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友達というよりも兄弟のような存在の彼。

中学生の頃から気心しれた2人の男友達がいて、若い頃に比べると回数は減ったけど、コロナになる前は毎年一回は3人でご飯を食べに行っていた。

3人でいる時の私は、口も悪いし、いろんな人の悪口ばっか言うし、2人のこともボロクソに言う。その代わり2人も私には容赦ない。

そして、それぞれの醜い自分をさらけ出したあとは、お互いに最低だといいながら称え合って笑い合うという、中学生の時から変わらないしょーもない関係。

女友達の中では決して出せない醜い自分をどれだけ出しても、最後には「お前なら大丈夫」と言ってくれる2人。

取り繕う必要のない2人の存在は大事だしいつも救われてきた。

2人のうち1人はコロナより少し前に海外赴任になり未だ日本に帰らず。

しばらく会っていなかったもう1人からは昨日久しぶりに連絡があり、パパに仕事の依頼をするべく我が家にやってきた。

ついでにパパのお酒にお付き合いしてもらい、深夜まで喋り倒して帰って行った。

今日はその彼とのこれまでを記録しておこう。


中学校では一度も同じクラスになったことはないけれど、中3の時に入った塾が一緒になり仲良くなった彼。

別々の高校になってからも、地域のバスケのクラブチームやバイト先など、お互いのテリトリーに誘い誘われながら交友関係は続いた。

妙に気が合って、なんでも話せる仲だったけど、いつもそれぞれに好きな人は別にいて、お互いに恋愛対象として惹かれ合うことはなく、なんだったら女の子を紹介したりしたこともあった。

中学生までの彼は物分かりのいい硬派を装い、特に女子に優しい彼は、男ウケより女ウケの方がよかった。

そこそこモテるのに、自分の好きな子には振り向いてもらえないまま高校生になり、彼の中で何かが弾けたように、女遊びに明け暮れていった。

自分は恋愛も結婚も不適合者だから一生結婚しないと言い続けた彼は、23歳になって2つ年上の彼女と出会い、一瞬で結婚した。

そして、嫁の実家で暮らし、いわゆるマスオさん状態となった。

子供は3人いて、そろそろ長女が二十歳を迎えるというのに、まだ彼は弱った女性が寄ってくると迷わず受け入れ、癒し、翼を温めてあげているという。

彼はそんな自分を、『止まり木』と言う。

元気になって自分のもとから羽ばたいていく女性を見送るのがたまらないらしい。

やってることは10代後半の時と変わらず奔放で呆れる。既婚男としては絵に描いたような最低話を楽しそうに話す。

ただ、私は彼の話を聞いていると、呆れるというよりも、最低すぎて、しょーもなさすぎて、いつも笑えてしまう。


自由奔放に見えても彼は昔から、どこか満たされていないもの寂しさを抱えていた。

欲しいものだけが手に入らないというような物足りなさというか。

本当は型にもはまりたくなくて、自分の好きなようにお金と時間を使いたいくせに、もう20年以上も同じ職場で働き、マスオさん生活を続けている。

お酒を飲むと必ず彼は言う、「あぁ…羽ばたきてぇ…」。

自分で入ったカゴの中で必死にもがいて見つけた「止まり木」という自分。


ぴぃの強迫の症状が一番ひどい頃、いつものように彼から「3人で飲もう」と招集がかかった。

私は病みに病んでいた時期だったから、それどころじゃないとぴぃの病気の症状を伝えると彼は言ったのだ。

「そうか、心がきれいなんだね。」

食べ物のカスやシミが怖い、怖すぎて死んでしまうと本気で思っているというぴぃの症状に対して、「心がきれいなせいだ」と言ってくれた彼。

地獄と絶望しか見えていなかった私の心を潤したのは、間違いなく彼のその一言だった。

そして、自己肯定感がだだ下がっていく私に、「お前はいい母親だよ。ぴぃはお前が母親でよかったと思ってるから大丈夫だ。」と言ってくれた。


私はずっと彼に対して「性根が腐ってる」と罵ってきたが、どんなに最低でもずっと縁が切れないのは、時々彼の中に見る「きれいな水」のせいだ。

誰も踏み入ることのできない、誰にも染まりたくない「きれいな水」が彼の腐った根の下に流れているのだ。

私はまるでナウシカで出てくる腐海のような彼との縁を一生切ることはないだろうと思っている。

家族や兄弟のような切っても切れない縁、腐った彼との腐れ縁。

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