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【アンディ・フグ飛翔】K-1ランキングアーカイブス 96年編 ※非公式 ※2タイトルミスってたのを修正しました

あくまで96年と、96年までの試合結果を考えてのランキング。対象は基本的にK-1に出た選手のみ。1位にはその年のGP覇者を置く。

手持ちの資料とネット検索 ウィキペディアに限界があるため情報求む

この年より決勝ワンデートーナメントがフジテレビで地上波ゴールデンタイム進出&全国ネットで放送されるようになる。

初参戦したミルコだが、この大会の後にアマチュアボクシングや警察の特殊部隊に所属するなどでK-1から離れる。


1位 アンディ・フグ

解説:94年・95年とGPではふるわなかった。しかし95年最後の試合ではファイナリストジェロム・レ・バンナに勝つなど徐々に実力を発揮するようになっていった。開幕戦では恒例のMMA枠で190cm120kgの巨漢ファイターバート・ベイルを撃破。3回目にして悲願の開幕戦突破。ワンデートーナメントでは負傷欠場したスタン・ザ・マンの代役としてリザーバーにしてこれも巨漢210cm110kgのバーバンダー・マーブと激突。距離を制覇し身長差30cmをもろともせず1RKO。準決勝でかつて敗れているアーネスト・ホーストと激突。再延長2-1と辛くも勝利し決勝へ。相手は過去2回敗れているマイク・ベルナルド。ホーストとの死闘の後でさらに連敗中の相手とアンディ圧倒的不利という状況ながらもローキックで先制のダウンを奪うと、下段の後ろ回し蹴り・・・通称フグトルネードでKOを奪い初優勝を飾る。さらにこの年のアンディはトーナメントにとどまらずUKF世界スーパーヘビー級タイトルマッチを勝利で飾れば、本来のトーナメントの相手であったスタン・ザ・マンにも勝利。さらに佐竹雅昭・ムサシといった日本人にも連勝と絶好調だった。

2位 マイク・ベルナルド

解説:昨年はK-1初参戦でアンディ・フグを破るインパクトを残し、GPもベスト4まで勝ち進んだ。開幕戦ではリック・ルーファスの弟ジェフ・ルーファス(UFCファイターベン・ロズウェル、タイロン・ウッドリー、アンソニー・ペティス、Bellatorファイターセルジオ・ペティスのコーチをすることになる)を撃破。ワンデートーナメント一回戦では昨年敗れた上にトーナメント3連覇がかかるピーター・アーツと再戦し3RKO勝利。準決勝では新鋭ムサシと激突。微妙に噛み合わなかったが判定で勝利し初めて決勝へ進出。しかし決勝では過去に2回破っているアンディ・フグのローキックとフグトルネードの前に沈み準優勝となった。ちなみにこの年はアーツと3試合も組まれ反則勝ちもあったが3連勝を飾っている。アーツ相手に3連勝のインパクトもあってかワンマッチならベルナルドが最強という説を唱えている人も多かった。

3位 ピーター・アーツ

解説:94・95と連覇を果たしたピーター・アーツ。自身初にして史上初のGP三連覇がかかっていた。開幕戦ではK-1初参戦にして他団体のベルトをいくつも獲得しているジャン・クロードと激突。1R終了間際プッシュしたところに追撃のハイキックで戦慄のKO勝利。三連覇に死角無しと言ったところか。しかしワンデートーナメントの初戦でマイク・ベルナルドと再戦。ジャブ・ローキック・首相撲でじっくり削っていきこのまま判定までいけばアーツかと思ってたところ3Rにベルナルドのフックが炸裂し一撃でKOされてしまう。GP連覇の夢が絶たれたばかりか93年にホーストに敗れて以来の黒星を喫してしまう。さらにどういうわけか今年さらにベルナルドと2試合組まれるがいずれも敗北。


4位 アーネスト・ホースト

解説:前年はアーツ相手に延長までもつれこむ死闘で惜しくも敗北してしまったホースト。今年はどうなるか・・・初戦は初参戦のスチュアート・グリーンをローキックによるKOで破り好発進。ワンデートーナメントでは同じく初参戦かついきなり昨年のファイナリストであるジェロム・レ・バンナを破ってきたミルコ・タイガー(後のミルコ・クロコップ)と対戦。この試合もローキックでKO勝利する。しかし準決勝で再延長2-1という僅差の判定ながら2年連続ベスト4という悔しい結果となってしまった。10月の試合ではジェロム・レ・バンナにも敗れてしまった。ホーストもバンナも前の試合から1ヶ月での連戦となっていたが、年齢も上でトーナメントも勝ち進んだホーストのほうがダメージはあったかもしれない。


5位 ムサシ

解説:GPファイナリストにもなったりでなんだかんだ日本人K-1ファイターの顔となっていた佐竹雅昭が諸々の事情で欠場することになった。しかし、地上波ゴールデンなので日本人ファイターは欲しい。そんな佐竹雅昭に変わって出場することになったのがこのムサシだ。この時まだK-1ルールは2試合しか経験していない
開幕戦の相手は自称12年間無敗。さらにドン・フライやダン・スバーンの打撃コーチを務めているキット・ライキンズ"ザ・ホワイトドラゴン"。肩書は凄かったがムサシはローキックで秒殺勝利をおさめる。続くワンデートーナメントではサム・グレコとの空手対決。1R終了後にサム・グレコが足を負傷しTKO勝利。しかし準決勝はマイク・ベルナルドに競り負け判定で敗れる。佐竹雅昭の代役という重荷にGPベスト4という結果で答えた形となった。しかしムサシの苦難は続く。後に正道会館のトレーナーとなるサダウ・ゲッソンリットに敗北。サム・グレコとの再戦はムサシがリング下に落下する珍事。その後もジャン・クロードやアンディ・フグと当たり前のようにトップファイターと試合を組まれ続けた。PRIDEでは桜庭和志が酷使されたことが一部で有名だが、K-1ではムサシが酷使されたと言っていいだろう。


6位 ミルコ・タイガー

解説:後にPRIDEで活躍することになるミルコ・タイガー(現ミルコ・クロコップ)。自宅トレーニング、空手・テコンドーを積み格闘家を目指すもユーゴスラビア内戦のため一旦諦めることとなる。軍人を経て初代王者ブランコ・シカティックがコーチを務めるドージョーチャクリキ・タイガージムの門をたたくこととなる。ファイトネームのタイガーもここからきていると思われる。煽りVTRもブランコ・シカティックの一番弟子とされていた。開幕戦では昨年のファイナリストであるジェロム・レ・バンナといきなり激突するもダウンを奪って判定勝利。しかしワンデートーナメントではホーストに翻弄された後ローキックでKO負けを喫してしまった。この試合がきっかけかはわからないがタイガージムから離れた。アマチュアボクシングも始めるようにもなる。

7位 ジェロム・レ・バンナ

解説:昨年のファイナリストだが開幕戦では初参戦のミルコ・タイガー相手に痛恨の敗北を喫してしまう。しかし兵役を終え、格闘家に集中できるようになると手始めにISKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座を獲得する。さらにトーナメントベスト4のアーネスト・ホーストもKOで下しジェロム・レ・バンナここに有りを見せ付けることに。しかし年末のサム・グレコとの一戦ではハードパンチャーによる豪快な試合が期待されるもなんとも言えない内容でドローとなった。

8位 サム・グレコ

解説:デビュー戦で佐竹雅昭を破り、昨年は開幕戦で勝利もワンデートーナメントは負傷欠場。THE BEST OF THE BESTという大会で優勝し今度はK-1で強さを見せたいところだった。開幕戦はベリー・テリグットという選手に苦戦しつつも判定勝利。2年連続で開幕戦を突破する。ワンデートーナメントに1年越しに参戦。しかしムサシとの対戦中に足を負傷しTKO負け。最低限ムサシとの試合は続けられたが次の試合は厳しくなるからとの理由だった。その後ムサシと再戦するとリングから落下する珍事が起こる。巨漢かつ道着に身を包んだジェリー・ハリスには体格差をもろともしないKO勝利をするが年末のバンナとの戦いはなんとも微妙な感じに。

9位 スタン・ザ・マン

解説:K-1でなかなか活躍とまでいかないスタン・ザ・マン。今年は開幕戦ではサダウ・ゲッソンリットに延長までもつれこむ死闘を演じるも何とか勝利。しかしワンデートーナメントは負傷欠場となってしまう。リザーバーの重要性をとても感じずにはいられない。初代WMTC世界スーパーヘビー級王者決定戦ではムサシを倒しているカークウッド・ウォーカーに勝利。しかし同王座を次戦でアンディ・フグにとられてしまう。また年末の大会ではマイク・ベルナルドとドローと微妙な感じに。翌年以降の話になるが元祖タケル(新生K-1の武尊とは別人)と試合をしたりしつつ、K-1本戦というかトップ戦線から脱落することとなってしまった。WOKAという団体を設立したり、マイク・ザンビディスや弟のジョージ“ザ・アイアンライオン”(2005年に角田信朗をKOしている)のコーチをつとめるようになる。


10位 バンダー・マーブ

解説:マイク・ベルナルドに続くアフリカ大陸第二の刺客。範囲が広すぎる。210cm111kgの恵まれた体格が武器でありながら勝ってもKO負けてもKOというわかりやすさも魅力。開幕戦ではリザーブマッチで空手家マイケル・トンプソンから3ダウンを奪ってKO勝利。ワンデートーナメントでは欠場したスタン・ザ・マンの代わりに出場するもアンディ・フグに秒殺KO負けを喫してしまう。その後もド派手かつ画になるKO負けを続いたことでデカいやつは実は大したことないのでは?とK-1運営やファンに誤解を植え付けることにもなる。

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1993年から2010年まで存在していた旧K-1の年間ごとのランキングです(個人の感想)。

面接時に「遊ぶ金欲しさに」と言いたい人生だった。