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人生の転換点になった七冊の本

ブックカバー・チャレンジが回ってきて、「絶対、三日坊主になること間違いなし」と思い、まとめて7冊を書く(ルール逸脱)。どうせなら、本の虫だった若き日に読んで、人生を変えた(のかもしれない)7冊を選んでみたところ、半生まとめのようなチャレンジになった。

高校1年生のときに通っていた塾の先生に薦められて読んだ本。「明日は世界を-Tomorrow the WOrld.」というメッセージに感化され、何を血迷ったか日本の大学受験をせずに英語を磨いてアメリカの大学への留学すること目指してしまう。ホームステイした先を頼って卒業後に渡米することに。しかし直前で全ての計画をキャンセルする事態に...。(1/7)

高校三年生の冬、父が悪性リンパ腫で急逝。2ヶ月後に迫っていた渡米は諦めた。日本の大学受験対策は全くしていなかったので、浪人生に。そして無謀にも東京藝大の建築学科を目指してしまう。受験にはデッサンが必要で美大予備校に通い始めるも、周囲にプロ画家のようなデッサン力をもった二浪三浪の強者がゴロゴロいて「これは勝てない」と大学浪人を挫折。「人生ヲワタ」と気づけば数ヶ月のニート&ひきこもり生活に突入。心配した祖父から送られてきたのが「菜の花の沖(全6巻)」。主人公の荒波を乗りこなすようなサバイバル人生に感化されて、なんとかニートからの再起を遂げた。(2/7)

ひきこもり生活から脱却し、建築設計の専門学校に通い始めミステリー小説、なかでも森博嗣にはまる。人生で大事な「伏線」を学ぶ。この「数奇にして模型」には隠れタイトル「好きにしてもOK」が潜んでいたと知り感動。以降、ダブルミーニング(=おやじギャグ)を考えたい志向に。そして、主人公の通う「国立大学の工学部」に憧れる。(3/7)

学校の設計課題をこなしながらアルバイトをし、小遣いのほとんどは建築の書籍に費やした。建築を学ぶうち、もっと広い世界への接続=都市デザインに興味が移り、大学の編入試験に挑む。「都市 この小さな惑星の」日本語版・英語版の両方を買い揃えて、試験勉強の代わりに読んで臨んだところ、奇跡的に本著にあった英語の構文や単語が多数出題される。(当時、定員割れだったのでは?という噂もあるが)。受験に挫折した人間がセンター試験を受けずして憧れの国立大学・工学部の学生となる。(4/7)

大学での勉強は楽しかったが、もの足りず「実践知」を求めていた。「つくりながら考える 使いながらつくる」がTOTO出版から発刊した年、ギャラリー・間で開かれた山本理顕さんの展覧会&講演会に参加した。そこで本著の編集に携わった桂さん(当時)との出会いと山本理顕事務所、横須賀美術館準備室との交流から、地元の横須賀でまちづくり活動をするインカレ的サークル「ヨコスカン」を始めることに。クリエイティブ活動、場づくり・コミュニティづくり、事業プロデュースなど、現在につながる様々な事を実践して学んだ。妻にもこの延長で出会った。(5/7)

「ヨコスカン」のような活動をそのまま仕事にできないか...社会人と学生(大学院を休学中)のモラトリアム期間で、漠然と考えていた時に手にした「身の丈企業のすすめ」。ここにロフトワークの千晶さんが「飛行機雲を見た女」として紹介されていた。(千晶さんは本文中で若干、ディスられている笑。)読んだ当時は、おもしろそうな会社があるとブックマークしたのみ。数年後、30歳になって転職を考えた時に本を思い出し、その門戸を叩くことになるとは。(6/7)

ロフトワーク に入ってから、遮二無二に、ほとんど仕事だけしてきた。平日の帰宅は23時か24時が当たり前。土日もイベントがあり、休日は疲れ果ててロクに動かない(=主に家事をしない)。そんな生活が約8年続いた今年の1月、妻が腎臓の病気で入院した。突然、始まった息子との二人暮らしで仕事をしながら、家事と育児をブン回すというシングルファーザーを1ヶ月ほど擬似体験。家の掃除をしながらシングルファザーであり建築家・宮脇檀著「父たちよ家へ帰れ」を思いだした。宮脇さんも父と同じように若くしてガンで亡くなった。父は単身赴任で、週末しか家には帰ってこなかったが自宅にいるときは全力で家事も育児もしていた記憶がある。宮脇さんもそうだった。これまでの父として/旦那としての自分を叱責。父たちよ家へ帰ろう。

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