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人生を変えるキッカケとなった場所、カンボジアに4年ぶりに行った【出発前編】

ただ今、移動中の飛行機の中でメモ帳でこの文章を書いています。
現在は北映 Northern Filmsのマーケティング・楽曲制作担当として、また個人で市内の小中高生の管楽器指導などを北見市を拠点に行なっています。今回は北映の出張として初のチーム全員での海外出張。場所は思い出の地カンボジアへ。実に4年ぶりくらいです。実に4年ぶりくらいです。

僕はこのカンボジアという場所で本当に大きな経験をすることができ、
そして今日までの人生に大きな大きな影響を与えてくれています。

今回はカンボジア旅行記という感じで何編かに分けて4年前のカンボジアについての投稿をしていこうかと。そして最後に4年ぶりの今回の出張についてをまとめて旅行記の締めくくりとしようかと思います。

是非僕の思い出を一緒にシェアしましょう。

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そもそもなんでカンボジアへ行くことになったのか?

僕は高校を卒業してからすぐに、カンボジアのシェムリアップへ移住しました。
なんでカンボジア?ってよく聞かれることが多いですが、きっかけは意外とシンプルで。

当時カンボジアでシェアハウスを運営することを決めた
みのるカンパニー代表磯川実さん(現 北映 Northern Films代表・ディレクター)に

磯「カンボジアでシェアハウスやるんだけど、キスケこない?」
キ「え、いいですね行きます」

磯川さんは僕の1つ上の先輩で中学・高校と同じ学校、同じ部活でした。
今思えば、すごいさらっと海外移住が決まって(初めての海外だったのに)しかもそれを快く後押ししてくれた当時の担任の先生や両親に感謝だなあって思います。当時のカンボジアはまだ地雷があるだの治安がよろしくないだのでとやかく言われていました(実際は普段生活する分には全く問題なかった)

今でも不思議に思うことはありますが、一緒に最初のシェアハウスをやりたいと思って声をかけてくれたことに今でも感謝しています。そしてそんな中学から一緒の先輩と今でも同じフリーランスとして一緒に仕事をさせて貰えていること、毎日めっちゃ楽しい。笑

カンボジアに誘われるまで、僕は2つの進路で迷っていました。

1つ、元々海外には興味があったのでオーストラリアやカナダあたりにワーホリ制度を使って語学留学をしようか、と。
2つ、音楽を小学校からずっと続けていて、特待生制度を使って東京の音楽大学へ進学を。

どちらも気になっているものではあったんだけど、
でも何処か「普通」と感じてしまう自分がいて、
なんか若いうちにたくさん経験したいなっていう思いが漠然とありました。

そんな時にちょうどお誘いが来て。
たしか卒業の2〜3ヶ月前くらいにきたのかな。

高校3年の初めくらいに、先輩は部活に顔出しにきて僕のいる部室に来て

磯「少し話しよう」

そう言われて別室で話している時に、こんなことを言われました。

「卒業したら二人とも別々の仕事をして世界で一緒に仕事しようよ!絶対おもろいよ!!」

いやおもろいかよ。
絶対そんなん面白いしかないやん。
一緒に海外で仕事したいやん。

そう思って僕自身もフリーランスになりたいっていう思いが芽生え始めました。
卒論でも起業に関することでまとめてたくらい結構それから起業について考えていくようになりました。

やられたぜ、磯川ちゃん。(もちろん良い意味でね)

音楽で繋がったメンバー

シェアハウスは僕含め5人の日本人が住んでいました。面白いことにそのうちの4人は同じ学校、同じ部活でした。

そして5人全てに共通していたのは、「音楽」でした。

同じ吹奏楽局だったり、ある人はギター一本でライブに出ていたり、バンドを組んでライブに出ていたり。とにかく音楽で繋がったメンバーでした。

カンボジアへ行くことが決まり、出発の当日。
そこで初めて実先輩を除く4人みんなで空港で合流をしました。(実先輩は先にカンボジアで待っていたので)

最初はみんな探り探り感がありましたが、出来るだけ安く抑えた航空券のおかげで空港と空港の移動時間と乗り継ぎがめちゃめちゃあって、
偶然持ってきたUNOとトランプで12時間以上あった待ち時間もみんなで打ち解ける時間として使えることができました。笑

そうしてやっと拙い英語を使いながらも無事カンボジアへ着き、現地で実先輩とも空港で合流。そこからカンボジアの生活が始まっていったのです。

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