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UI/UXから学ぶDAW論 ⑤イベント式とクリップ式

iPhoneの生みの親、Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏は、次のような言葉を残しています。

Design is not just what it looks like and feels like. Design is how it works.

「デザインとは単に見た目や感じ方のことではなくて、どう機能するかなのだ」というような意味ですね。デザインの意匠は、外見だけでなくその挙動にも込められているのです。

第2回では、DAWでの作曲に際して、楽譜を書くための“空箱”をまず作るという話をしました。音符を格納する「ハコ」は、ほとんど全てのDAWに共通したシステムです。

一見全く同じように見える「ハコ」ですが、実はDAWによってその働きは異なります。「ハコ」の”ルックス”ではなく”仕事ぶり”に着目してDAWの差異を知ろうというのが今回のテーマになります。


3種類のハコ

DAWにおける「ハコ」の実態は、大きく3種類に分けることができて、それがイベント式、クリップ式、パターン式の3つです。この方式の違いはDAW選びにおける重要なポイントであり、またDAW乗り換え時の挫折ポイントでもあります。それぞれの方式の特徴を見てみましょう!

イベント式

まずCubaseやLogic、Pro Toolsなど多くのDAWが採用する標準的なスタイルが「イベント式」です。最も特徴の薄いノーマルな形態なのですが、他方式との比較で見るといくつか固有の特色が見えてきます。

重ね置き

まずイベント式では、ハコの上にハコを重ねることができます。

(Studio Oneの場合)

例としてこんなふうに、2トラックに分かれているものをひとつに重ねたり、また元に戻したり……なんてことができます。これは頻繁にする動作ではないですが、たまにこの重ね置きによって助かる場面もあります。


前後の繋がり

それからイベント式には、「全体でひと繋がりの楽譜」という意識が根底にあります。個々のイベントは楽譜の切れ端のようなイメージ。そのため、どれか1つでもイベントを開けば、スクロールでその前後のイベントまでシームレスに閲覧することができます。

ただし同じイベント式のDAW間でもやっぱり微妙な個性はあって、これができないタイプのDAWもあります。

複数同時表示

またイベント式は複数のハコを同時に開いて一覧することを強く念頭に置いています。複数トラックのイベントを選択してダブルクリックすれば、当然選択したイベントが全て開かれて、重なって表示されます。

(Logicの場合)

特にオーケストラのようにたくさんの楽器を使って作曲する場合、こうして複数パートを一斉表示して配置をチェックするのは日常茶飯事。イベント式は、そういう作業が快適に行えることを重視しています。

多くの方はイベント式のDAWを使っていると思うので、どれも当たり前の機能に思えたかもしれません。でもこれは“イベント式ならでは”の特徴なのです。次は「クリップ式」の特徴を覗いてみましょう。


クリップ式

「クリップ式」はAbleton LiveやBitwig Studioが採用するシステムで、この方式を理解するにはまずクリップ式DAWでのユニークな作曲方法について簡単に知っておく必要があります。

“倉庫”システム

Liveでは通常の【アレンジ】画面とは別に、【セッション】という画面が用意されていて、そこでは曲中のどこで使うかは関係なく、ただフレーズのハコを作って積んでおくことができます。

“セッション”という名が示すとおり、これは即興パフォーマンスを志向した機能ですが、作曲の下書きをする場としても使えます。ここで構想を練って、固まったら【アレンジ】の方にフレーズをぽんぽんドラッグ&ドロップして曲を形にするという作曲法ができるのです。フレーズを保管する“倉庫”のような場所を用意したのは、画期的なことでした。

その利便性が評価されてか、同様の機能がLogicやDigital Performerでも後追いで搭載されました(さすが【多機能主義】の業界です)。

この【セッション】を中心にしたシステム下では、ハコがどのように“WORK”すべきかも変わってきます。言わばハコの“働き方改革”です。イベント式との違いを見てみましょう。


小節・拍子の独立性

例えばイベント式のDAWでは、イベントを開くと何小節目に配置されているかが数字で表示されますが……

しかしクリップ式では、たとえ曲中のどこに配置しようとも、クリップを開いたら小節カウントは「1」から始まります。

そもそも“倉庫”にいる間は「曲中の何小節目か」という概念がないため、必然的にこういう形態になります。なんなら小節だけでなく拍子も、個々のハコが個別に管理しています。

このように、曲全体は4拍子なのにハコを開いたら目盛りが3拍子という状態も起こりえます。さながら小さな独立国家のようですね。


重ね置き

それからクリップ式では基本的に、ハコの重ね置きはできません。重ねようとすると、下のハコは潰れてなくなります。

これで間違ってフレーズを消しちゃうこともある…。

重ね置きを許容しないのには【セッション】のシステムが深く関係しています。“倉庫”からぽんぽんとD&Dでハコを配置する作曲法においては、「やっぱりこのフレーズじゃなくてこっち」とハコを上書きすることは当然ありますよね。そのときに、クリップを上に置けば下のクリップが自動で消える仕組みになっていた方が、いちいち手で消す手間が省けるわけです。

前後の繋がり

クリップ式は独立性が高いので、前後のハコとの連続性は薄くなっています。単に一つのクリップを開いただけでは、その前後のクリップまでは閲覧できません。

ひと繋がりの楽譜を完成させていくというような意識は、クリップ式DAWでは希薄です。

もし前後も含めて閲覧したい場合、Liveでは自分で複数のクリップを選択してから開く必要があります。


複数同時表示

クリップ式が想定する作曲法は、オーケストラのように複数トラックを同時に見比べるような作曲とは対極に位置しています。だから複数トラックの一斉表示についてはずっと軽視されていて、Liveではv10でようやく可能となりました。

よくよく見ると小節カウントが「5」から始まっていて、ハコが独立性を捨てています。つまり、この時だけ実質的にイベント式に切り替わるように進化したんですね!

フレキシブルなのは良いことです。でもLiveでは、複数クリップを開くにはShiftを押しっぱなしのままダブルクリックする必要があります。そうしないとせっかく選択したものが解除されてしまって、最後にクリックしたハコしか開かれません。

Live v11ににて

これはちょっと旧バージョンの構造を引きずっている感じがしますね。あるいはクリップ式とイベント式のはざまで、設計者が最適解を決めあぐねているとも見れます。

Bitwigの場合

ちなみにLiveより後発DAWであるBitwig Studioではより明示的に、エディタに「CLIP/TRACK」というタブバーがあって、クリップ式とイベント式が切り替えられるようになっています。

理想形と呼べそうですが、この二重性がバグの誘引になったり、操作の煩雑性を招く側面もあり、“二足の草鞋”はなかなか大変そうです。


まとめ

“ルックス”が同じハコでも、その“デザイン”は異なっていることが分かりました。他にもまだ「ハコの一部を削除した時にどうなるか」「ハコの長さを変えようとした時にどうなるか」など、些細な場面でいくつもの違いがあり、その全てに設計者の意図が込められています。

そしてそのデザインの違いはどこから来るかというと、想定する作曲の仕方の違いです。オーケストラを再現する作曲と、ループ素材を組み合わせ加工するトラックメイクとでは、ワークフローはまるで違います。何を第一のターゲットとするか。その哲学の違いがデザインの差となり、その差異が積み重なって「このDAWはこのジャンルの作曲に向いている」といった個性になるわけです。

次回は最も特徴的な「パターン式」について解説していきます。

CONTINUE→ ⑥パターン式と“分身”


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