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大人になった自分から、今の自分に宛てて書く手紙

最近、霜降り明星のせいやが、アレン様というインフルエンサーのモノマネをしながら嫌いなものを暴露していくという芸を披露していて感心しました。やはり何かに憑依することでしか表現できない、存在の一側面があると思うのです。私は今回、「大人になった自分」を仮想人格として見立てて、今の自分を叱りつけるという体裁で文章を書いてみました。要するに、自分で自分を産み直した世界線での「自分」から、今こここにいる私への手紙です。


反省①

まず、オンラインで近しい人間の愚痴を垂れ流さないこと。私は、あなたがそうした言動をあえて近しい人間の眼に触れる可能性がある空間でやっていることを知っています。直接向き合って伝えることができない後ろ暗い気持ちは、全部胸の内にとっておきなさい。

あなたが誰かにちやほやと話を聞いてもらえる(かのように錯覚している)のは、あなたがある程度の年齢を重ねていたり、なんらかの地位にあるという社会的事実を根拠として、周りの人に「気を遣われている」からです。「気を遣われている」のはあなたがそうした社会的地位に見合わない未熟な精神性を宿した「厄介な人」だからであって、あなたが「愛されている」からでも、「心配されている」からでもありません。

あなたは今後一生そのままでしょうから、その人間としての固有性や魂の在り方は尊重します。ただ、私にとってあなたの振る舞いは目障りで鬱陶しくひどく不快だということ、それからあなたのそうした振る舞いを諌める人間が周囲にいないという事実が、私が加齢に対して個人的に抱いている黒く澱んだ絶望をさらに深淵なものにするということを伝えておきます。

あなたは自分の意見が常に他人に顧みられるべきだと思い込んでいますね。それは、誰かに認められないと自分が生きていくための理由づけがなくなってしまうのではないか、と怯えているからです。だから軽んじられたり、無碍に扱われることをひどく恐れ、その兆候が現れた途端に暴れ出します。あなたがこれまでの人生で、確固たる自己肯定の材料を獲得できなかったことに哀悼と共感を表明しますが、それが他者の平穏を犯していい理由にならないことは、もうとっくに学んでも良い頃合いです。他者はただ存在しているのであって、あなたを攻撃しようと思って何かを言ったり動いたりしているわけではないのですから。


反省②

気に入らないことがあったらすぐに人を遠ざけて、関係を希薄なものにして思考資源を割かないことで乗り切った気分にならないこと。一体、いつまでそうしてウジウジと一人で生きていくつもりなのでしょうか。あなたが傷ついていることを適切に他者に伝える術を身につけなかったことが、あなたの生活や思考の歪み、そして今感じている孤独に繋がっているのであって、それは他者や外的制度によって強制されているものでは決してありません。

なぜ自分の手から全てこぼれ落ちていくのかと恨み言ばかり口を吐いて出るのは、あなたがきちんと他人との関係に向き合ってそれを維持していくためのエネルギーを使わないからです。あなたは自分が好意を寄せた人間を、意識的に遠ざけたり、わざと悪様に罵ったりする癖がありますね。その悪癖は、あなたが幼少期に体験した友人や親族との関係を巡る心的外傷や、家族との険悪な関係に起源を見出すことができる「親密な人間に傷つけられることを過剰に恐れ避けようとする」防衛規制の働きです。

あなたは基本的に、他人が自分のことを疎ましく思っていて、自分が無価値な人間であると信じ込もうとしています。そして、その信念に沿うように他人の言動や世界の動きを認知しようとすることが、これまでの社会関係におけるトラブルに繋がっていますね。あなたの認知の歪みは、両親から投げかけられ続けた人格否定の言葉や暴力、少年期のスポーツクラブにおける指導者からのハラスメント、小学校・中学校を通じて感じ続けた同性集団からの疎外感、高校において決定的となった社会不適合性とその不安といった、これまでの辛い経験を通じて形成されてきた「自傷的な自己愛とその裏返しとしての”健常性”への崇敬」とでも言えるもので、きっと一生そのくびきから解放されることはありません。

あなたはいまだに、子供の頃の自分に戻って泣いている夢をよく見ますね。毎日喚いていた子供部屋は、いまも机いっぱいに呪いの言葉を書きつけてあります。新築の家は見る見るうちに荒れ果てていき、犬は買ってきてもあっという間に世話をされなくなりました。あなたは、自分の両親が築き損ねた「家庭」の責任を取らされるかのように、毎日夜中まで延々と暴力と罵詈雑言を浴びせられ続けましたね。家は当然、学校にも居場所はありませんでした。あなたの同級生はみな一様に、あなたの人格が刺々しく攻撃的になっていくのにつれて離れていき、あなたはどこにいても常に一人でしたね。教師もあなたやあなたの両親を持て余していましたし、地域でもあなたたち家族は厄介でおかしな人たちだと爪弾きにされていました。思い出すのも口に出すのも苦しくて、あなたは滅多に人前で自分の幼少期や学生時代の話はしません。人は生きているのが辛いと感じるのが当たり前でしたし、多くの人を深く傷つけもしました。取り返しのつかないことをたくさん言ったりやったりしましたね。

でも、それは今となっては全部過去です。あなたは今、それなりに健やかに生きていますし、そんな過去は、あったようできっとなかったようなものだと思いましょう。現実には楽しいことだってあったはずなのに、辛いことしか思い出せないのは、心地の悪い悪夢に決まっています。現に、あなたがこんなことばかりを考え始めるようになったのは大学生になってから、具体的には就活で乗っていた飛行機の上で、突然幻覚に近い妄想に囚われ始めてからで、それまでは「なんだかよくわからないけどしんどいなぁ」くらいにしか思っていなかったですよね。なんにせよ大丈夫、そんなものに囚われる必要はもうないのです。

あなたの現実の両親はもう、あなたより小さく無力で、体と心の老いと孤独に向き合っている、ただの老人です。あなたのことを物理的にも精神的にもどうすることもできません。苦しめることも、そしてこれ以上救ってくれることもない、そのあたりにいるのと同じ、普通の人間です。あなたが傷つけた他人も、多くはまだ健やかに生きています。再会したら、きちんと謝って、許してもらえなくても謝り続ければ良いのです。それが生きるということです。

そしていい加減、他人にとって自分の人生が少しも重要でないという事実を思い知りましょう。他人はみな、あなたの一挙手一投足を日がな一日監視して、軒並み否定しようとしているわけではありません。あなたは誰にも監視されていませんし、否定されてもいません。そんな関心をあなたに向けている人間は、この世に一人たりともいません。

みんな、自分中心の世界をしっかり生きていて、運良く繋がった誰かと束の間の共同性を育んでは旅立ってを繰り返しています。希薄でも確かな繋がりを築き、その上を転々としながらサバイブする術を身につけ、しぶとく生きていくしかないのですから。そして、あなたにもそれができて然るべきです。これから先の関係は、あなたがサラから自分自身の手で作っていくのです。


反省③

あなたはもう立派な大人なのだから、他人にどうしてこうしてくれないんだとか泣き言を言い募る前に、自分が他人に何を与えられるか考えること。例えば、あなたは、子供や女性、若者、障害者など立場の弱い人が不当に傷つけられる場面を見ると、あっという間に心の調子を崩してしまいますね。それはあなたの心の深い場所についた傷が、そうした風景によってこじ開けられてしまうからです。そして、なるべく人が傷つかずに生きていける社会を作り出したいと、それだけは本当に心の底から願っていますね。

実は、あなたにできないことはもうほとんどないのです。無力な自分、他人の思うままにするしかない自分、という自画像を早く捨てて、社会に対して何を残すべきかを建設的に考え始めてください。自分が無価値であると信じ込みたいあなたにとって、それが極めて難しいことなのは理解しています。しかし、できるはずのことをやらないという不作為は、無視できない社会的損失を生み出します。あなたの自我をめぐる葛藤というちっぽけな次元を超えて、社会には苦しみや孤独、生きづらさといった問題が溢れています。

あなたはどうして自分や自分の親を真っ当に愛せないのか、という問いにずっと苦しめられていますね。それは、あなたが社会にとって意味のあると感じられることを為していないからです。つまり、あなたが生きていることが、誰かにとって意味のあることであると実感できるような方法で、社会に存在できていないのです。そうした自己効力感の欠如が、他人や自己を肯定するための心の基盤を著しく脆弱なものにしています

あなたは何をしている自分が一番好きだったか思い出してみてください。傷ついた誰かに手を差し伸べることですよね。社会人になったばかりの時、同僚を人事や産業医のもとに連れて行ったり、ハラスメント窓口に代わりにスピークアップしていたのは、アカデミックハラスメントを受けていた同級生の代わりに大学とやりとりをしていたのは、学校に行けない子供たちのボランティア合宿に参加していたのは、ジェンダーやフェミニズムの研究を生涯の探究領域として選んだのは、単なる正義感を超えてあなたが「なすべきだ」と直感的に感じることだったからです。そして、誰かになされている不正義を糾すために奔走している自分が、嫌いではなかったですよね。あなたは幼い自分をもう救うことができないという事実と向き合うために、誰かの痛みを減らすことを代償行為としています。きっと、それで、良いのです。

あなたがいつの日か、真っ当に自分の行いを愛せると感じられるようになった時、自己や他者をめぐる関係に向き合い直すことができると思います。そのためには、何よりもあなたがメソメソと自己耽溺する暇など微塵もないことに気がつくべきなのです。今この瞬間にも、あなたは目覚めて自分の行いを糾すことができるのですから。

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