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【みほとせ→乱舞祭'17】考察:にっかり青江の軌跡と再話される物語(前)

その刀剣男士は、かつて、心情を語らない方が「彼らしい」と言われた。
それゆえにお蔵入りになった楽曲もあった。
そんな彼が心のヴェールを脱ぐことがあるのなら、それはどんな時だろう?その時何が起きるだろう?

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本稿は、ミュージカル刀剣乱舞の「真剣乱舞祭 2017」と「歌合 乱舞狂乱2019」の「菊花輪舞」の作品理解を深めるため、百物語の歴史と雨月物語について調査したことをまとめる予定でした。

筆者がもだもだしている間に「にっかり青江 単騎出陣」が始まり、書きたいことも増えたので記事の方向性を少し変えました。

本稿は、ニッカリ青江という刀剣と、刀ミュのにっかり青江の足跡について振り返りつつ、古典文学や古典芸能について調べたことをもとに
「三百年の子守唄」
「真剣乱舞祭2017」

について、気付いたことをまとめたレポートのようなものです。

前編です。
本当は1記事にしたかったのですが、現在進行形で情報の取捨選択に時間がかかってしまっているため、分けることにしました。

後編では「菊花輪舞」「にっかり青江単騎出陣」を中心に「葵咲本記」「壽 乱舞音曲祭」についても書いています。秋頃にアップしたいと思っています。

前作「考察①:刀ミュ式夢幻能<小狐幻影抄>調査報告」と構成を寄せています。記述(特に能楽方面)が若干被っているところもあるかもしれませんがご了承ください。

おことわり

①筆者は歴史研究や芸能研究に関しては素人です。
今回の考察を書くにあたり、複数の資料を参考にしていますが、最新の学説に基づいていなかったり、筆者が読み違えている可能性もあります。
この記事は「いちファンが書いた感想」「調べものまとめ」として見ていただけますと幸いですが、ミスに対してのご指摘は大歓迎です…!

②本稿では「にっかり青江 単騎出陣」「東京心覚」の内容には一切触れていません。

③文章の性質上、ミュージカル「刀剣乱舞」シリーズの下記公演に関する情報が含まれます。ご留意の上お読みください。

「三百年の子守唄(2019)」
「真剣乱舞祭2017」
「三百年の子守唄(2017)」

1.刀ミュのにっかり青江のこれまで

にっかり青江は、ミュージカル「刀剣乱舞」の第3作目である「三百年(みほとせ)の子守唄」で初登場し、以降、下記の公演に出演しています。

2017年
★「三百年の子守唄」
♪「真剣乱舞祭2017」
2018年
♪「真剣乱舞祭2018」
2019年
★「三百年の子守唄 再演 2019」
♪「歌合 乱舞狂乱2019」
2021年
♪「壽 乱舞音曲祭」(※ビデオメッセージとして)
★「にっかり青江 単騎出陣」
            (★:ミュージカル公演 / ♪:ライブ公演)

メインテーマ「刀剣乱舞」では、刀剣男士それぞれに自己紹介のようなソロパートが充て振られていますが、青江のソロパートの歌詞はこちらのとおり。

青き血の薫り 闇に満ちていく さあ斬り合おう
(※中略)
朧夜に柳吹く さあ笑いなよ

(出典:茅野イサム 作詞「刀剣乱舞~三百年の子守唄~」)

1番は、実戦刀としての矜持を感じさせるような歌詞。(※「青き血」を英語にすると「blue blood」になると思いますが、「blue blood」には「高貴な血筋」という意味もあります)
2番は「にっかり」という号(※刀剣固有の名前を「号」といいます)の由来となった伝承を感じさせてくれる歌詞です。

2.刀剣の「ニッカリ青江」について

刀剣男士・にっかり青江のモチーフになった刀剣は現存します。
重要美術品「刀 大磨上無銘 金象嵌銘 羽柴五郎左衛門尉長(名物 ニッカリ)」は、2021年7月現在、香川県丸亀市の丸亀市立資料館に所蔵されています。
(丸亀市の公式ウェブサイトでは「ニッカリ青江脇指」と書かれています)

作者は不明ですが、鎌倉時代からはじまる刀鍛冶の一派閥、「青江一派」に属する「貞次」という刀工の作であるという説が有力だそうです。



現在の岡山県倉敷市に青江という地名があります。
この地に居を構えていた備中国の刀工たちは「青江一派(青江一門 / 青江派)」と呼びならわされてきました。
青江一派は時代によってさらに「古青江」「中青江」「末青江」に分類されるのですが、にっかり青江の作者とされる貞次は中青江です。
古青江の刀鍛冶の中にも貞次という人がいますが、にっかり青江の作者とは別人のようです。

「刀剣乱舞」に登場する青江一派の刀剣といえば「にっかり青江」「数珠丸恒次」
数珠丸恒次は「天下五剣」のひとつに数えられる名刀で、古青江の刀鍛冶である恒次の作とされています。
(刀鍛冶の系譜を見ていくと、恒次と、先述の古青江の貞次は兄弟だったようです。ともに後鳥羽上皇の御番鍛冶に選ばれるほどの名工だったとされています)

「青江物」が持つ最大の特徴は、青く澄んだ地鉄の中に見える黒の斑点のようなものです。これは「澄肌(青江肌/鯰肌/墨肌/澄みがね/鏡鉄)」と呼ばれます。
もともと備中物は備前物の刀剣とよく似ていたそうなのですが、上記の古青江の貞次や恒次らが活躍した頃の作から「澄肌」が顕著に表れるようになったそうです。いわゆる「青江風」な作風が確立したのは古青江の頃だったのではないでしょうか。

そしてゲーム内世界では語られませんが、現実世界の「太郎太刀」は、末青江の刀工の作であるようです。太郎太刀の刀身は、愛知県名古屋市の熱田神宮宝物館で展示されているのですが「末之青江」という銘が刻まれています。

▼2-a.「大磨上」と「無銘」

南北朝時代の戦争は、それまでと同様に騎兵による戦闘がメインだったので、馬に乗りながらも使いやすい長さの「太刀」が求められていました。
ところが、時代が下るにつれて戦争の形が変わり、戦闘も歩兵によるものがメインになります。それに従い「太刀」よりも短めの「刀」が有用になります。そこで、太刀を扱いやすいように短く「磨上げ」られることも出てきました。

「三百年の子守唄」に登場する刀剣男士のうち、にっかり青江と大倶利伽羅のモチーフとなった
「刀 大磨上無銘 金象嵌銘 羽柴五郎左衛門尉長(名物 ニッカリ)」と
「刀 無銘 相州広光(名物 大倶利伽羅広光)」は「磨上」がなされた刀剣とされます。
しかも只の「磨上」じゃありません。「大磨上」です。
作刀され当時には茎に刻まれていたかもしれない「貞次」「廣光」というような銘がまったく残っていないのです。

「三百年の子守唄(2017)」の第2部では、にっかり青江と大倶利伽羅……つまり無銘大磨上の二振りによるデュエットナンバーがあります。
「Nameless Fighter」というのですが、この曲名、「Nameless(無名)」「無銘」を掛けてるんじゃないか……って考察しているファンは少なくないようです。うまい曲名だなぁ。

▼2-b.にっかり青江未使用説

大磨上されたにっかり青江は、さぞかし実戦で大活躍したのだろうなぁ…と思いきや、2015年10月21日付/11日付のにっかり青江ファンのツイートの中に驚くべき証言が見つけました。
丸亀市の刀剣保存会の方が「保存状態から考えると、ニッカリ青江は一度も実戦で使われていない可能性がある」という話をしていたそうなのです……

にっかり青江の原作ゲームのセリフの中には、以下のように、戦いの経験の豊富さを感じさせるものもありますが

「戦慣れはしてるからね」
「刀は戦に出てこそだよ」
「嗅ぎ慣れたにおい、血のにおい、戦のにおいだ……」

(出典:「刀剣乱舞 -ONLINE-」)

未使用説を踏まえた上で、改めてにっかり青江のセリフを聞いてみると、なんだかブラフ、いや、まるで自虐っぽくも聞こえてきます。

「刀剣乱舞」という作品は、必ずしも史実や真説ばかりを採用しているわけではありません。
「刀剣乱舞のにっかり青江」は、セリフが示す通り、バリバリの実戦刀だったかもしれませんし、実はそうではないのかもしれません。
真実や如何に。

▼2-c.「にっかり」の由来になった逸話とは

「にっかり」って不思議な響きの言葉ですよね。
「にっこり」でも「にたり」でも「にやり」でもなくて「にっかり」
おそらく笑んでいる状態・心情を表す副詞だと思うのですが、具体的にどういう「笑顔」を指すんだろう?
「にっかり」「にたり」「にやり」とはどう違うんだろう?
日本語辞書では見つけられなかったのですが、古語?で、かつ、方言?とかなんだろうか……

中青江の大脇差に、そんな「にっかり」という号が付与されることになった逸話は複数の書物にて確認できます。
網羅はできませんでしたが、ウェブ上で確認できたものを中心に挙げていきます。

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①羽皐隠史「詳註刀剣名物帳」(1913年)

これは、徳川幕府8代目将軍・吉宗の命により本阿弥光忠が編纂した「享保名物帳」という刀剣台帳の写本のひとつです(「享保名物帳」の原本は現存していないようです)。
1914年に刊行されたものを国立国会図書館DCで読むことができます。

江州の八幡山部(現在の滋賀県近江八幡市)を治める中島修理太夫という者がいた。領内に化け物が出るという噂があり、夜になって見に行くと、幼い子供を抱いた女と出くわした。
女は石灯籠のところにくると、にっかりにっかりと笑って、子供に「殿様に抱いていただきなさい」と言った。子供が寄ってきたので、中島は子供を斬った。すると今度は女が「私が行って抱かれよう」と中島の元へ寄ってきたので、これも斬った。夜が明けて改めてそこに行くと、石塔が二基あって、首と思しき場所から斬り落とされていた。
その場所ではその後、化け物が出るということは無かったという。

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②松平頼平「京極家重代珥加理刀之記録」(1918年)

これは、刀剣鑑定家として知られていた旧守山藩(現在の福島県郡山市)の藩主・松平頼平子爵が、京極高徳子爵の求めにより書いた文書のようです。

近江国の長光寺というところで、丹後守という人が(京極家の先祖・佐々木家の者で、渡辺綱の子孫とされる)青江貞次の刀で化け物を斬った。
…という話がまず最初にあります。
(※渡辺綱は、髭切の太刀を用いて鬼女の腕を斬ったとされる人物です)

続いて、歴代の青江貞次の刀の持ち主について書かれており、そして豊臣秀吉がその刀を大層愛し「珥加理(ニカリ)」と名付け、刀を磨上した、ということが書いてあります。
「珥加理」とは、「莞爾(かんじ/ニッコリ)」という意味の言葉だそうです。

なぜ珥加理と名付けられたかは末尾にある……と書いていましたが、どれがその末尾に該当する部分なのか判断できませんでした。

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③「仁川加里由緒書」(江戸時代?)

2016年に香川県立ミュージアムで開催された「KATANA-刀剣を楽しむ3つの見方-」で展示された、にっかり青江に付属するとされている古文書です。

京極家の先祖である近江源氏・佐々木氏の者が、近江佐々木明神に現れたにつかりと笑う化け物を退治した話が載っているようです。

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④熊沢猪太郎「武将感状記」(1716年)

逸話集です。熊沢猪太郎という人物の身元は明らかになっていません。
博文館から1941年に出版されたものを国立国会図書館DCにて読むことができます。

にっかり青江に関するエピソードは、浅野長政の従者とその刀の話に見られます。
伊勢に使わされた従者が、その途中で墓所の石仏がある辺りを夜に通ったところ、にかりにかりと笑う化け物が現れたので、刀で化け物を斬った。帰り道で同じ場所を通ったら、石仏の頭から流血しているのが見つかった。刀には血が付き、石で擦ったような跡もあるが刃は欠けなかった。
……という話のようです。
そしてその不思議な話は太閤秀吉も知るところとなり、秀吉がその刀を取り寄せて検分したところ、刀は青江の作だったとか。刀は「にかり」と呼ばれるようになり、そして今「にかり」の刀は京極若狭守が持っている。……とか。

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⑤「語伝集」(~1868年?)
(フォロイーのkirik*さん(@kirik_nya)ご紹介のものです。ありがとうございました✨)

こちらは作者名も不明のようです。
書物自体は、江戸時代(1749~1868年)に国学の研究と史料編纂を行っていた和学講談所という施設に所蔵されていたようです。

内容としては、先の「武将感状記」とほぼ同じなのですが、違う部分もあります。
「語伝集」では、長政の従者は伊勢に行く時と帰る時に、同じ場所で怪異と出くわし、それを斬ったら頭部に血のついた石仏が見つかった…とあります。
そして「にかり」の刀は、青江ではなく美濃国の関鍛冶の作だそうです。

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⑥湯浅元禎「常山紀談」(1770年?)

にっかり青江の話が載っているという噂をネット上で見かけましたが、載っていない可能性が高いです。該当の部分を見つけられませんでした。

国立国会図書館DCに載っている、有朋堂から1912年に出版されたものと、

こちらのブログオーナーが確認したものと同じ1992年に和泉書院から出版されたものを読んでみたのですが、
「青江の刀で化け物を斬った」話は見つけられませんでした。

ただし、私の目が節穴である可能性は否定できませんので、もし、常山紀談のここににっかり青江の逸話が載ってるよー!ということをご存じの方がいましたら、教えていただけますと幸いです……


「常山紀談」は、国枝清軒という人物が1681年に編纂した「武辺咄聞書」をベースにしているという情報を得たので、1990年に和泉古典文庫から出た「武辺咄聞書」の翻刻版を読んでみました。

こちらにも「青江の刀で化け物を斬った」話は見つけられませんでした。


……といったところで、資料紹介を終わりたいと思います。

にっかり青江の逸話はどこから始まったか、ということは分かりませんでしたが、江戸時代に成立した書物に書き記されているものが多く残っている……ということは分かりました。


では、ここからは刀ミュのにっかり青江について振り返っていきます。

3.「三百年の子守唄」のにっかり青江

にっかり青江が刀ミュに登場したのは、2017年に上演された3作目の本公演「三百年の子守唄」から。
この作品では、歴史を守るために刀剣男士たちが人間の子を育てます。

時間遡行軍の襲撃に遭った岡崎城から辛くも助け出された赤ん坊は、竹千代———後の徳川家康でした。
刀剣男士たちは、遡行軍に殺された三河武士や、本来生まれてくるはずだった彼らの子どもたち———つまり徳川家康の家臣に成り代わり、歴史を守るために、家康を育て、支え、その人生の最期まで見守ります。

登場する刀剣男士は、石切丸、にっかり青江、千子村正、蜻蛉切、物吉貞宗、大倶利伽羅の6振りです。

▼3-a.神剣までの道

にっかり青江は「刀剣乱舞」の中で石切丸と一つ大きな繋がりを持っています。原作ゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」で、特殊会話があるのです。

にっかり青江「僕はなんで神剣になれないんだろう」
石切丸「霊とはいえ、幼子を斬った」
にっかり青江「やっぱりそれかぁ」
石切丸「なんてね。何百年かすれば、またかわるかもしれないよ」

(出典:「刀剣乱舞-ONLINE-」より「回想9 神剣までの道」)

青江が「僕はなんで神剣になれないんだろう」と「御神刀」である石切丸に問いかけるところから始まるのですが、青江の感情を声から読みとることは困難です。

神剣になりたいのか、
神剣になれない理由を確かめたいのか、
神剣とそうでない刀剣の違いを見定めたいのか……どうなのか……

私は、この回想を見た時に思いました。
もしかして、青江は神様のものを斬ったから神剣になれない(と思っている)のでは……?と。

▼3-b.幼い子どもは神様のもの?

民俗学者の柳田邦男氏が提唱したことで知られるようになった「七歳までは神の子」というような主張があります。
「神に代りて来る」という論考に書かれた「七歳になる迄は子供は神さまだと謂って居る地方があります」から始まる記述です。

私は柳田邦男氏の論考そのものは知らなかったのですが、それから派生したと思われる「7歳までの子は神様のものなので、彼岸に連れていかれやすい」という都市伝説で聞き知っていました。

ですので、このエントリを書く前に、改めて「七歳までは神の子」を調べてみました。すると、どうやら柳田氏の主張は、確たる根拠は無いかもしれない、ということが見えてきました。

近世史学者の柴田純氏による”七つ前は神のうち”は本当か-日本幼児史考-という論考が大変興味深かったのでご紹介します。

柴田氏は「七歳までは神の子」という柳田氏の主張は「七歳未満ノ小児ハ無服忌」……つまり、7歳未満の子供は喪に伏す必要は無いという明治時代の条文が関係して出来た説ではないか?と考えているようです。

近代以前の日本では、人が死ぬと「物忌み」が行われてきたのですが、
小児の死亡率は極めて高く、
小児保護・愛育の概念は明治以前の日本には根付いておらず、
そして、小さな子どもは儀式の進行(儀式を遅滞なく行うことは、極めて重要なこととされていたようです)が滞る原因になることもあった。

以上の理由から、小さな子供は、責任能力が無いものと見なして公的に「物忌み」が免除されたそうなのです。
そして、神仏に何か不敬をやらかしたとしても、小さい子供は責任能力が無いと見なして許す(あるいはスルーする)……と。
だから7歳未満の子が死んでも親族は喪に付さなくていいし、逆に7歳未満の子も親族の死で喪に伏す必要はない、と。

そして、この制度はあくまでも「制度」であり、7歳未満の子供に対して「聖性」や「神性」を付加する宗教的なものではなかった、と。

つまり、にっかり青江は、子どもの霊を斬ったかもしれませんが、イコール神様のものを斬ったというわけではない……と考えることもできますね!
きいてますか青江!?きいてますか!!!

……これは私の妄想ですが、
石切丸は、そういった人間たちの認識の変容も全部全部知っているから「何百年かすれば、またかわるかもしれないよ」って青江に言ったんじゃないかな……

なんてね!!!!!!!!!!

▼3-c.歴史というしがらみ

回想「神剣までの道」では、自らの過去を想い、悩んでいるふうな青江に「まだ誰も知らない未来の可能性」という希望を石切丸は提示しました。

そして「三百年の子守唄」の序盤。
時間遡行軍に襲撃された岡崎城から竹千代(後の徳川家康)を助け出した後、青江は、初めて抱きかかえた赤ん坊の温もりと感触に心動かされ、しかし、武器として血を浴び続けた己の在り様を思い、まるで自虐するような言葉を漏らすのです。

ですが、そんな青江に石切丸はここでも希望の光を灯しました。

石切丸:前に私に聞いたことがあったよね。僕はどうして神剣になれないんだろうって。
青江:ああ、きみはこう答えた…霊とはいえ、幼子を斬ったからだと。
石切丸:…。
青江:…それがどうかしたのかい?
石切丸:…徳川家康…彼は神になるんだ。
青江:…え?
石切丸:…君は…神の子を助けたんだよ。

(出典:御笠ノ忠次,「刀剣乱舞-ONLINE-」より(DMM GAMES/Nitroplus)「戯曲 ミュージカル「刀剣乱舞」 三百年の子守唄」,2019年,集英社)

青江は過去に幼子の霊を斬ったかもしれないけど、それに縛られ続ける必要はない。今度は幼子を護れたのだと。新しい物語が今ここで芽吹いたのだと、石切丸は青江にそう気付かせてくれたのでした。

ところが、続く物語では今度は石切丸が「為すべき役割」に縛られ、追い詰められていきます。

石切丸は、病を治したいという人々の願いを聞き届けてきた「御神刀」です。
しかし、歴史を守るという使命のため「徳川家康の家臣」「服部半蔵」の役割を担い、いくさで人の命を奪い、大切に育てた愛し子――信康も手に掛けなくてはならなくなる。

服部半蔵は、徳川家康の重臣であると同時に、その長男・信康の介錯をした人物ですが(※刀ミュでは介錯をした説を採用していますが、諸説あります)、
本作の序盤で、石切丸はその「服部半蔵」の役割を担うことを誰に相談することもなく、率先して選びます。
そこには、子殺しの咎のようなものを仲間たちに背負わせたくない……そんな彼の果てしない優しさと覚悟があるように感じました。

しかし時間が進み、信康が生まれ、育ち、そして死ぬ日が近づくにつれ、石切丸は「あらかじめ定められた重責」に押しつぶされそうになっていきます。

石切丸:信康さんが立派な人間に成長していけばいくほど、
これで良いのだろうかという思いに苛まれた。
私はいったい何のために彼の傍にいるのだろう?
私はいったい何をやっているのだろう。何か他にも道があったのではないか…そんな思いも抱いて…。

(出典:御笠ノ忠次,「刀剣乱舞-ONLINE-」より(DMM GAMES/Nitroplus)「戯曲 ミュージカル「刀剣乱舞」 三百年の子守唄」,2019年,集英社)

石切丸の様子がおかしいことにいち早く気付いたのは青江でした。
彼は「服部半蔵」が信康の介錯を行う運命にあるということにも早々に気付いていたのでしょう、石切丸の動向をずっと気にかけます。

そして「その日」―――服部半蔵が信康を斬る日、覚悟を決めた石切丸は、刀剣男士として為すべきことをするために信康の元へと向かいます。
青江は動揺する仲間たちへこのような言葉を掛け、自らの意思を表明し、石切丸の背を追ったのでした。

青江:…分け合える時は分け合おうと思うんだ…悲しい役割はね。

(出典:御笠ノ忠次,「刀剣乱舞-ONLINE-」より(DMM GAMES/Nitroplus)「戯曲 ミュージカル「刀剣乱舞」 三百年の子守唄」,2019年,集英社)

もしかすると、序盤で石切丸が灯してくれた希望の光を、青江はともに分け合おうとしたのかもしれません。

起こる事象は変えられなくても、ともに困難に立ち向かうことならできるかもしれない。
「それ」は「服部半蔵」が為したことで、為すべきことかもしれないけど、石切丸ひとりが「服部半蔵の歴史」に縛られる必要はない、
そう言外に含んでいるように感じました。



本作の徳川家康は歴史通り天命をまっとうし、任務を終えた刀剣男士たちは本丸へ帰還します。

ラストシーン、本丸で「三百年の子守唄」という記録を綴じ終えた石切丸の表情が穏やかな笑顔であったのは、よろこびもかなしみも分かち合ってくれる仲間がいたからかな……青江はこの時石切丸にこんなことを言っていました。

青江:一緒に笑ってあげることくらいは出来ると思うんだ…僕でもね。

(出典:御笠ノ忠次,「刀剣乱舞-ONLINE-」より(DMM GAMES/Nitroplus)「戯曲 ミュージカル「刀剣乱舞」 三百年の子守唄」,2019年,集英社)

この時、青江が石切丸に「笑顔」を分け合うことができたのは、物吉貞宗のお陰なのですが、それについては「葵咲本紀」内での物吉貞宗と合わせて後編で書こうと思いますので、ここではいったん割愛します。

そして「三百年の子守唄」が終演した後、2017年末に行われたのが「真剣乱舞祭2017」です。

4.「真剣乱舞祭2017」のにっかり青江

寒い冬なので身体が温まるような遊びがしたい。
そんな刀剣男士たちの言葉から、ライブ公演「真剣乱舞祭2017」は始まります。

何かいい案は無いかと今剣に問われ、青江が提案したのは「怪談」でした。
この時、石切丸がすかさず「暑気払いのために夏にやるものではなかったか?」というツッコミを入れます。
そうなんですよね。もし、あの場に五月雨江がいたのなら「怪談」「幽霊」「百物語」は夏の季語であると言ったかもしれません。

青江「震えるような怖い話をしたら、温まるようなこともあるのかも。身体が……逆に」

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」製作委員会,「ミュージカル刀剣乱舞「真剣乱舞祭2017」,2018年,配信映像より文字起こし)

私はこれを初めて聞いた時に「凍死する手前の人間じゃないんだから……」と思いました。凍死する直前って異常なほど身体が熱く感じるんだそうです。
(※登山をした時に案内人の方から聞いた……という程度の記憶しかないので、根拠となる出典はきちんと辿れていません)
(※なお、低体温症に陥り、深部体温が下がった人間は、なぜか服を脱いでしまう「Paradoxical undressing」という現象があるようです)

……それにしても、幽霊斬りの逸話を持つ青江の口から聞くと、なんだかぞっとしない話ですね。

しかし。
いの一番にツッコミを入れたはずの石切丸が、青江の不可思議な理由に同調するように相槌を打ち、そして他の男士たちも「季節外れの百物語」に興味を示していきます。
例の如く『慣れ合いたくない』大倶利伽羅だけはひとり立ち去ろうとしますが、石切丸が積極的に引き込む形で参加することとなります。

「三百年の子守唄」では、青江がなにくれと石切丸の動向を気に掛けていましたが、今回は石切丸が青江のサポートに回っているように見えます。

最後に青江は「いいかな?全員参加で?」と確認するように問いますが、まるでその場に居合わせる観客(審神者)たちにも念押ししているようにも感じますね。

観客の数を含めると、百物語の参加者は100人を優に超えてしまいますが、「百」には「100」という意味もありますし、「数えられないくらいたくさん」という意味や「いろいろな」という意味が付加されることもあります(※百という数の概念については、歌合の「お百度参り」と一緒に後編で書きたいと思います)

▼4-a.刀剣男士の百物語の作法

「百物語」をテーマとして取り上げた書物は枚挙にいとまがありませんが、「百物語」をタイトルに掲げた最古の書物とされるのは1659年に刊行された仮名草子で、その名もずばり「百物語」といいます。
この書物には、実際に百篇の物語が収録されていますが、いずれも怪談ではなく笑い話です。

怪談本としての先駆けとなったとされているのは、1666年刊行の仮名草子「伽婢子(おとぎぼうこ)」
その13巻に収録されている「怪を話ば怪至(かいを はなせば かいいたる)」は、百物語を行う人間たちを描いた物語です。

私は、真剣乱舞祭2017はこの怪を話ば怪至を意識して構築されたのではないか?と思っています。

▼4-b.真冬の百物語「怪を話ば怪至」

「怪を話ば怪至」では、月の暗い夜(=新月の夜)に、青い紙を張った行灯(あんどん)に百筋の灯心をともし、恐ろしい話や不思議な話をして、話を終えるごとに行灯から灯心をひとつずつ引き抜く…
…というルールが最初に提示されます。

百話を語り終え、すべての灯心が消えた時、必ず何らかの恐ろしいことや怪しいことが起きるのだとか。
だから百物語をする時は、九十九話で止めて行灯を消さずに朝を待つべきだとか。

この物語は、そのルールのもとで百物語を行った人間の顛末を描いているのですが、この物語世界での季節はなのですよ。しかも12月…!


映像作品として残っている「真剣乱舞祭2017」は、2017年の12月20日の国内千秋楽を収録したものですが、この日は新月の夜ではありません。
調べたところ、月齢1.9の「三日月」でした。

私は先ほど月の出ていない夜という意味で「新月」と書きましたが、
古来、月の出ていない夜は「朔」と呼ばれます(「犬夜叉」というマンガで知っている方もいるのではないでしょうか?)。
「新月」とはもともと「三日月」を指す言葉だったりします。

千秋楽は土日に行われることが多いと思うのですが、真剣乱舞祭2017の国内千秋楽はどうしてか平日でした。
なぜでしょう?
三日月宗近がいるから、三日月の夜が選ばれたのでしょうか?
それとも何か他の理由があったのでしょうか?
理由はなくて、単なる偶然だったのでしょうか?

▼4-c.百物語と蝋燭の関係

小狐丸は、百物語を説明する中で「話し終えるごとに蠟燭の火を消す」というようなことを言いました。
(※「蠟燭の灯を消す」って言った直後の、灯が消える瞬間を表現する小狐丸の手。とてもたおやかで素敵です)

しかし先述の通り「伽婢子」をはじめ、江戸時代に書かれた百物語本で使われているのは往々にして「行灯(あんどん)」です。
江戸時代、和蠟燭は高級品だったためか一般では普及しておらず、照明器具としては行灯が用いられていたようです。

蝋燭が広く使われるようになったのは明治時代。
西洋蝋燭の作り方が伝来し、安価で大量に蝋燭が製造することができるようになり、庶民の間でも蝋燭が使われるようになりました。

「100本の蝋燭に火を灯し、1話話し終えるごとに吹き消していく」
……というスタイルの百物語もこの頃から見られるようになるようです。
そういえば「蝋燭の灯」を「人の命」に見立てた怪談を聞いたことがあるのですが、もしかしたらこれは明治時代以降に作られた話かもしれませんね。

▼4-d.蒼然百物語

(この歌については、後編で「歌合 乱舞狂乱2019」の「懐かしき音」と一緒に書こうと思っていますので、いったん割愛します)

▼4-e.1話目の語り手・石切丸の役割と「小鍛冶」

青江の提案した「季節外れの百物語」に真っ先に乗った石切丸。
なんと1話目の語り手としても名乗りを上げました。
そして石切丸の話の登場人物という形で小狐丸が登場し「あどうつ聲」を歌い踊ります。
(※石切丸と小狐丸といえば、同名の刀剣が大阪府の石切釼箭神社に所蔵されています)

「あどうつ聲」は、刀ミュの4作目の本公演「つはものどもがゆめのあと」が初出の小狐丸ソロ曲です。彼と縁深い能の演目「小鍛冶」をベースにしています。

能の「小鍛冶」は前場と後場がありまして……

▼前場
シテ(主役):童子(※稲荷明神が変化した姿)
ワキ(主役の相手役):三条宗近

▼後場
シテ:稲荷明神
ワキ:三条宗近

シテとワキは前場と後場で装束が変わります。
能楽師が裏で着替えている間は、アイ(狂言師)が登場して間狂言(あいきょうげん)を演じます。

そして「季節外れの百物語」のトップバッターとして石切丸が話した内容は、「小鍛冶」の間狂言とほぼ同じでした。

そういえば、物語の進行を手助けする役のことを「狂言回し」と呼びますが、これは能のアイが由来になっているという説もありますね。
つまり、真剣乱舞祭2017における石切丸の役割は、青江を助ける狂言回しということに……?

(※能の上演形式には前場を省略するタイプのものもあり、これを「半能」といいます。上演時間を短縮し、祝言性を強調するという意味があります)
(※らぶふぇす'17の石切丸の話で行われたことは、半能形式の小鍛冶とは合致しません)

▼4-f.最後の語り手(になる予定だった)髭切

2番目の語り手として登場した三日月宗近は、三条大橋にまつわる不思議な噂を披露し、3番目に登場した千子村正は、見えざるものに挨拶をするという「意味がわかると怖い話」風の怪談を語りました。

4番目に登場したのは髭切と膝丸です。
ですが、語り手である髭切は語るべき話をきちんと用意していなかったようで、代わりに膝丸が「平家物語」の「剣巻」より、髭切にまつわる有名なあの話……渡辺綱が髭切の太刀を用いて鬼女を斬ったエピソードを語りました。

髭切は、膝丸に燭台を取り上げられ、語り手としての主導権を奪われても、怒るどころかにこにこと笑っていて、弟の語る自分の話を楽しそうに聞いていたのですが、膝丸が話を終えようとした瞬間、燭台を急いで取り返し、
「髭切が語る怖い話でした(^^)」と言って火を吹き消しました。
語ったのは膝丸なのに。


真剣乱舞祭2017に出演した刀剣男士は16振りいます。
もし順番通りに百物語が進めば、4番目の語り手が100番目の語り手となります。
もしかすると、何を語るかではなく4番目の語り手になることこそが髭切の狙いだったかもしれません。

百物語において「何か」が起きるとされているのは、100番目の物語が終わった時です。
「何か」は諸説あり「不思議なこと」だったり「恐ろしいこと」だったり、「思いがけぬ幸福」である時もあります。
(※本作の元ネタと思われる「伽婢子」では、百物語は完成しませんでした。70話目を過ぎたあたりで超常現象が起こり、その場に居合わせた人間はみな気絶してしまった……とありました)

「百物語」と「膝丸」の組み合わせで思い出したことがあります。
1677年に刊行された怪談集「宿直草(とのいぐさ)」には、百物語をテーマにした怪談が収録されており、その名も「百物語して、蜘の足を切る事」といいます。
99話目を語り終えたところで酒を飲み交わしていたら、天井よりヌッと巨大な手が現れ、とっさに斬りつけると落ちてきたのは長さ10センチに満たない蜘蛛の足だった……というオチの笑い話です。

蜘蛛を斬った刀剣と言えば膝丸。
膝丸は、先述の「剣巻」能「土蜘」で語り継がれてきたように「蜘蛛切」の異名を持つ妖物斬りの刀剣です。

しかし、百物語が完成した時に現れる怪異は鬼女のすがたをしているという説もあります。そうなったら「鬼切丸」という別名を持つ髭切の力が必要になるかもしれません。

先ほど私は、石切丸は、青江の提案した百物語を進める狂言回しの役を担おうとしたのでは?と書きましたが、
髭切は鬼を斬った逸話を持つ刀剣として、百物語の安全弁というか、ストッパーになろうとしたのではないか?と思いました。


そしてその直後です。
刀ミュの誇るトリックスター・三日月宗近がやってくれました。

▼4-g.三日月宗近の目的は?

髭切が100番目の語り手になることが確定した直後、三日月が登場します。そして「ここからは少し、趣向を変えてみるか」と宣言することで、百物語を「共に舞い、歌う」形式へと変えました。

「共に舞い、歌う」ことにより「1人1話」から「n人n話」として物語を語ることができるようになるので、髭切が最後の語り手にならない可能性も出てきます。

髭切が最後の語り手になるということは、三日月にとって都合が悪いことだったのでしょうか?

私はそうは思えませんでした。
どちらかというと「髭切に語らせない」ではなく「青江に100話目を担当させる(ことをアシストする)」ことが三日月の目的のように感じられました。
「季節外れの百物語」の言い出しっぺである青江にケツを持たせるつもりだったのか、それとも花を持たせるつもりだったのか……それとも他の狙いがあったのか……

……本当のことは分かりません。
刀ミュの三日月宗近は真意を言葉にしない刀剣男士だからです。

▼4-h.最後の語り手・にっかり青江

刀剣男士たちや歴史上の人物たちもさまざまな形で舞い、歌い、そして一番最後に語り手として名乗り出たのは青江でした。

「僕の色は何色だい?」という彼の声に誘われ、観客の持つ蠟燭型ペンライトの青い光で会場が埋め尽くされます。江戸時代に百物語が行われた時も青行灯の光で辺りは真っ青だったのでしょうか。いずれにしてもとてもきれいな光景です。

しかし、青江は観客にペンライトの光を消すように言いました。
まるで、たった一人で語り手になることを選んだかのように。

青江が語り始めたのは、とある侍が持つ刀に「名前が付けられた時の話」でした。

その侍、妖退治に出かけたんだ。噂を聞いてね。妖が出ると。
夜になって石燈籠の近くに来ると、立っていたんだ……女が。
笑っていた。……にっかりとね。

女は子供を連れていたんだ。女は言うんだ。「あちらの殿様に抱かれておいでなさい」と。子どもに向かって。

……近づいてくるんだ。子供が。

……侍は気付いていたんだ。
女もその子供もこの世ならざるものだって。

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」製作委員会,「ミュージカル刀剣乱舞「真剣乱舞祭2017」,2018年,配信映像より文字起こし)

……先述の「詳註刀剣名物帳」に載っているにっかり青江の逸話とよく似ています。

ここで青江の語りに合わせるように今剣が現れたのですが、不思議なことに今剣は、いつもの戦装束でも内番着でもない———童子の姿をしていました。

そして、青江はあろうことか、彼に向かって刀を抜こうとしたのです。

▼4-i.青江の目には見えぬもの、審神者に見えるもの

童子の姿の今剣は、いったい何者なんでしょうか?

私は、前作「刀ミュ式夢幻能<小狐幻影抄>調査報告」の真剣乱舞祭2016の項でこのようなことを書きました。

観客が三条派が面を掛けていることにすぐ気付けた理由もちゃんとあります。

それは我々が「審神者」だからです。
審神者はシャーマン(=巫覡)に神霊を降ろし、見極め、託宣を引き出し、時には戦い、神がかりを解く力があるとされています。
ですので、審神者はあの五振りが面を掛けた三条派ということに気付けたと言えるでしょう。

(soubi「刀ミュ式夢幻能<小狐幻影抄>調査報告」▼3-2-a.三条派の面(オモテ)について」)

これって真剣乱舞祭2017にも適用できるんじゃないかなぁ、と思っているのですが、どうでしょう?

「童子の姿の今剣」という演出について、私が妄想したことはこちら。

◆死者も生者も入り乱れる「祭」の中、彼岸と此岸の境界が溶けだし、子どもの霊(青江が過去に斬った子どもの霊かも?)が現れ、今剣に憑依した。

◆青江には、子どもの霊は見えているけれど、憑依された今剣の姿は見えていない。なぜなら「にっかり青江」という名前のきっかけとなった逸話は、化け物だと思って斬ったら石塔(あるいは石灯篭、石仏)だったという話だから。

◆ただし、神霊を見極めることができる審神者(観客)には、「今剣が何者かに憑依された」という正しい状況が見えている。

……まさしく意味がわかると怖い話です。

青江が童子の姿の今剣に斬りかかろうとしたその時、間に割って入るように聞こえてきたのは、石切丸の唱える祝詞でした。

▼4-j.「てのひら」と、そこに残ったもの

石切丸が祝詞を唱えることで場のケガレは祓われる……と仮定すると、おそらくそこに残るのは邪悪なものではないはずです。
そして青江と石切丸は最後まで童子の姿の今剣を「今剣」と呼びません。

このことから、今剣に憑依していた子どもの霊は祓われたのではく、まだそこにいると捉えた方が良いかもしれません。

石切丸:にっかりさん、知っているかい?百物語というのはね、99話目でやめていいそうだよ。100話目まで語ると本物の妖が現れてしまうから。
青江:…それもそうだね。…じゃあ行こうか
石切丸:ははは。…うん。
子どもの霊:にっかりさん
青江:…?うん?
子どもの霊:いっしょにかえりましょう
青江:…?…あぁ、うん
石切丸:…完成しなかったねぇ、百物語
青江:ふふっ、止められてしまったからね。

(出典:ミュージカル「刀剣乱舞」製作委員会,「ミュージカル刀剣乱舞「真剣乱舞祭2017」,2018年,配信映像より文字起こし)

この部分、まるで「三百年の子守唄」の序盤シーンの……焼き直し……という言葉は適切じゃないなぁ。なんと言いますか、representationというかreplayのように思えます。

百物語は100話目まで語らなくてもいい。
青江は妖物斬りの来歴を持つ刀剣だけど、それに縛られる必要はない。
霊を斬らなくてもいい。手を繋いだっていい。


……だから、青江が石切丸の提案をそのまま受け入れたのは、意外なようですが、筋が通っているのかもしれません。

無意識に自分で自分を縛った鎖の存在に気付くというのは存外難しいものですが、青江にとってその鎖は未知のものではありません。それに、つい忘れていたかもしれないけど、石切丸が思い出させてくれました。だから青江はすんなりと受け入れた。……私はそんなふうに解釈し、納得しました。

ミュ本丸の青江と石切丸はこうやって手を差し伸べたり、時には肩を並べて歩いたり、遠くから見守ったり、言葉を差し出したり……そんなふうにして新しい物語を紡いでいくんでしょうか。
この記事を書くために、ミュ本丸の青江と石切丸について考えられるだけ考えてきましたが、結局、優しい素敵な関係だなぁ……に帰結してしまう。私はふたりの関係性が好きです。

さて。
この時、青江と石切丸によって歌われる「てのひら」というデュエットソングは、刀ミュのファンサイト内「CAST BLOG」の2018/5/30の記事によると、真剣乱舞祭2017のために書き下ろされた曲だそうです。
(※「三百年の子守唄」のDVD/Blu-rayの映像特典内で、お蔵入りになった青江と石切丸のデュエットがあるという話を聞けるのですが、その曲は「てのひら」とは別のもののようです)

てんてん てのひら 開いて閉じて 染められてゆく 馴染んでゆく
てんてん てのひら 握って繋いで 伝わる温度 届く祈り
そのてのひらで 掴めるものは何?
そのてのひらを 伸ばした先に……

てんてん てのひら
てんてん てのひら
開いて 閉じて
握って 繋いで
てんてん てのひら
てんてん てのひら

(出典:「てのひら」※配信映像を元に文字起こし)

「染める」「馴染む」という単語は、原作ゲームの青江のセリフ内でも印象的に使われていますね。

子どもの霊(に憑依された今剣)に手を握られた時、青江が一瞬ぎょっとして、でもその直後にとても優しい表情をするんです。みほとせで竹千代を抱えた時に知った子どもの温もりを思い出していたのかな……

……これも私の妄想なのですが、子どもの霊と手を繋ぐことができた青江は物語を共有し、霊と共存することができるようになったのではないでしょうか。そして霊は霊のままに青江の物語の一つとなり、文字通り「一緒に」還るんじゃないか……そんなことを思いました。

「てのひら」が終わり、間もなく続くように流れ始めたのは「かざぐるま」のイントロです。
……だめだなぁ。このターンは観るたびに泣けてきちゃって、未だにうまく言葉にできません。誕生を寿ぎ、死を弔い、遥か永い時の中で、人の生を見守り続ける大いなるもの。優しい眼差しのうた。
大好きだなぁ……この歌も使われ方も……

▼4-k.百物語の完成を防ぐために

「かざぐるま」の後、ひとり舞台に残った青江を青いサスペンションライトが照らします。青江による「100話目の話」は石切丸によって中断しましたが、まだ百物語そのものは終わっていなかったのです。

青江は観客にひとつ忠告をします。
「家に帰るまで怖い話をしない方がいい」……と。
オープニングで青江は「いいかな?全員参加で?」と言いましたが、この「全員」には観客のことも含められていたのですね。

最後、バックスクリーンには1本だけ火のともった蝋燭が浮かび上がります。BGMも相まってとても不気味な雰囲気が醸し出されていますが、青江と石切丸のやり取りを思い返すと、その消されなかった灯がなんだかとても尊いもののように思えてきますね。

……ここで本編は終了なのですが、注目すべきはカーテンコール。
青江は「名前が付けられた時の話」の完成を避けるためか、カーテンコールでも自分の名前を言いませんでした。
名乗りを上げない男士は彼以外にもいましたが、青江は観客が自分の名を呼ぶのを遮るように喋りだそうとしました。
この場においては、百物語の参加者である観客にも自分の名を呼んでほしくなかったのかもしれません。


刀剣男士は刀剣の付喪神(つくもがみ)ですが、「つくもがみ」という言葉は「九十九神」と書かれることもあるようです。
100話を迎えずに終わる「つくも」がみたちの百物語。
……何だかとても粋なように感じてしまいました。


……といったところで後編に続きます。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。

後編では「三百年の子守唄」「葵咲本紀」「菊花輪舞」「にっかり青江単騎出陣」について書いていますが、この記事も3か月くらいかかってるので、同じくらい時間を要するかもしれないです。気長にお待ちいただけますと幸いです。

・筆者の連絡先はこちら

普段はTwitter(@soubi422)にいます。
刀剣乱舞の山姥切長義と小狐丸に目がないモブです。
最近は、全国で展示されている長義作の刀剣について調べたり、能の伝書や昭和の刀剣書を読んだり、推しキャラへの愛を叫んだりしています。
お気軽にリプでもDMでもお送りください。

匿名で連絡したい方はマシュマロからどうぞ。

返信は筆者のTwitter上(@soubi422)で、不定期で行っています。
届いたマシュマロは基本的に全部返信するので、返信不要な方はその旨をお書きください。

筆者が書けるタイミングで返信をするため、お返事までお時間を頂戴する場合があります。お急ぎの方はTwitterのリプライかDMをご利用ください。

・今後の予定

現在作業中のもののうち、noteで公開する予定の文章は下記の通り。

▼刀ミュ関係
・「東京心覚」とは何の物語だったか?
・歌う三日月宗近についての考察 2016→2021 -共感覚の見地から-
・「歌合 乱舞狂乱'19」考:「彼」と「彼」が顕現しなければならなかった理由+刀ミュの三日月宗近の宿願について
・「ミュージカル刀剣乱舞」×テキストマイニング
▼それ以外
・「活撃 刀剣乱舞」×テキストマイニング 後編
・刀工 備前長船長義および兼光の評価について
・花丸、活撃、刀ミュ、刀ステの「鶴丸国永」×テキストマイニング(※2021年秋~冬予定)
・長義の刀ととある裁判についてのまとめ
▼梅津瑞樹さん関係
・舞台 紅葉鬼(能「紅葉狩」刀剣「髭切」「山姥切国広」を絡めた)感想
・SOLO Performance ENGEKI 「HAPPY END」感想
・ミュージカル『薄桜鬼 真改』相馬主計 篇 感想

・この記事の参考資料

【映像作品】
・ミュージカル「刀剣乱舞」三百年の子守唄(2017年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」真剣乱舞祭2017(2018年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」真剣乱舞祭2018(2019年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」葵咲本紀(2020年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」三百年の子守唄 再演 2019(2020年)
・ミュージカル「刀剣乱舞」歌合 乱舞狂乱 2019(2020年)

【書籍】
・御笠ノ忠次,「刀剣乱舞-ONLINE-」より(DMM GAMES/Nitroplus)「戯曲 ミュージカル「刀剣乱舞」 三百年の子守唄」(2019年,集英社)
・東雅夫「百物語の怪談史」(2007年,角川学芸出版)
・石川透(編)「広がる奈良絵本・絵巻」(2008年,三弥井書店)
・石川透「入門奈良絵本絵巻」(2010年,思文閣出版)
・横山重(編), 松本隆信(編)「室町時代物語大成 第13 (みな~わか)」(1985年,角川書店) 所収「雪女物語(東京大学図書館蔵寛文五年刊本)」
・水谷 悠歩, 浅井了意「現代語訳 伽婢子 第二集」(2019年,Amazon Kindle)
・上田 秋成, 鵜月洋「改訂 雨月物語 現代語訳付き」(2013年,KADOKAWA)
・田中貴子「百鬼夜行の見える都市」(2002年,筑摩書房)
・戸井田道三(監修),小林保治(編)「能楽ハンドブック 第3版」(2008年,三省堂)
・三浦裕子「面からたどる能楽百一番.」(2004年,淡交社)
・小林保治, 表きよし「カラー百科 見る・知る・読む 能舞台の世界」(2018年,勉誠出版)
・川口陟「定本 日本刀剣全史 4巻」(1972年,歴史図書社)
・宮崎光司「なぜ夢殿は八角形か―数にこだわる日本史の謎」(2001年,祥伝社)
・神田松鯉「人生を豊かにしたい人のための講談」(2020年,マイナビ出版)
・柳田国男「定本柳田国男集. 第20巻」(1962年,筑摩書房)


【ウェブサイト】
刀剣博物館「日本刀の歴史」
精選版 日本国語大辞典「大摺上・大磨上」
小説丸「物語のつくりかた 第11回 神田松之丞さん(講談師)
藪野直史「宿直草卷二 第三 百物語して蛛の足をきる事
藪野直史「宿直草(御伽物語)〔大洲本全篇〕 荻田安靜編著 附やぶちゃん注 始動
産経新聞「『怪談』小泉八雲 魂込めた再話文学の傑作
小池ろうそく店「絵ろうそくの歴史
つるぎの屋「にっかり青江
日本美術刀剣保存協会四国讃岐支部「ニッカリ青江と京極家
隼JAPAN「太郎太刀「 末之青江」
京極町生涯学習センター湧学館「「 にっかり青江」と京極家 ( 前篇 )
かわうそ@暦「月の朔望のページ
東洋経済ONLINE「人間国宝・神田松鯉が語る「講談と落語」の違い
小泉八雲,田部隆次(訳)「雪女 YUKI-ONNA
ミュージカル「刀剣乱舞」製作委員会「CAST BLOG「お宅に出陣」
つるぎの屋「太郎太刀
NIHON ROSOKU「ローソクの歴史
精選版 日本国語大辞典「西洋蝋燭
桐子「にっかり青江について備忘録。
古上織蛍「『武将感状記』に書かれた、石田三成の「三献茶」の逸話

【公演】

・ミュージカル「刀剣乱舞」にっかり青江単騎出陣(2021/5/1)
・ミュージカル「刀剣乱舞」東京心覚(2021/3/7・3/10・3/13・5/15・5/16)

【配信】
・ミュージカル「刀剣乱舞」にっかり青江単騎出陣(2021/5/15)
・ミュージカル「刀剣乱舞」東京心覚(2021/3/7)
・ミュージカル「刀剣乱舞」壽 乱舞音曲祭(2021/1/9~23 アーカイブ配信)


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