友達といっしょに福山雅治のライブに行った話


私が福山雅治を好きになったのは小学生の頃だった。



姉と母がガリレオを見ている側で、ゲームをしていたのを覚えている。
当時の私は(今もだけど)芸能人には全く詳しくなく福山雅治も知らなかった。
頑なにガリレオを見ずにゲームをしていたのは姉と母が二人で盛り上がっているその輪に今さら入りたくなかったから。
その後、買い物へ行く車中で姉がレンタルショップで借りてきたCDをかけていた。
なんとなくその曲に耳を傾けていると姉がふいに、
「この人、さっき見てたドラマに出てた人だよ」
と言った。
これが私が福山雅治を福山雅治として認識した瞬間だった*。
その曲は忘れもしない「想 -new love new world-」。
今も昔も私が一番好きな福山雅治の曲だ。
福山雅治のファンになるきっかけはたくさんあると思うが 想 でファンになった人はたぶん少数派だと思う。
でもこの曲は最高にかっこよくて、ノリが良く、歌詞は哲学的で若干エロいけどライブで盛り上がるとても良い曲だ(もう一つ好きなポイントがあるけどこれを昔友達に言ったら爆笑されたので言わないようにしている) 。歩いて30分近くかかる下校中にこの曲の歌詞の解釈をしていたが今考えると小学生には少し難解だったように思う。
成長するにつれ、イク時はいっしょさなどの歌詞を理解できてしまうようになると少し気まずい感じがした。


その後、家のパソコンで福山雅治とタイプしありとあらゆる情報を検索した。
ニューアルバムが出るらしい、ラジオをやってるらしい、めっちゃイケメンやん……などなど。
小学生にして、四六時中福山雅治のことを考えていた。
そして、ニューアルバムが欲しい、そう思った。

私の家はお小遣い制ではなかったので、欲しいものがあったらその都度言って買ってもらっていた。
小学生が40歳のおじさんのアルバムを欲しいなんて言ったら両親はどんな反応をするんだろうか…。
うじうじと考え、福山雅治のアルバムが欲しいと両親に言い出すのはとても勇気が要った。どのように切り出したかは今ではもう覚えていないが、地元のCDショップに予約に行ってくれた父から特典付まだあったって!と連絡をもらった時、とても嬉しかったことを鮮明に覚えている。
アルバム「残響」は私が人生で初めて買ってもらったアルバムでそして初めての福山雅治のアルバムだった。
そして、私が一番好きな福山雅治のアルバムだ。
もう何回聞いたか分からないくらい聞いている。
全てが名曲。
最高のアルバムだ。
群青で始まり道標で終わる。
音楽が1曲という単位で消費されていく現代、アルバムという単位で聴くべき作品だ。
そしてアルバムを手にしてからしばらくして、私はライブに足を運ぶことになる。

20th ANNIVERSARY WE'RE BROS. TOUR 2009 道標。
私の地元にも福山雅治は来てくれた。
初めての福山雅治のライブにはパパと行った。
平日だったので学校があったが、わくわくしてそれどころではなかった。
あと数時間で福山雅治に会える!頭の中はそれでいっぱいだった。
学校が終わるのが待ちきれなかった。
会場へ向かう途中、ちょうど電車の広告に福山雅治がいて、目の前のその広告を見ながらあと数時間で本物に会えるのかと信じられない気持ちだった。

ライブ1曲目はアルバムの先頭を飾る群青だった。
イントロで舞台中央に現れた福山雅治を見た瞬間、
ああ、本当に実在したんだ………
と思った。
だって今までテレビや雑誌でしか見たことがなかったのにその人が今、肉眼で見える距離にいる。
とても信じられなかった。
さらに追い討ちをかけるように群青の初めのフレーズ、「愛すべきものを守るために」という歌声を聞いた瞬間、文字通り、体がしびれた。
それだけで涙が出そうなくらい素晴らしい歌声だった。
目の前に福山雅治がいるという現実が受け止められなかった。

初めての福山雅治のライブは 最高 その一言に尽きた。
ライブの翌日の学校でも、余韻に浸りすぎて全く勉強に身が入らなかった。
昨日は福山雅治のライブに行ってたんだ〜ふふふ
とずっと考えていた。

余談だが当時小学生だった私は、このライブでたった1つだけ心残りがあった。それは想の曲中に落ちてくる紙飛行機を手に入れられなかったことだった。
とても必死だったが予想外の方向に上から降ってくる紙飛行機は私が小学生で身長が低かったこともあり手に入れることは難しかった。
今思うと無謀も無謀なのだが、あまりにもこのことが心残りで家に帰って福山雅治のラジオ宛にあの紙飛行機を下さいと長々と手紙を書いた。(そしてその後本気で返事が来ると思ってしばらくポストの郵便を見るのを楽しみにしていた)。当時の私は本気だった...。


アルバム発売と同時期にカドカワの福山雅治特集本が出版されていた。欲しくて欲しくてたまらなかったがどうしても親に言い出せず、一度は諦めた。
理解してもらえるか分からないが、自分の好きなものを親に知られる瞬間は私にとってはとても恥ずかしくて怖いことだった。今でもそうだ。たぶん、信頼している大好きな人たちに否定されるのが怖いんだと思う。
数日悶々と悩み、やっぱり欲しい!!!と意を決して親に言った。意外とあっさり、いいよと言われた(今思うと私の必死さに少し笑い混じりだった気がする)。行きつけの書店ではラスト1冊だったことを思い出し迅る気持ちを胸に書店へ急いだ。カドカワを無事に手にした後は、擦り切れるくらい読み込んだ。
今でもこのカドカワは下宿先のアパートの本棚に置いてある。
表紙や巻頭特集のクールでかっこいい福山雅治とは裏腹に中のインタビューや特集記事は小学生には理解が難しいくらい高度な下ネタから理解できるくらいの小学生レベルの下ネタまでふんだんに盛り込まれており表紙の人物と記事の中の人物は同一人物なのかと何度も疑った。
ラジオを聴き始めたのもこの頃だったと思う。ラジオの福山雅治は世間がイメージする(?)の福山雅治とのギャップがすごい。日曜の夕方*2という時間帯からよくドライブ帰りに家族と一緒にラジオを聞いていた。そのラジオを車中でパパと聞いていた時に車内が気まずい空気になったことは一度や二度のことではない。
一人で聞く分には楽しいけど、親と一緒に聞く下ネタなんて最悪だ。
親とドライブ中にラジオを聞いていた時はいつも心の中でお願い、今日は下ネタひかえめにして…!と願っていた。大体この願いは外れた。

それからたくさんのライブに足を運んだ。
当時田舎の小学校に通っていた私の周りにはお母さんがファンという人ならいたかもしれないが同級生に福山雅治が好きという子はいなかった。そしてその後成長し、中学、高校と進んでも不運なことに出会わなかった。大体、周りがみんな嵐の誰が好き?という会話をしている中で、福山雅治とは言い出しづらい。そんな中、私が高校生の時福山雅治はなんと10代限定ライブというものを企画してくれたのである。高校3年の夏がなんだ、受験がなんだ、福山雅治の10代限定ライブがあるなら私は行く、ということで母と共に上京し参加した。会場に入るための列に、私と同じ世代の子たちがたっくさん並んでいるのを見て、信じられないくらい感動した。同時に、友達と一緒に参加している子が羨ましかった。私は母と一緒に来たが、10代限定ライブなのでライブは一人参加だったからだ。
このライブの福山雅治は普段のライブでの福山雅治とは少し違っていた。みんなのお兄さんという感じでなんだか嬉しかった。曲と曲の間にどこからか聞こえて来た、ねえそれ何飲んでるのー??という普段のライブではまず上がらないような無邪気な質問にも笑顔で答えてくれていた。ほんとに大切な思い出をありがとう。


ライブにはほとんど父と、そしてたまに姉と行った。今考えると家族4人みんなでライブに行ったのは1回だけだった。しかしこのライブでは思いがけない出来事があった。

福山雅治と目があったのである。

いやいやいや勘違いでしょ...みたいな声がすぐ聞こえてくるが、私は、目が合った、と信じている。
その日、運がいいことに私たち家族は花道の隣だった。来るかな〜来るかな〜とワクワクしてライブ開幕を待っていたが、現実になると誰が想像しただろう。曲の間奏で福山雅治はこちらに向かってきたのである。
福山雅治のライブは女性の割合が高い。最近は男性限定ライブなども開催し男性ファンの姿を見ることが増えたが、この当時はまだ女性ファンが圧倒的だった。その中に家族連れ、しかも父がいた!想像してもらえればわかると思うが、女性の中で一人、おじさんがぴょんぴょんしているととても目立つ。そんなわけで福山雅治はこちらを向き、父含め私たち家族は福山雅治と目があった。そう信じている。間近で見た福山雅治は信じられないくらいかっこよかった。あの時が人生で一番福山雅治に近かった瞬間だろう。次の日も感動が忘れられずにふわふわしていたのは言うまでもない。

大学生になってから、友人に恵まれた。
同じ漫画が好きだったり、語学に興味がある人だったり気の合う友人が何人かできた。
その中でも特に仲が良かった子と去年の年末に福山雅治のライブに行った。
この記事はそのライブ終了後興奮冷めやらぬ中、書き始めたのだが書き終わるまでに気がついたらこんなに時間が経ってしまっていた。
私はその子に出会ってからそれほど時間が経たない内に、その子が人の好きなものを笑ったりしないと十分に信頼していたので、私が福山雅治のファンであるということを打ち明けていた。言った時は、実は私も!という答えが返ってはこないかと少し期待したが、残念ながらこれまでの人たちと同じように彼女はファンではなかった。それでも、とやかく言うことなく、へーそうなんだ〜と優しく聞いてくれた。少し状況が変わったのは2年前、福山雅治があるアニメの主題歌を歌った時だ。その漫画は私たち2人共大好きだったのでその時から2人の間で福山雅治の話題が出るようになった。そしてその頃、福山雅治はドームライブを行なっていた。私はもちろん参加したかったが、下宿先から近い会場にまで家族は一緒に来てくれず、かと言って1人で行く勇気もなく、仕方なく諦めていた。しかし、その時にその子の顔が思い浮かんだ。会場はその子の家から近かったし、おそらくそのアニメの曲も演奏するだろうと思ったのでダメもとで聞いてみることにした。なぜダメもとだったかというと、ファンならともかく、ライブのチケットはノリで買えるほど大学生には安くない。
それでもなんとその子は行く行く〜!とオッケーしてくれたのである。
これが、私が初めて友達と一緒に行った福山雅治のライブだった。
暑い5月の日だった。

その年の夏から私たち2人はお互い別々の国に留学していたので次に日本で会ったのは去年の夏だった。
会うたびに口癖のように卒論がやばいと言いながら毎日を過ごしていた。特に何も書き進めないまま秋になり、12月の提出日が割とすぐなのではないかと焦燥感に駆られていた。今思い出しても去年のような秋と冬は二度と経験したくない。なぜこんな話になったのか覚えていないが、いつからか卒論提出したら東京に遊びに行こうと言っていた。そして割と早い段階で福山雅治の年末ライブに行こう!という話になっていた(福山雅治は毎年、年末に横浜でライブをしている)。私が思うに、東京に住んでいる人が、横浜で行われるライブに行くのと、関西に住んでいる人が泊まりがけでしかも年末に東京まで行き、ライブに行くのはハードルが全く違うと思う。そしてそのハードルを私の友人は軽々と越えてくれた。しかもチケットが2日当たったので2日連続で。
一緒に行ってくれて本当にありがとう。楽しかった!!!

その日、ライブ帰りの疲れと静かな高揚感とともに眠りにつこうとした時、ふと、小学生だった頃の私に、将来、一緒にライブに行ってくれる友達に出会うよと教えてあげたくなった。当時の私はどんな反応をするだろうか。
大学生になるまで出会えないの???という失望かほんとに!??という歓喜か。
たぶん後者だと思う。あの頃の世界は私にはとても狭く(6年間クラス替えなんてなかったし)、SNSだって今ほど発達していなかったから同世代のファンの友達なんて見つけられないと思っていた。でも、中学、高校と進むにつれて少しずつ世界は広がっていき様々な人と出会った。そして大学生最後の冬休みに、友達と一緒に福山雅治のライブに行くことができるなんて想像さえしなかった。とても幸せだ。

今大好きなものに共感してくれる人が周りにいなくても、成長していくうちに世界は広がりいつか趣味の合う友人を見つけることができる。
自分はひとりだと思っている人、とりわけ狭い世界で青春を過ごしている昔の私のような人に届いたらいいな。



*今調べたところガリレオの放送は2007年秋であり私が福山雅治を好きになったきっかけの曲である想のリリースは2008年秋だった。姉はガリレオの再放送を見ていたのだろうか...

*2 当時は日曜の夕方だった

この2曲だけでもぜひ聴いてね!


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