ちょちょ@不登校の娘と母の記録

夫、娘(ぴぃ14歳、強迫性障害、五月雨登校中)ワンコとの日々を記録中。日々、娘と一緒に…

ちょちょ@不登校の娘と母の記録

夫、娘(ぴぃ14歳、強迫性障害、五月雨登校中)ワンコとの日々を記録中。日々、娘と一緒に成長中。いい時も悪い時もあって良し。休む時は休む。自分軸を作るためのnote。このnoteがこの先の希望と僅かでも誰かの救いとなることを信じて。※文中の「ミッケ」は娘の強迫観念の呼び名。

マガジン

  • 晴れ時々曇り日記

    日々の自分、日々の気づき、不登校な娘の記録。 いいことわるいこと、晴れたり曇ったりの日々の暮らしを記録していきます。

  • 娘の強迫性障害と不登校について

    強迫性障害のはじまりから現在に至るまでの娘の症状と、不登校について、強迫性障害の子を持つ親の葛藤、児童精神科とのやりとり、ありのままを定期的につづっていきます。 思い出したくもない日々、その中でも思い出として残しておきたい出来事、紆余曲折ありますが、向き合って前に進むために、記録として残すべきと思いました。 #子供の強迫性障害 #不登校

  • 自分を整えるために私がしたこと

    娘の強迫性障害と不登校をきっかけに、私自身も自己否定、自己嫌悪を繰り返し、こんな人生なんかいらないと、完全に自分を見失ってしまった。 たくさんの出会いやつながりの中で、娘のために、お母さんが元気で人生を楽しんでいることが大事と知りました。 まずはなんとか自分の足で立ちたいと思い直し、薬の服用をやめ、人生を楽しむために、自分を好きになるために、自分を整えて立て直すためにあらゆることをしました。

最近の記事

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2023.9.1 またまた、はじめよう私

「2021.9.1 また、はじめよう私」から2年。 4年生で不登校になった娘は、現在中学2年生。 これまで春の進級のタイミングで何度も立て直しをはかるも、夏休みを待たずに力尽き、長いエネチャーモードに入っていた娘。 今年は、春から飛ばししすぎることなく、自分のペースと、心と体のバランスを取ることを覚え、マイペース登校を継続したまま夏休みを迎えました。 今年の夏休みは、学校の係活動に専念するため何度か登校したり、1人で外出してみたり、友達と遊びに行ったりと躍動していまし

    • 不登校5年目の娘と私の今

      なんだかドキドキする 記録しておきたいことは山ほどあったけど 少しだけnoteを開くのが怖かったりして… 新しい活動を始め 今までとは違うステージで自分なりにあり方を模索している中 誰かの言葉や 何かしらの情報に 迷ったり流されてしまいそうで怖かったのだ ただなんとなく やっぱり これからの人生の備忘録として ゆっくりと自分のペースでnoteと共にありたいと思う ・・・と 年末に下書きに残したまま はや3か月 ようやく記録再開 去年、最後にnoteに記録をした日以

      • 不登校娘は本来、目立ちたがり屋です。

        「本当のぴぃは目立ちたがり屋だから・・・」 なんでもない会話の中で、ふとぴぃが言った。 なんとなく封印していた小学校3年生までのぴぃを、久しぶりに思い起こしてみる。 私の中で小学校3年生までのぴぃは、とにかくキラキラしていた。 1年生、2年生、3年生と担任の先生が変わったが、各担任にも「ぴぃさん、いつもキラキラしていますね。」と言われるくらいだった。 実行委員には必ず立候補して、クラス活動、班活動も意欲的なぴぃは、先生にとっても、いわゆる1人いると助かる子だった。

        • 我が家にコロナ襲来。自分の思考癖に改めて気付かされる。

          6月中旬のできごと。 「ごめん、コロナになった。」 出勤先のパパからこの連絡を受けたのは、ぴぃが毎週火曜に通所している教育支援の「新しい居場所」から帰る車の中だった。 さてこれから、がら空き間違いないスポッチャへ行き、体を動かしまくるぞ!!と意気込んでいる時だった。 ぴぃに、パパがコロナになったということと、これから私たちはどうするべきかを相談した。 ぴぃは迷わず、「残念だけどこのまま帰ろう・・・」さみそうにそう言った。 実はこの日のスポッチャ行きは、前回もやむな

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        2023.9.1 またまた、はじめよう私

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          予想外の経験値を得た娘の校外学習

          ぴぃは中学2年生の最初の行事「校外学習」へ行った。 電車で片道1時間半の観光地へ。 五月雨登校中のぴぃとはいえ、校外学習へは行くだろうと思っていた。 ぴぃが望むクラスメイトとの学校行事だし、しおりの表紙は自分が描いたイラストが採用されてるし、お土産屋さんが大好きなぴぃ。 行けるか行かないかで悩みもしないと思っていた。 校外学習の何日か前に、担任の先生より「学校側としては万全の対策を考えていますが、念の為お母さんも一緒に来てもらえませんか?」と言われた。 それを言わ

          予想外の経験値を得た娘の校外学習

          怖いから腫れ物扱いしたんじゃない

          なるべく大きなぶつかり合いは避けてきた。 現在中学2年生の娘、不安が強く、敏感で繊細な娘は、思春期真っ只中。 今のところ、私が恐れていた「荒れる思春期」というところにはまだ突入していないらしい。 振り返ると、ぴぃが小学校3年生の冬から4年生の夏頃までが一番荒れていた。 ぴぃが強迫性障害という病に侵され、強迫観念に囚われまくっていた時期。 病気が理解できず、どう対応していいかもわからなかった私に、「何もわかってくれない」と敵意を剥き出しにし、鋭い目つきで睨みつけるぴぃ

          怖いから腫れ物扱いしたんじゃない

          伝わり、出会い、つながり、届き、伝わる

          何度かnoteで紹介している、ぴぃがハムスターのお母さんだったころの記録。 記録の一つとして書いた記事を、育児情報サイトの編集者であるみやざわ|ママリ編集・小学生ママさんに見つけてもらい、育児漫画家のわさびさん協力のもと、とても素敵に漫画化した。 先日、みやざわさんのnoteで、編集者による制作秘話というカタチで再び漫画を紹介していただいた。 強迫性障害をもった子供とその親の記録。 正直、 この記録を残したとき、この経験は当事者にしか伝わらないであろうと思っていた。

          伝わり、出会い、つながり、届き、伝わる

          忙しそうな不登校娘をおもしろがる母

          中学2年生になったぴぃ。 春が頑張り時のぴぃは、毎年かなりのペースでエネルギーを放出し、夏休みを待たずに長いチャージ期間に突入していた。 今年のぴぃは、満足はしていないようだけど、ちゃんと自分のペースで過ごせているように感じている。 遅刻と早退を駆使して週1、2回登校し、5月からは週一回、職員と大学生と過ごす教育支援室への通所も開始した。 「学校に行きたいけど行きたくない」という、言葉では到底説明できない矛盾と格闘する日々は変わらない。 それでも、お友達や先生にお迎

          忙しそうな不登校娘をおもしろがる母

          不安から始まった中学2年生。

          ぴぃの中学2年生が始まった。 始業式の日、ワクワクとドキドキが入り混ざったような面持ちで登校するも、残り1時間を残して早退してきたぴぃ。 ぴぃ「気疲れしたから帰ってきた。」 そして、あの心強かった一年時担任のT先生は、別のクラスの担任になったとぴぃはサラッと言った。 思わず「えっ!?」と顔が引き攣ってしまった私。 その代わり、別室教室の管理者だったO先生が担任になったと言う。 なら大丈夫か・・・・いや、それ以上にショック・・・が本音。 異動する可能性があったT先

          不安から始まった中学2年生。

          不登校娘の中学一年生の終わらせ方。

          今日、ぴぃの中学一年生が終わった。 年明けから、ぴぃなりに動き出し、週1、2回の登校のほか、 月2回の教育支援室での面談 週1回の学校支援「新しい居場所」への通所 全ては、自分が願った中学生になるために、自分で選択して、自分で決めた。 最終日は絶対に行く。 そう意気込んでいたが朝からなんだか不調気味。 離任式の後、気持ちが悪くなったからと保健室へ。 どうしてかは聞かなかったけど、泣きながら行ったとか。 その後教室に戻り、最後に先生から通知書を渡される時間。

          不登校娘の中学一年生の終わらせ方。

          「不登校への理解」を深めたパパ。

          不登校メカニズムにはざっくり言うと初期、中期、後期というような時期があって、その長さは人それぞれ。 ただ、その時期に合わせた言葉がけや対応が大切だということを、自分なりにいくつか学んできたことがあった。 ぴぃを信じられるように、なりたい母親になれるようにと、不登校カウンセラーさんのメルマガやSNSを見て、自分なりにこれならできるをたくさん参考にした。 そのために、自分の中にあった「普通」をたくさん捨てた。 自分の気持ちをたくさん押し殺して、言いたいことも言えず、我が子

          「不登校への理解」を深めたパパ。

          学校へ行きたい娘の新たな居場所

          年末に児童精神科の先生に刺激的な言葉をくらってからのぴぃさん。 現状に打ちひしがれるどころか、自分なりに考えて、2月に入ってからは少し活動的になっている。 私たちが住んでいる地域には、「適応指導教室」というフリースクールの他に、主に引きこもりの子供たちに向けた「新しい居場所」づくりという教育支援活動を行なっている場所がある。 去年、「適応指導教室」へ見学に行くとこまで行ったが、紆余曲折あり通所失敗に終わっていた。(いまだに悔しすぎて悲しすぎて記事にもできない・・・)

          学校へ行きたい娘の新たな居場所

          やっぱり苦手な児童精神科の先生

          成長も伴ってか、自分の気持ちを少しずつ言葉にできるようになったぴぃ。 親以外の第三者の大人に、自分の不安な気持ちを打ち明けられるようになってきた。 学校の先生を含め、支援してくれている大人たちはみんな味方。 ぴぃの不安を受け止めて、大丈夫と言ってくれる。 ぴぃは吐き出すことと、受け止めてもらうことで「安心」を手に入れる。 ・・・でも、 病院の先生だけは違った。 強迫性障害という診断を受けた時から通っている児童精神科の先生。 少しでも胸の内を言おうものなら、現実

          やっぱり苦手な児童精神科の先生

          一歩じゃなくていい。半歩の半歩でいい。

          新年、一発目の記事。約2ヶ月ぶり。 久しぶりにぴぃとの記録を残しておこうと思う。 中学一年生を心新たに始めたぴぃは、夏休みを待たずにエネルギーチャージモードに突入した。 それでも謎に、勉強もしていないのに夏休み明けのテストを受けに行ったり、気まぐれで登校する時もあった。 だからといって、それを自分のペースだからと満足しているわけではなく、時々訪問してくれる担任の先生に、 「毎日毎日、学校に行けていない罪悪感に押しつぶされそうです。」 と伝えていた。 満足に学校へ

          一歩じゃなくていい。半歩の半歩でいい。

          noteとの向き合い方を考える。

          久しぶりの記録。 なぜか怖いくらいnoteと向き合うことができなくなっていた。 あれほどブレブレな私を、あれほど整わせてくれていたnote。 今なぜ、このモードに入っているのか、自分でもよくわかっていない。 ただ言えるのは、「日々をあまり振り返らなくなった」ということ。 ぴぃのこと、自分のこと、日々を記録することで、自分達のことを認められるようになったし、どこかで誰かにこんなケースもあると知ってもらえる。 ただその一方で、変化や進化がその都度ないといけないような、

          noteとの向き合い方を考える。

          夏休み明けは母も不安定になりますよ、そりゃ。

          8月に入った途端に、夏休みが終わるまでのカウントダウンを欠かさなかったぴぃさん。 心が解放されるはずの夏休み、「あぁ、あと○日で夏休みが終わってしまう・・・」と言って過ごした。 だからといって、長い休みを鬱々と過ごしていた訳ではなく、楽しい行事の日は前日からウキウキワクワク過ごし、当日も全力で楽しみ、その日が終わる時ほど感傷的になった。 そして、慣れたもんで、当たり前のように宿題にはいっさい触れず、どころか目もくれず過ごした。 ただこれまでと違うのは、小学生の頃にほぼ

          夏休み明けは母も不安定になりますよ、そりゃ。