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超現実エッセイ DAY1 #1 生田駅ロータリーから改札まで

バスを降りる頃には、もう雨は止んでいた。ここは生田駅ロータリー。とはいえど、駅から隔離された場所。昔はもっと駅に近かったはずだが、10年くらいの月日をかけて少しずつ追いやられ、移動し、今では人っ子一人見ることはできない。
 今日もここでバスを降りたのは僕一人だけだった。駅の反対側に建物は何もなく、地平線までまっさらに見通すことができる。4秒に一回くらいのペースで、大きな空をスキージャンパーが流れ星のように横切っている。まるで砂漠のような生命を感じない大地には、着地に失敗したスキーヤーたちの走馬灯が映し出されるプロジェクターとスクリーンが用意されていて、その前には観賞用に200席ほど並んでいた。しかし、ここでもその椅子達は洗濯物をかけるだけの置物と化してしまっている。

 誰もいないロータリーをぐるりと見渡すと、近くを流れる小さな川から、何者がこちらをのぞいていることに気づく。あれは、巨大なカエル、とその上に乗っている少年。僕は唐突に「仲良くなりたい」と呟いた。少年はタンクトップを着て、僕に向かってパチンコを構えている。近くにあった「戦争反対」の立て看板で身を隠しながら、そろりそろりと近づいていく。
「少し聞いて欲しいんだけど。」
急にカエルが口を開く。僕は咄嗟に
「お前が喋るんかい!」
と怒鳴る。それを無視してカエルは続けた。
「飛行機の匂いって結構いいけど、終盤、機内が乾燥して暖房が効きすぎてくると、気持ち悪さに変わるよね。」
僕は強く共感して、確かに、と頷く。
 するとその瞬間、巨大なカエルは風船のように膨れ上がって弾けた。エアー抽選機のようにカエルの体内を飛び回っていた桜の花びらが、自由になって空へ飛んでゆく。上に乗っていたタンクトップの少年は、カエルの破裂で空に飛び上がったが、上手に膝のクッションを使って衝撃を吸収した。自分の今の状況がわかっていないのか、寝ぼけたように目をこすりながらどこかへ走って行く。これはおそらく今年初の巨大な『共感ガエル』の出現。ついに生田にも春がやってきたのだ。

 小田急線に乗るため、僕は遥彼方に小さく見える生田駅を目指す。左右に店がぽつぽつと並んでいるが、店と店の距離があまりにも広いので、誰もここを商店街とは呼ばない。やはり駅に近づけば近づくほど、お客は増えていくようだ。ただ、ひとつ妙だったのが、ここは歩行者天国なのにも関わらず、誰も商店街の道の真ん中を歩いていない。ここは神様の通り道なのだろうか。

 ロータリーに一番近い場所に店を構えるのは、コンビニエンスストア。春の新商品の発売に合わせて、店の中はお祭り騒ぎだ。レジ台の上で日の丸の旗を持ったタヌキが歌い踊れば、周りで従業員たちが紙吹雪を投げて盛り立てる。彼らはもちろんお祭り役で採用されたアルバイトで、一方の社員組はそのリズムに合わせながらせっせと品出しを行う。アイスの冷凍庫からは菜の花が、ATMからは桜の木が太く生え、見頃を迎えている。客も満足そうだ。そう、こういうところを「いいコンビニ」というのだ。客の一人が嬉しそうに店を出てきて、自動ドアが開いた時、ふわりと甘いスイーツの匂いがした。どこか懐かしく、ワクワクするような気分になったが、何の匂いかは思い出せなかった。否、思い出そうとしなかった。
 町の花屋は今日も元気に花を売っている。店先には綺麗なツルツル頭が並び、そのてっぺんに一輪ずつ花が差してある。花を刺された人たちは皆晴れやかな表情で、春の風が葉を揺らすたびにくすぐったそうに笑う。店主がじょうろで水をあげると、まるで子供に戻ったかのような純粋な顔をした。店主はどうやらネガティブな方のようで、
「私まで禿げてると思われたらどうしよう…。」
とツルツルな頭をぽりぽり掻きむしりながら呟いていた。
「店長はフサフサ!店長はフサフサ!」
と花を刺された頭達が声を揃えて高い声で叫ぶ。ああ、なんという気遣い、優しさ、愛。僕は人間の美しさに思わず涙が出そうになって、僕は一生懸命「祖父のウエディングドレス姿」を想像して涙腺をつなぎ止める。
 老舗の大きな整形外科が15年前に潰れ、工事が始まってからしばらく経つ。概要には「亀之園邸」と書いてある。この広大な敷地にどんな家が立つんだろうと長年楽しみにしていたのだが、ついに工事現場を囲う壁も取り外され、その全貌を見ることができた。おお、とてもモダンな平屋だ。屋根の色は赤く、クリーム色の壁で、窓がところどころについている。庭も広く、家庭菜園も楽しめそうな十分なスペースがある。ただ———亀之園さんという方はそんなに背が低い方なのだろうか?僕はふいに、ゴキブリホイホイを買わなきゃだった、と思い出した。

 ロータリーを抜けてもう何時間歩いただろう、と思って時計を見てみるとバスの到着からまだ5分。頭がおかしくなりそうになる。鼓動がどんどん早くなり、血の気がひいてゆく。こういう時のために普段から背中に背負っているラジカセで気持ちを落ち着かせる。僕はゲルニカの「改造への躍動」のカセットをセットする。深呼吸をしながら、改札に向かうエスカレーターに乗る。少しずつ気持ちが落ち着いてきて、心拍も安定してくるのを実感する。すると、一段上に乗っているお婆さんが、突然後ろを振り向いた。目が合っている。今にも笑顔になりそうな、いわば「笑顔直前の真顔」だ。1秒、2秒と時間が経過する。何も起こらない。すると突然、お婆さんは思い出したように、しわくちゃの手で自分のことを指差しながら言った。
「おにく」
満面の笑みだった。このためにしばらく笑顔を我慢して溜め込んでいたかのような。戸川純がこの気まずい雰囲気を歌でつないでくれている。エスカレーターの終わり、お婆さんは笑顔のままエスカレーターの中に吸い込まれて消えてしまった。

 エスカレータをのぼった先は、今日も日本人だらけだ。辟易とする。見渡す限りの日本人。そう思った瞬間、これまで商店街にいた人たちが日本人であったという確信が薄れていく。気にも留めなかっただけで、彼らが日本人かどうか、という確認を僕はしただろうか?いや、していない。

改札の手前、「あーあ、なんか夢みたいなこと、起こらないかな。」とつぶやきながら、僕は改札にパスモをかざす。

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