noteを続けていきたいと思っている方に伝えたい1つのこと

わたしはこれまで13年ほどブログを書いてきたのですが、この度noteに引っ越してきました。
始めて2週間ですが、noteは楽しいですね。
いろいろな方が読んでくださっているのがわかりますし、そしてわたし自身もいろいろな方の記事を楽しく読ませていただいています。

さて、noteには書き方やビュー数の上げ方などのたくさんの方に読んでもらうようにする方法、書くネタの探し方などの続けていくための方法がいろいろ書かれています。
note公式からも「まずは書き続けよ」とのメッセージが出ていると思います。

確かに書くことが習慣となると、書かない日は気持ち悪いぐらいになりますし、ネタがなくても文字にすることができるようになると思います(経験談)。
noteに書くネタはなんでもいいようですし、実際わたしが拝見するに、たくさんの方がそれぞれ感じることや思うこと、考えたことを自由に書いているように見えます。
なので、読んでいて楽しいです。

そんな中、いろいろ読ませていただいて思うのは、長く続けていった先にあるものを想定して書くのもいいと思いまして、わたしが感じたことを1つここに書いてみます。

それは日本語表現。
数年後に読み返したときにも読みやすいものになっているか、です。
具体的には流行の言い回しを書いたり、スラングを多用したりすると、時間が経ってから読み返したときに「どうしてこんな文章にしちゃったんだろう…」となります。
というか、わたしはなりました。

言葉は生きていますので、言い回しやスラングは時代によってどんどん変わっていきます。
後から読み返したときに「当時はこの表現が流行ってたんだよな」と自分で思える人なら気にしなくていいです。
でも、その表現が後から読者になった方が読んだときに読みやすいものになっているかは別の話です。

わたしの場合は、読者の方が過去の記事を読んでくださったことを考えたとき、「こんな流行の表現の文章を読まれると恥ずかしいな」となり、読み返したときに気になるところは全部修正していました。

でも、過去の記事の修正って結構手間なんですよ。
その手間を減らすべく、最初からきれいな日本語表現で書いておくといいと思い、途中から意識を変えました。

読んでくださっている方のためには、文章は読みやすくあるべきだと思いますし、書いているものを読み返したときに「どうしてこんな言葉を書いちゃったんだろう」となってしまう内容だと、恥ずかしくていたたまれなくなります(わたしはよくジタバタしてました)。

具体的にどう変えたかというと、わたしの場合は「推しに読まれたときに恥ずかしい文章表現になっていないか」という視点にしました。
万が一でも読まれることはないのですが、でもいつ読まれるかわからないので、その前提で書くことにしました。

まあ、たまに勢いで書くときはありますし、おそらくそういう方が読んでいて楽しい記事になるかと思うのですが、それでもなるべく自分が思うきれいな日本語表現を意識していました。

わたし自身が正しい日本語表現を身につけているかというとアヤシイですが、まずは意識を変えることからスタートしました。
そうすることで、過去の記事を読み返したとき、恥ずかしくてジタバタしない記事が書けるようになりました。

たまに「あのときなんて書いたっけ」と読み返すことって普通にあると思うので、自分自身が読みやすいものにしておくと、その当時流行っていた表現を知らない読者の方も読みやすいものになっていると思います。

「恥ずかしい内容も自分が書いてきたものの歴史だから平気」という方もいらっしゃると思うのですが、わたしはええかっこしいで見栄っ張りなので、普段から他人の目をめちゃくちゃ気にするところがあります。
それがわたしの性格の一部でもあるのですが、それでも少なくとも読みやすいものにしておこうと思っています。

今はGoogle検索などでダイレクトに過去の記事に飛んでくることもありますので、あらかじめ少し先の未来を想定して書いておくと、それもまた長く続けられるコツかなと個人的は思います。

noteはきれいな表現で書く方が多いので、「それは大丈夫!」という方がほとんどかと思いますが、今日はnoteについてわたしが思うことを書きました。

それでは、またお目にかかります。

この記事が参加している募集

noteの書き方