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UI/UXから学ぶDAW論 ①忍び寄る多機能主義

この記事群はもともと、ソニー・ミュージックエンタテインメントが運営していたウェブメディア「Soundmain Blog」に2021-2022年にかけて寄稿したものです。2023年に当該サービスが終了したことに伴い、許可を得てこちらに転載しています。

Cubase、Logic、Liveといった本格DAWソフトは、使いこなすのが大変な存在です。その難しさゆえ挫折してしまったととか、あるいはひとつのDAWに慣れてから別のDAWに乗り換えようとしたとき、操作性の違いに苦戦して諦めてしまったというような体験談は珍しくありません。

なぜ私たちにはDAWの操作が難しく感じられるのでしょうか? この記事群では、それをUI/UXデザインの観点から紐解いていきます。


UI/UXとは

「UI(ユーザーインターフェイス)」は平たく言えば、DAWの外観に加えてボタン・ノブなどの配置や、「ここをドラッグするとこうなる」といった動作など、製品の見た目と挙動すべてを広く指す言葉です。そして「UX(ユーザーエクスペリエンス)」は、製品を通じてユーザーが得る体験全般を指す、これまた意味の広い言葉になります。

家で喩えるなら、外装・内装に始まり収納のシステムや家具の配置、蛇口の形状や電気スイッチの場所など、私たちが触れる構造の全てが「UI」で、そしてそこで人がどう生活して何を感じるかが「UX」……というような具合です。

家は、その土地の風土や文化といった環境に最適化されています。例えば日本の玄関ドアが主に外開き(家の外へ開く)なのは、「玄関で靴を脱ぐ」という文化がその理由の一つになっていると言われます。


内開きだとドアが靴とぶつかるので外開き

これはつまり、人の暮らし方(UX)を想定して設計(UI)が練られているということですね。海外の内開き文化の人たちはこの玄関に違和感を覚えるかもしれませんが、理由が分かって腹落ちすれば、それだけでストレスも軽減されるはずです。「デザインの理由を知る」というのは、案外大事なことなのです。

言うなればDAWも、たくさんの設備が収納・配置された家のようなもの。そしてその設計は、音楽制作という環境に特化した、やや特殊なものになっています。つまり、同じソフトウェアと言えども、DAWは普通のアプリケーションとは異なった風習を持った“異文化”の建造物なのです。


DAWは異文化な作りの家なのだ

そこで、単にDAWの操作を知るのではなく、その設計上の特徴や、その設計が選ばれる背景、そういった根本への理解を深めることでDAWへの苦手意識を解消し、またDAWごとの個性を明らかにしていこうというのが、この記事群の目標です。

それではここから、本論に入っていきたいと思います。


忍び寄る多機能主義

電子レンジや洗濯機のような家電や、デジカメやスマホのような電子機器で、「使ったことのない機能」というのが誰しもあると思います。

機能が多いのは良いことです。でもあまりに多機能すぎると、かえって基本の操作を見つけづらいなんていうこともありますよね。機能の多さゆえにユーザーが疲弊してしまうことを、【機能疲労(feature fatigue)】といいます。

DAWの世界もまた、多機能化の一途を辿っています。「新機能が登場!」は一番わかりやすいセールスポイントですし、また「あのDAWのあの機能がこっちにもほしい」というリクエストにメーカーは駆り立てられていくのです。

そして一度機能を追加したが最後、それが撤廃されることは滅多にありません。もし「この機能を廃止したので、古いバージョンで作ったプロジェクトはもう開けません」となったら、誰もアップグレードなんてしてくれないですよね。

その結果、さながら膨張し続ける宇宙のように、DAWの機能は拡張され続けます。このように多機能化が進む傾向は、開発者たちの間で【忍び寄る多機能主義(creeping featurism)】と呼ばれます。

古くからのユーザーは「後からオマケの機能が足されていった」という感覚で済みますが、これからDAWを学ぶ人にとっては、いきなり機能がてんこもりの状態でスタートですから大変です。

そのため、いかに“機能疲労”に陥らずにDAWと付き合うかが、挫折しないための最初のポイントになってきます。


多機能化とUI

DAWが多機能化すれば、必然的にそのUIは複雑化します。実際にどんな形で“機能疲労”が私たちに降りかかってくるでしょうか?

例えば、名前のないボタンの大群はその典型です。普通のアプリケーションでボタンといったら、アイコンだけですぐに意味が伝わるか、そうでなくてもラベルがあったりして、迷うことはそうそうありません。

しかしDAWとなると、アイコン1つで意味を伝えづらいような機能のボタンも出てきます。なおかつ大量のボタンを配置するなら、ラベルを書くようなスペースはありません。
結果としてDAWの画面には、「押したら何が起こるのか分からないボタン」がたくさん並ぶことになります。

これは地味にストレスの源です。一応の配慮として、多くのDAWではカーソルを置くとヘルプのツールチップが表示されますし、LogicやLiveでは「ヘルプパネル」というのがあって、そこで何のボタンなのかを知ることができますが……

ただ、片っ端からカーソルを当てていくわけにもいきませんね。ボタンが多過ぎて、目当てのものがなかなか見つけられない。こういう形で“機能疲労”が起こるわけです。

また悩ましいのは、この「名もなきボタンの大群」はビギナーにとっては苦痛ですが、エキスパート(上級者)にとっては各機能に素早くアクセスできるので便利であるというところです。同じ設計(UI)でも、人によって体験するもの(UX)は正反対にすらなってしまう、そういう二面性があるのです。

本格DAWはプロの音楽家も使うものですから、基本的にはやはりエキスパートにとっての使い勝手を第一に考えて設計されています。これは、仕方のないことですね。


パレートの法則

そこで初期段階で大切になってくるのは、知識よりもまず心持ちです。すなわち、「使わない機能は一切覚えなくていい」と割り切る姿勢が重要になります。
「このボタンなんだろう?」と好奇心を持って接することがプラスに働くこともありますけども、DAWでは何せ機能にキリがないですから、知ろうとしすぎると泥沼にはまっていく危険があります。

経済の分野では【パレートの法則】と呼ばれるものがあります。これは「世界の総資産の80%は、上位20%の富裕層が有している」とか「総売上げの80%は、上位20%の人気商品が生み出している」など、“全体の8割は、実は2割で成り立っている”という類のことを表す言葉です。

ソフトウェアの分野でも“パレートの法則”はあって、それが「ユーザーのうち80%は、全機能のうち20%しか使っていない」というものです。

確かにWordやExcelだって、ものすごい量の機能が搭載されていますが、私たちが実際に使うのはほんの一握りですよね。「Wordマスターになろう」なんて意気込みはなくて、「書類が書けさえすればいい」という気持ちで使う人がほとんどだと思います。

DAWについても、実はこれと同じことが言えます。つまり「このDAWをマスターしよう」と意気込む必要はなく、「曲が書けさえすればいい」くらいの姿勢で十分なのです。

実際のところ、曲を完成させるのに必要な最低限だけであれば、覚えるものというのは決して多くありません。

だから逆説的ではありますが、一旦DAWに対して無関心になって、色んなボタンがあろうと自分には関係ない、一生押さなくても困らないという心持ちでいた方が、かえって挫折せずにDAWを習得していけるはずです。


まとめ

改めてまとめますと、DAWは常に膨張する巨大な建造物で、たくさんの機能がみっちり収納された異質な空間である。そしてエキスパートに向けたデザインは、ビギナーからすると説明不足に感じられ、正体不明のパーツの群れが心理的ストレスを与えてくる。そのため、全貌をあえて知ろうとせず、自分に必要なものだけを見つけていく姿勢が重要になる……といったところです。

次回以降は、では必要最低限の機能とは何なのか、そして“異文化的な造り”とは具体的にどういうことなのかといった点に踏み込んでいきます。

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