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これは見たい、期待したい。BSフジ『シティポップカレンダー'83』2023年12月28日(木) 21:00~22:55

シティポップの裏方の中心に居た偉大なプロデューサー細野正臣。『はっぴいえんど  風街ろまん 』は正にシティーポップの源流だった。『風をあつめて』は是非聴いてほしい。

※ちなみに、ニューミューックと言うジャンルがフォークソングやロックと融合した様なジャンルであったが、少し日和ったレコード会社が歌謡曲っぽいものもジャンルに押し込めていた。

それに飽き足らない連中、特に都会のお坊ちゃんが先鋭的なフュージョンに寄った楽曲を創りだしていた。

ニューミュージックは、1970年代から1980年代にかけて流行した日本のポピュラー音楽のジャンルです。フォークソングにロックなどの要素を加えた作曲と、政治性や生活感を排した作詞が特徴です。
ニューミュージックは、フォークやロック系の歌手や演奏者による、主として自作自演のポップスです。従来の歌謡曲に比べて新しい感覚の流行歌で、吉田拓郎、井上陽水、チューリップなどが初期から活躍しました。

シティポップ (city pop) は、1970年代後半から1980年代にかけて日本で制作され流行した、ニューミュージックの中でも欧米の音楽の影響を受け洋楽志向の都会的に洗練されたメロディや歌詞を持つポピュラー音楽のジャンル。 シティポップの主要なアーティストの多くがシンガーソングライターである。

音楽性の面でシティ・ポップの源流と一般に挙げられるのは、軽快なロックサウンドに日本語歌詞を乗せた先駆的バンドのはっぴいえんど(1969年-1972年)であり、またシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』(1975年)もシティ・ポップの嚆矢と言われることが多い。
そのシュガー・ベイブのアルバムを起点とし、その後に活躍した大瀧詠一、山下達郎、吉田美奈子、荒井由実、竹内まりや、大貫妙子、南佳孝、山本達彦などがシティ・ポップの基盤を作り上げていったとされる。
なお、シュガー・ベイブに限らず、シティ・ポップの主要アーティストはほとんどが東京出身者もしくは東京を拠点に活動した者たちだった。


まあ、シティーポップの登場人物は東京の富裕層の子息が中心。そのど真ん中に居たのか細野晴臣(白金生まれ)・山下達郎(池袋生まれ)・松本隆(南青山生まれ)である。

商業的には目立たなかったのでその名前や実力を知っている人は少ないが、常に時代の先を模索して日本の現在の「J-POPの基礎をつくった人」
シティーポップの登場人物に多大な影響を与えたし、楽曲などに参加している。

そもそも「J-POP」は89年ごろにできた造語です。 開局当初は洋楽専門だった「J-WAVE」というラジオ局の番組で「洋楽と一緒に流しても遜色ない」としてかけられた邦楽が起源です。 サザンオールスターズや山下達郎、大滝詠一など、英米のポップやロックを取り入れたオシャレな楽曲を指していました。


★はっぴいえんど  1969年 - 1972年

メンバー:細野晴臣、松本隆、大瀧詠一、鈴木茂


★ティン・パン・アレー  1973年 - 1977年頃

メンバー:細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆(後に佐藤博が参加)

当初は「キャラメル・ママ」名義で活動。
その後、1974年にティン・パン・アレーにバンド名を変更しているが、バンド名以外は同じバンドである。
オリジナルとしては、『キャラメル・ママ』(1975年)と『TIN PAN ALLEY 2』(1977年)の2枚のアルバムを発表した。
1975年には、日本テレビのドラマ『はぐれ刑事』と日活の映画『宵待草』の音楽を担当。
このユニットは「ロック・バンド」というよりは、「音楽プロデュース・チーム」としての色彩が濃く、2枚のオリジナル・アルバムよりも、荒井由実、雪村いづみ、いしだあゆみなどの演奏やプロデュースが目立つ。


★イエロー・マジック・オーケストラ   1978年 - 1983年

通称、Y.M.O.(ワイ・エム・オー)
メンバー:細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一

Yellow Magic Orchestra(イエロー・マジック・オーケストラ)という名称は、細野が1970年代後半に提唱していたコンセプト「イエローマジック」から来ている。これは白魔術(善や白人などの象徴。特に白人音楽)でも、黒魔術(悪や黒人などの象徴。主に黒人音楽)でも、そのどちらでもない黄色人種独自の音楽を作り上げるとして、魔術の色を人種の色にかけて提唱した「黄色魔術」(イエローマジック)である。細野がYMO以外で「イエローマジック」の名前を使用しているものとしてはティン・パン・アレーの曲「イエロー・マジック・カーニヴァル」、細野のアルバム『はらいそ』の作成者名義「ハリー細野とイエローマジックバンド[3]」が挙げられる。また坂本のアルバム『千のナイフ』のライナーノーツの細野の寄稿文でも、イエローマジックについての記述がある。

1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(=解散)するまでの5年間で日本を席巻した。活動期間中には米国等でのレコードリリース、およびコンサートツアーも行っている。英語圏で著名な日本人ミュージシャンでもある。1993年に一時的に「再生」(再結成[4])しており、また2007年にも再々結成している。

当時、シンセサイザーを駆使した音楽としては、すでにドイツのタンジェリン・ドリームやイギリスのエマーソン・レイク・アンド・パーマー、日本の冨田勲などが有名であり、1978年のディーヴォの「頽廃的美学論」やクラフトワークの「人間解体」にも、電子楽器の導入は明らかであった。よって、YMOはその路線に東洋趣味をそれと分かる形で歌詞・アレンジ・コンポジションの全てに入れ、プロモーションから黄色人種経由であることを主張し、バラエティ番組やコント番組などにも多く出演し積極的に露出を増やしていき、認知度を高めた。

クラシック、レゲエ等様々な音楽性を柔軟に取り入れている反面、ポストパンク的なシンプルさや攻撃性とは無縁である。このためテクノ御三家の一角としてムーブメントを支えたP-MODELの平沢進は後年「あれはフュージョンだと思っていた[5]」と、自分たちの音楽性とは乖離があった旨を述べている。

YMOは、そのファッションも特徴的であった。特に、初期のアルバムジャケットやライヴでメンバーが着用していた「赤い人民服」(高橋のデザインによる、明治時代のスキー服をイメージした衣装であったが、その形状が中国の人民服と似ていたために、一般的に「赤い人民服」と呼ばれるようになった)、そして、すっきりとした短髪、かつもみあげの部分を剃り落とす、当時の若者の間でも流行した「テクノカット」(本多三記夫考案)と呼ばれる髪型(特に、初期では刈りあげ+もみあげなし)の2つは、YMOのビジュアルイメージとして一般に広く認知されている。

ライブにおいてヴォコーダーヴォイスで挨拶することでも有名。いくつかのライブ盤でそのヴォコーダーヴォイスによる挨拶を聞くことができる。

結成までの流れ

YMO結成以前、細野は、ドラマーの林立夫、シンガーのマナと共に自身の「イエロー・マジック・カーニヴァル」をカヴァーするというユニットを構想していた。だがこれは実現せず(その後マナは、ソロで「イエロー・マジック・カーニヴァル」をカヴァーしている)、続いて細野は林と佐藤博のユニットでマーティン・デニーの「ファイアークラッカー」をカヴァーすることを構想するが、これも佐藤が渡米したことにより実現しなかった。細野は当時のマネージャー(日笠雅水)にも人選を依頼し、日笠は坂本龍一を推薦した[6]。

1978年2月19日に行われた細野のソロアルバム『はらいそ』に収録される「ファム・ファタール」のレコーディングの際に、坂本龍一、高橋幸宏の2人と、初めて3人で顔を合わせることとなった。

それまでにも坂本と細野は1975年、大滝詠一のアルバム「NIAGARA MOON」の録音時に顔合わせをしており1976年には細野がティン・パン・アレーのツアーでサポートメンバーとして坂本を起用するという関係だった。
1976年5月、細野のアルバム『泰安洋行』発売時のライブでは坂本とともに「ファイアークラッカー」を演奏している。

一方、高橋と細野は学生時代から旧知の仲であったが、ミュージシャンとしての交流はサディスティック・ミカ・バンドが1975年の「ジャパン・ロック・フェスティヴァル」に出演した際、小原礼の代役で細野が演奏したことが一度あっただけだった。

その日細野が2人を自宅に招き、3人はこたつを囲んだ状態で、おにぎりを食べながら(みかんという説もあるが、みかんはあったと三人は記憶している)会合を行った。
細野が新たなグループのコンセプトを彼らに伝えたところ、2人は賛同し、ここで初めて“YMO”が結成される。このとき細野は2人に「マーティン・デニーの「ファイアー・クラッカー」をシンセサイザーを使用したエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジし、シングルを世界で400万枚売る」(実際のメモには枚数は書かれていない)という自身のメモが書かれたノートを見せている。

細野はメンバーが決まった後も、結成当初は横尾忠則をYMOのメンバーに加える構想があった。記者会見の当日、細野は横尾に対し会見に来るように伝えていたが、横尾はなぜか「行きたくなかった」とキャンセルした(真相は、会見当日が締め切りとなっていた仕事に専念するため)。
黎明期YMOのトレードマークである“タキシード”も横尾の分含め4着用意されていたが、結局、横尾がメンバーに加わることはなかった。

後に、結成前から坂本と組んでいたシンセサイザーのエキスパート松武秀樹が、サポートメンバーのプログラマーとして迎え入れられ、YMOの特徴であるシンセサイザーの自動演奏を一手に引き受けることになる。

細野晴臣は、プロデューサーの役割でJ-POPの先端を切り開いた偉人。


♯1 シティーポップとユーミン


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太陽光線 2023年12月20日



2.BSフジ『シティポップカレンダー'83』12月28日放送 様々な視点から83年を深堀り

Coamass    2023/12/19

BSフジ『シティポップカレンダー'83』が12月28日(木) 放送。

2022年に放送された『シティポップカレンダー'81』に続く、BSフジのシティポップ特番。

今回は高度経済成長の中、東京ディズニーランドの開園や、YELLOW MAGIC ORCHESTRAの散開があった1983年を特集。この年、日本では何が起きていたのか?どんな状況で「シティポップ」は生まれ、広がっていったのか。ゆかりのある人にインタビューを行い、当時をカレンダー形式で振り返ります。

稲垣潤一や林 哲司が明かす当時の制作エピソード、有野晋哉(よゐこ)の思う当時と現代の「遊び」の変化など様々な視点から1983年を深堀りします。

■『シティポップカレンダー'83』
BSフジ 2023年12月28日(木) 21:00~22:55

 近年、若い世代からリアルタイム世代、さらに海外に至るまで広く注目されている「シティポップ」。当時注目されていなかった隠れた名盤の発掘は、現在もなお続いており、新しいリスナーに出会い続けている。今回は高度経済成長の中、東京ディズニーランドの開園や、YELLOW MAGIC ORCHESTRAの散開があった1983年を特集。この年、日本では何が起きていたのか?どんな状況で「シティポップ」は生まれ、広がっていったのか。ゆかりのある人にインタビューを行い、当時をカレンダー形式で振り返る。

 シティポップを代表する歌手のひとりである稲垣潤一が明かす当時の楽曲制作エピソードや、有野晋哉(よゐこ)の思う当時と現代の「遊び」の変化、ヒット曲を多数生み出した林 哲司に当時の制作について伺うなど様々な視点から1983年を深堀りする。

<シティポップカレンダー’83放送予定>(各月のテーマ:取材対象者)
■1月 83年になりシティポップはどう変わってきたか?:旅&音楽ライター/選曲家・栗本斉
■2月 アルバム「Shylights」(稲垣潤一):ミュージシャン・稲垣潤一
■3月 「君に、胸キュン。」(YELLOW MAGIC ORCHESTRA):お笑い芸人・塙 宣之(ナイツ)
■4月 『オールナイトフジ』放送開始:作詞家・秋元 康
    杉山清貴&オメガトライブ デビュ:作曲家・林 哲司ー
■5月 アニメ『ストップ!!ひばりくん!』放映開始:漫画家/イラストレーター・江口寿史
■6月 アルバム「MELODIES」(山下達郎):FM802取締役会長・栗花落 光
■7月 ファミリーコンピュータ発売:お笑い芸人・有野晋哉(よゐこ)
■8月 日比谷公園三代目大音楽堂完成:カクバリズム代表取締役・角張 渉
■9月 洋楽ポップスの影響を強く押し出した楽曲制作:ミュージシャン・杉 真理
■10月 「Midnight Pretenders」(亜蘭知子)を2022年にザ・ウィークエンドがサンプリングして大ヒット:ミュージシャン・亜蘭知子(※コメント出演)
■11月 海外に広がるシティポップ:ミュージシャン・土岐麻子
■12月 YELLOW MAGIC ORCHESTRA散開:カメラマン・トシ矢嶋

<出演者>
秋元 康         (作詞家)
有野晋哉(よゐこ)    (お笑い芸人)
稲垣潤一         (ミュージシャン)
江口寿史         (漫画家/イラストレーター)
角張 渉         (カクバリズム代表取締役)
栗本 斉         (旅&音楽ライター/選曲家)
杉 真理         (ミュージシャン)
栗花落 光        (FM802取締役会長)
土岐麻子         (ミュージシャン)
トシ矢嶋         (カメラマン)
塙 宣之(ナイツ)    (お笑い芸人)
林 哲司         (作曲家)
ほか
※五十音順

【ナレーション】
松重 豊         (俳優)

番組ページ
https://www.bsfuji.tv/citypopcalendar83/pub/

終わり

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