美しいものを迎えにいく習慣。
最近、日記を書くようにしている。
日記の中には
【今日出会った美しいもの】
を入れるようにしているので
毎晩
その日出会った美しさについて
考えることになる
⚫️
すこし
実際の日記を
見返してみる。
見返すと
景色もあるし、香りもあるし、人もある
人が書いたものもある
誰かの洋服だとか、誰かの態度
なんてこともある。
ひらりとしたり
とろりとしたり
儚かったり
あいまいだったり
兆しのような場合や
輪郭がしっかりしている場合もある。
⚫️
美しいものには栄養があるんじゃないか
と
思う。
文化や芸術は
不必要なものだけど、、
という前置き的表現にたまに出会うけれど
本当にそうなのかな
と毎度思う。
文化や芸術こそ
人を人たらしめているものなんじゃないのかね。
人の心は
美しいものに触れないと
カラカラになってしまうんじゃないだろうか
そうやって潤いがなくなった心で
デオドラントされた世界に
僕らの用事ってあるんだろうか
⚫️
人は美しい瞬間をいつも待っているようなところがある。
と思う
1日の中の
ふとした親切や
垣間見えた人の心
景色
それに触れるたびに
自分の心が呼吸する
人間の生命活動に
呼吸が必要なように
人の心には
美しいものが必要なのだと
僕は思う
少なくとも
僕はそうで
なので日々の中で
美しさを迎えにいく練習をしております。
そんな目を持って世界を経験していけたらいいなと思う。
じゅん
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