事実、私がつらつらと「逃げ場」がなんたるかを語っている間、場はぽかーんと白けていた。

でも、一つだけ確かなことは、私はあの野望にたがうような生き方は、それから一切していない。たまたま私に居場所をくれた企業という制度に、同期や上司といった人々に、恩返しができないかをずっと考えながら生きてきた。人が生きやすい社会には、「逃げ場」がたくさんあるものだ。競争が辛くなった時、社会の居心地が悪い時、対人関係に追い詰められている時、もう歩けないと思った時、誰かが隣で立ち上がるのを待っていてくれたら、とても素敵なことではないか。

歩みを止めることは、とても恐ろしい。多くの人が、競争のラダーを降りたら、2度と自分に道が開かれないのではないかと怯えている。でも、取り返しのつかないことなど決してないのだ。あなたが気づいていないだけで、世の中には「逃げ場」がたくさんある。それを伝えるために、いろいろなことを勉強した。おかげで今でも、疲れた同期や上司からひっきりなしに相談が飛んでくる人間になった。

"私は、優しい人間になるために大学に入りました"
私が大学を卒業する年、総代の文学部の女性がこんな言葉で始まる答辞を読んだ。

当時はあまりピンとこなかったが、久しぶりに思い出して、やっと彼女が言いたかったことが腑に落ちた。人の弱さに共感する力、それこそが知恵であり強さであると、私も信じている。「逃げ場」の多い社会とは、優しい社会だ。私は優しい人間になるために、この社会に生まれたのだ。

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