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何かを述べるときに、背景を説明することが大事だと実感した話

ラジオを聞いていて、ふとこんな言葉を耳にしました。

「日本では年間8000万本のビニール傘が消費されています。これは問題ですね」

これだけ聞いてしまうと、コメンテーターの方は何を問題視しているのかがよく分かりませんし、その根拠も不透明です。

もしかしたら上記の話の前に、そのコメントの"背景"を話されていたのかもしれません。
でもこの背景が伝わらないと、せっかくのメッセージも意味のないものになってしまうのだなと思いました。

今日は上記の話をもう少し深掘りしてみたいと思います。

背景の解釈の仕方は色々ある

「日本では年間8000万本のビニール傘が消費されている」
ここに問題がある、とした場合、何が問題と言えるでしょうか?
思いつく問題点を並べてみます。

8000万本分の資源が消費されていることが問題だ

限りある資源を大切に、の観点。
8000万と聞くと、単純に数としては相当多い印象を受けます。

それだけの本数のビニール傘を製造するためのビニール、骨組み用の金属類など、資源が消費されていることへの警鐘としてのコメントの可能性があります。

またビニール傘ではなく布(?)の普通の傘を使ってビニールの消費を押さえましょう、と言う呼びかけかもしれません。

あるいは昨今の廃棄ビニールによる環境問題と関連したコメントの可能性もありますね。

"毎年"8000万本と言うのが問題だ

ライフサイクルの長さ、の観点。
毎年8000万本が新たに消費されていると言うことは、買い足されている/買い換えていることになります。

傘を新たに買う理由って何が考えられるでしょうか?
例えばこんな感じ。
- 傘の耐用年数が1年程度なので、年1回は買い替えが必要
- 長さなど機能面で不満があるから買い換える
- まだ使えるが、新しい傘が欲しくなったので買い換える

耐用年数が短く、買い換えざるを得ないのが現状だったりすると、
このコメントの真意はメーカーへの提言かもしれません。

また、まだ使える傘を買い換えていると言う事実がある場合、
ものを大事にしない風潮への問題提起なのかもしれません。

問題とする根拠はなんだろう?

このコメントで大事なのは、"8000万"と言う数字です。
上でも書いてますが、単純に8000万と言う数字を聞くと、「とても多いもの」という印象を受けます。

でもこの8000万が多いのか少ないのか、このコメントの根拠がないと判断のしようがありません。

例えばこの8000万本が正しいプロセスで消費(廃棄)されたのか、その辺にポイ捨てされた本数なのかによっても変わってきます。

8000万本がポイ捨てされたとしたら、日本人の3人に2人がポイ捨てしていることになり、これは大変な数だと言えそうです。
でも正しくゴミとして収集されたのであれば、家庭から出る本数としては妥当なのかもしれません。

"8000万"と言う数字は、このコメント内では"事実"であるだけです。

この事実が"問題である"とする場合、その数字の妥当性やどの程度であれば問題ないのかなど、数字に対する背景や根拠も明確にする必要がありますね。

終わりに

今日はふと気になった言葉に対して深掘りをしてみました。
何かを発言したり書いたりする時、その背景や根拠をちゃんと説明しないと、受け手に正しく伝わらない可能性があるというのを実感しました。

自分の日常の発言や文章でも、
解釈の仕方が様々になってしまうものって多いのではないかなと思います。
もしかしたらこの文章もそうかもしれませんね。

日頃から"相手に伝える"と言うことをもっと意識すべきだ、
というのをとても実感する事例でした。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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