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撮ると修羅 2024/03/28

・就活と院試に使う証明写真を撮ってきた。年に一度くらいしかスーツを着ないため、未だにネクタイの締め方がうろ覚えだ。いくつか試したところ、プレーン・ノットだと楽に結べる。

・それにしても表情が硬かったかもしれない。口角を上げるべきだったろうか。まあ、怖い顔でなければよいだろう。きっと写真の状態によって不合格や不採用がもたらされる例もあるのだろうが、証明写真での正解は無表情じゃないのか、と思う。

・証明写真とは、何も表現しないことが望まれる書類だ。表情に感情を乗せると、むしろ本来の利用価値である顔貌の確認において余計になる。レヴィナスの哲学で言えば、理屈を抜きにして「そこに顔がある」だけで担当者へ訴えかけるには十分なのだ。

・あ、でも違うか。よく考えると、「無表情」と「表情が硬い」は別物だ。後者は緊張が伝わるだけなので、結果的に舐められる。駄目じゃん……。


・青空文庫で、宮沢賢治の詩集『春と修羅』を初めてまともに読み、かなり衝撃を受けている。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

宮沢賢治『春と修羅』 序

・書き出しは知っていたが、これだけでもその透き通った見方が伝わる。人間が人工的な点滅する光であるという洞察は実に的確だ。彼は作品たちを「心象スケッチ」と呼んでおり、見て感じたことを誇張なくリズムに乗せた結果に生まれてくるものが詩に似ただけなのかもしれない。

・いくつか俯瞰。『原体剣舞連』などは、J-POPにも見えるなあ。一方で、『蠕虫舞手』で日本語から遠い世界へと飛び出している。『永訣の朝』には、やはり祈りを感じる。最後に載っている『冬と銀河ステーシヨン』は、あの名作の風景を切り取ったイメージがきちんと浮かぶ。

・たとえば空の青さを、分光されたスペクトルと表現してもよいし、天球にムラなく塗られた絵の具と見てもよい。解釈は無限だ。宮沢賢治はその科学的観察と詩情の両方を同時に、言葉へと乗せている。山や川と、機械などの人工物の共存が良い例だろう。

・詩人の中でも、次元が違う書き方をしている。まだまだ読みたい。


・目下のところ、日記1回あたり1000字書ければ御の字だと考える。理想は20分ほどで仕上げることだが、残念ながらまだ頭も指も追いつかない。1秒に1文字タイピングするだけなら容易なのに、不思議。

・小説家の森博嗣は毎日数千字の日記を書いていたが(今も?)、彼は時速6000字だったので驚異的だ。西尾維新や東野圭吾など、私の好きな作家も皆速筆なので、速さへのあこがれは強い。

・ただし、小説と日記の執筆速度のどちらが早くなるのかは、興味深い問題だ。フィクションとノンフィクションの記録はどちらが容易か、という話。小説のほうが速く書けるなら、いっそ架空の出来事でも綴ろうか。

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