死にかけて、死んだ事にした野性爆弾のファンの女の話

私は、20歳の頃から野性爆弾のファンをやっていた。
野性爆弾の川島さんに本気で恋をしていた。
本気で、だ。
私は、御年35歳。

かつてルミネtheよしもとで開催されていた
古(いにしえ)のライブ『芸人定食』にて、
野爆川島オリジナルゲーム「おぶさりさん」(内容: 赤子をおぶさり、おぶさった赤子を殺さないようにする)という不謹慎かつ奇怪なゲームでの赤子安否確認のセリフ
川島「……死んでる…!!!」
を聞いてケラケラ笑い転げていた時に、
この人に付いていけば私の人生はもしかしたらとてつもなく楽しくなるのではないか、と直感した。

川島さんの60分のライブの為に、
川島さんのたった10分の出番の為に、
東北の僻地から関東へ関西へ毎月何度も遠征した。

ある日、企画ライブの罰ゲームで「客を罵倒する」、という罰ゲームが川島さんに下った。
たくさんの客さんの中から私が罵倒要員に抜擢された。
川島さんは私の目をまっすぐ見、
『ううわ!お前絶対処女やろ!!』と罵った。



完全に恋に落ちてしまった。



どーすっぺ。これから私の人生はこの人中心になる。


それからも、川島さんのライブがあれば東京でも大阪でも北海道でも何度も何度も遠征した。
バンドのライブにも遠征し、足しげく通った。
なんならバンドやってる時の川島さんが一番好きだった。

数えきれないほどのサインをもらって、
数えきれないほどのツーショットを撮って、
数えきれないほどの逆セクハラをさせていただき、
数えきれないほどの私物を奪い、
そしてなにより
数えきれないほどの幸せをもらった。
ありきたりでキモチワルイ言い方になるが、
川島さんがくれた全てが私の宝物だった。

そんなこんながきっかけで
明石家さんまさんの番組にも出演させていただき、
番組の流れで『川島さんのチンコが触りたい』という純粋な要望を述べた。
目の前にいるスタッフ様が【チンコはダメ】というカンペを大きく高く掲げていらっしゃった。

「チンコはダメだからほっぺにキッスでいいね?」という俺得すぎる提案を河本様がして下さったおかげで
ほっぺにキッスをしてもらった。きゃっきゃっ。


ほっぺにキッスで示談成立したはずなのに
結局チンコ触っちった。

番組内で川島さんのちんぽこを触った事により、
関西をはじめとした全国のお茶の間に恐怖を植え付けてしまった。皆様、子ら、大変申し訳ございません。


私の夢は「テレビに出て、笑いをとる事」だった。

川島さんが私の夢を叶えてくれた。

私のクソみたいな人生を「こいつバケモンなんですよぉ!」と言いながら地獄から救い出してくれた。

野性爆弾はブレイクし、
川島さんは本格的に「テレビの人」になった。
歌舞伎町等の地下で夜な夜な奇っ怪なライブをやっていたアングラの人ではない、テレビの人になった。
川島さんにとって嬉しい知らせは、
私にとってはさみしい知らせだった。

ライブ中に沢山の野菜をナイフで切り、客席に向かって人参の頭をスッ飛ばしていた川島さんも、
「もし道端にチンコが落ちてて、それを拾って水槽で飼ったらどう泳ぐんだろう」と後輩と真剣に語り合っていた川島さんも、
「皆様からいただいたアンケートは
シコティッシュとして活用させていただきます。」とアナウンスしていた川島さんも、
「川島さん、普段口ではカッコつけてカッコイイ事言うけど何もしてくれない」とハブサービスにクレームを付けられていた川島さんも、
暗い血色の照明の中でちんぽこを切って七輪で焼いてハフハフ食べていた川島さんも、
もういないんだ。もう見れないんだ。

それだけの事かもしれないが、
それだけの事で毎日泣いていた。
本気で泣いていた。
そんな川島さんが本気で好きだったから。

毎晩川島さんの夢を見て、
毎朝「夢か…」とボロボロ泣きながら起きる日々がひたすら続いた。
どうだ、キモチワルイだろう。

わたくしの人生はちゃんと元の地獄に戻ってしまった。



私は今まで続けてきたSNSから姿をくらますようになった。

SNSから姿をくらましている間、
なんか一気にいろんな病気になってしまった。
決して決して決して決して川島さんのせいではない、
人生がそういう運命だったんだろう。

仕事の事、病気の辛さ、その他諸々諸々諸々が重なって、
自殺を試み……てない。
自殺を試みました!なんて言ったら河原の上流にあるタイプのデケェ石を投げられるので内緒にしておくとして、
やはり後遺症は遺った上に
更に病気が悪化し、新しい病気も仲間入りしてしまった。
全て、本当に全て私が悪いのですが。
見えない病気。見えないからこそ辛い。

こんな状態で川島さんに合わす顔もないので、
私は私を死んだ事にした。

川島さんの脳味噌からも消え去って、とっくに川島さんの中では死んでると思うけど。

かつての元気モリモリだった私は死んだけど
「人体」そのものは殺しきれてなくて、
薬漬けで無様に生きている。(ちゃんとした病院の薬でございます)

かつての元気モリモリだった頃の自分を
今現在の自分がどう頑張っても、どうあがいても超えられないと確信した。し、
思うように動いてくれない脳みそと体に日々その事実を突き付けられる。

川島さんは私の事を「バケモン」と呼んでいた。
よりガチめのバケモンになった私を
また「バケモン」と呼んでくれる日が来るだろうか。


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