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合戦 山の怪

鏑矢が尻に突き刺さる衝撃と痛みで、ほんの一瞬、体が宙に浮いた。盆地に住むとこういった生活の悩みは尽きない。
京都を見るとわかりやすいが、盆地は夏は暑く、冬は寒い。とことん人間に都合の悪い気候にも思えるが、その分、秋は紅葉が鮮やかに燃え、春は矢が青空にアーチを描く。
しかし、今日の矢は少し様子が違った。それは私の尻に刺さる直前、ヒュルルと鳥が鳴くような音を鳴らしていた。
かつて合戦の始まりを告げた鏑矢が、いま私の尻に刺さっている。これはなにかの暗示だろうか?

しばらく道を歩いていたが、武士の軍勢が馬上で切り結ぶといったことは特になく、町は平和そのものだった。ただ、鏑矢にはどうやら”返し”がついていて、無理に抜こうとすると穴が増えてしまいかねないので、尻に矢を生やすがままにしている。こんな男が彷徨う町は、もしかしたら平和ではないのかも。

「もし、そこなる御仁」

ふとどこからか声が聞こえた。周りを見渡すが、道に私以外の人間は歩いていなかったので、自分がターゲットと思ってよさそうだ。
そこで一つの疑問が浮上した。人間が私一人なら、いったい誰の声を聴いたのだろうか?
道に落ちているチャッカマンが目に入る。何とはなしに拾ってみると

「気づいていただけましたか」

声が近くなった。具体的にはちょうど手のあたりから聞こえる。

「チャッカマンがしゃべった!」

チャッカマンがしゃべった際の反応として、あまりに平凡なものになってしまった。
こんなことだから尻に矢が刺さるのかもしれない。

「言葉を発していることからもわかる通り、私はただのチャッカマンではないんです」

チャッカマンが自分を俯瞰している。

「かつて私はもっと力を持った妖怪だったのです。田舎を歩いているとやたら庭でなにか燃やしている家をみるでしょう?」

確かに、道がやたら煙臭いことはよくある気がする。
おそらく不要な家具などを燃やしているのだろう。田舎特有のおおらかさを感じる風景だ。

「あれは全部私の仕業です」

「そんな……」

明らかに自分で燃やしてるような素振りだったのに。みんな自分を騙してたなんて。

「彼らは勝手に燃やされたのが悔しくて自分で燃やしたフリをしていたのです」

この世で一番どうでもいい攻防である。
しかしこんな姿では満足に火をつけられないのではないか。

「そうなのです、実はライバルの天狗に力の源を奪われてからチャッカマン程度の火しか起こせず、それに合わせて力相応の見た目になってしまったのです」

どうやらあやふやな存在に思える妖怪にも、彼ら独自の理|《ことわり》があるようだ。むしろあやふやで自由だからこそ、理そのものが存在に直結するのかもしれない。

「あなたには、天狗から力の源を取り返して欲しいのです。どうやらあなたも矢が抜けなくて困っている様子。ここはひとつ助け合いませんか」

正直に告白すると、今も尻の痛みで話半分ほどしか聞けていない。庭の焚火のくだりなどは、輪をかけてどうでもいいのだった。尻の痛みこそが今の自分にとっての真実だった。

「本当に矢は抜けるのか」

「約束しましょう」

どうせこの町にまともな外科医はいないのだ。(前にかかった病院では看護士が診療室に生えたイバラに当たって気絶していた)
チャッカマンの力強い返答を信じることにした。

バス停で待つこと数十分、チャッカマンの話通りバスが来た。

「いいですか?このキノコを口にくわえて、バスを待ってください」

「あの、なんか舌が痺れるんだけど、毒キノコなのでは?」

「多少毒キノコです」

(多少毒キノコ?)

天狗の住処にバスで行けることも信じがたい話だが、来てしまったからには乗るしかないのだろう。
しかし大妖怪の根城に向かうにしては、随分普通のバスだ。
座席に座って落ち着けること自体に、なんというか落ち着かない。いや、今は矢があるので席に座れたらの話だが。
人の尻は座るためにある、と思う。なにかに腰掛けるという行為を尻に頼り切っていた私は、尻に愛想をつかされたのかもしれない。この鏑矢は私から座ることを奪い、自分の脚で立つことを求めている。
しかし、そうなれば今度は足を負傷するのではないか。と、悪い予感がしたが流石にそんなに次々と悪いことは起きないだろう。
ふとバスが止まって扉が開き、誰か乗り込んできた。しかし、何か様子がおかしい。
目をやると、乗ってきたのは藁を羽織って瓶を手に持つ小人だった。

「あれは油すましという妖怪です」

私が驚いていると、手の中のチャッカマンが教えてくれた。このバス、やはりただのバスではないらしい。

「あまり見すぎると失礼ですよ」

妖怪にもそういうのあるんだ。と思いながら目を逸らすが、やはり気になる。視界の端で油すましを見ていると、彼は私の前で躓いて瓶を放り投げてしまった。幸い瓶は割れなかったが、中に入っていた液体が私のズボンにかかってしまった。

「ああ、すみません!ズボン弁償します」

「いえあの、気にしないでくださいそんないいズボンじゃないので」

気にしてないというのも本当だったが、藁ファッションの人にズボンを弁償されるのは何となく嫌だったので断ってしまった。
しかし、この液体、油すましというだけあって油だろうか。だとしたら落とすのは難しいかもしれない。
そんなことを考えていたら、もう一人乗り込んできた。
今度は何だろうと見てみると、それは中央に男の顔がついた大きな車輪だった。これは輪入道という妖怪だろう。見た目のインパクトがすごいので私でも知っている。何がすごいといって、やはり車輪全体に火を纏っているところだろう。

「終わった!」

「落ち着いてください。このバスは妖怪用ですから簡単には燃えませんよ」

人間は簡単に燃えるつってんの。
しかし、落ち着くのも大事だ。いくら油まみれのズボンを履いているとはいえ、近づかなければ引火しないはず。
そう思った瞬間、飛んできた火の粉がズボンに落ちて、あっという間に燃え上がった。

「おあああああああ!」

その瞬間、何事もなかったようにバスが発車する。妖怪だから人間が燃えててもお構いなしという事か。
もう駄目だ。あんな妄想しなければ、いやそもそもこんなことに首を突っ込むんじゃなかった。
後悔が駆け巡った時、ふと蜃気楼のように炎が消え去った。

「自分で火を出すことはできませんが、この姿でも火を操ることはできるのです」

チャッカマンの能力で助けられたようだ。実際に燃えていた時間は一瞬だったようで、火傷はしていなかった。ただズボンの燃えていた部分は焼け落ちて、夏休みの小学生のような格好になってしまっている。
唖然としていると、輪入道がバツの悪い顔で話し掛けてきた

「あの~すいませんでした。ズボン弁償します」

「いや、なんか大丈夫だったんで気にしないでください」

気にしてないというのも本当だったが、全身燃えてる人にこれ以上関わりたくなかったので断ってしまった。

「洗う手間が省けましたね」

チャッカマンが気の利いた冗談で慰めてきた。うすうす感じていたが、この妖怪、意外と陽気な性格である。

ズボンのごたごたで気づかなかったが、バスは整備された道を外れて森の中を走っている。不思議と木にぶつかることはなく、まっすぐ走り続けている。

「道を外れているというより、見えない妖怪の道があるのです」

見えない道。人間が知らないだけで、至るとこにあるものなのだろうか。人が通るのは難しそうだが、そこを通らないとたどり着けない場所もあるかもしれない。私の場合は天狗の住処なわけだが。

「その天狗ですが、彼の性格だと、私の力の源をどこかに保管しているというより、自分の手元に置いている可能性が高いです」

となると、監視の目を盗み忍び込んで、目当てのものを奪い去るという展開にはならなさそうだ。
それが意味することは、天狗との直接対決。
気付けばバスは森のかなり深い場所まで来ていた。油すましも輪入道ももう前のバス停で降りて、車内には私たちしかいない。

「次で降ります。ボタンを押してください」

私の尻運命を決める決定的なボタンは、込めた力に反して極めて軽い手ごたえで点灯した。

天狗。山に住む人々の畏れを一身に集めるその器は大きく、山のあらゆる自然現象がこの妖怪に結び付けられるほどだ。
人間が山に抱く畏怖そのものとも言える大妖怪が、いま私たちの目の前に立っていた。
彼の後ろに構えた庵の戸を叩くまでもなく、私たちを待ち構えていたようだ。

「来たか、ツルベ」

ツルベというのはチャッカマンの名前だろうか。家族に乾杯の人ではなく、井戸の水汲みに使う道具のほうが由来だろうが、前者のイメージが強すぎて正直かなり気が散る名前だ。
ただ、それより気になるのは私たちが来ることが分かっていたかのような彼の口ぶりだった。

「お前に刺さった矢は、いわば狼煙よ。それがあれば、お前の動きは手に取るようにわかるわ」

「な、なぜこんなことを」

困惑と怒りが同時に沸き、尋ねる声が上ずった。

「そんな死に体の妖怪が話すことを真面目に聞くような暇な人間は、この町でお前だけだからな」

「な、なんっな、ああ!」

思わぬところから核心を突かれ、音が玉突き事故を起こしたように意味のある言葉を一つも発せなかった。
確かに私は、矢が刺さった時、何か目的を持ってあの場所を歩いていたわけではなかった。というか、人生でなにか目的を持っていたことがあるかと聞かれると、ありま千円と答え尻を巻いてに逃げるしかないのである。
身から出た錆だとでも言うのだろうか。いや、こんな横暴を許してはいけない。暇人の尻なら矢を刺して良いという事は決してないのだ。
もはや動揺を隠すことはできないが、最小限まで小さく深呼吸をする。

「私が暇なのはいいとして、なぜわざわざここに来させたんだ」

「そいつを確実に始末するためよ。その姿は見ものだが、妖力が弱すぎてどこにいるかわからん。逃げられてしまってからどうやって見つけるか思案していたのだ」

天狗はこうして話している間にも、とてつもない威圧感を放っている。単純に山のような体躯によるものもあるが、それだけではないなにかを肌に感じる。妖力というものかもしれない。
そんな存在がここまで警戒するということは、ツルベの力はまさしく大妖怪というにふさわしいものだったのだろう。
不意に、天狗が扇を取り出す。よく見ると大きなヤツデの葉だった。そこに言葉や合図はなく、戦いの始まりを告げる鏑矢を射るものもいない。

次の瞬間、地面と空が逆転した!
体が空に落ちていく。と思いきや地面に激突し、逆転したのは自分の視界だと気づく。
痛みで動けないなかで、なんとか状況を理解しようとする。木々の枝が激しく揺れていることと、空気が唸るような音から、風で吹き飛ばされたということは推測できた。

「まずい!あいつ、まっとうに天狗だぞ!」

「それこそが奴の最も恐ろしいところです」

ツルベがこともなげに言う。自分が元凶なのに何をそんなに落ち着いているのだろう。
天狗が再び扇を構えた。

「どうしよう!みんな普段どうやって天狗倒してるんだ!」

「一瞬でも力が戻れば、奴が力をためている間に倒せるかもしれませんが……」

どうやら、あの扇にはクールタイムがあるらしい。確かに、無制限に使えたらとっくに死んでいるだろう。
ツルベの力が戻れば天狗に対抗できるだろうが、力の源を天狗が持っている限りそれはかなわない。

「なにか企んでいるようだが、扇を振った後を狙う気なら、儂は仕掛けてくるのを待つとしよう」

当然といえば当然だが、相手も自分の隙を理解している。
これはいよいよ詰みに近いか。
諦めかけた次の瞬間、私たちと天狗の間になにか投げ込まれた。
それは煙を噴き上げながら周囲を白く染め上げていった。

「諦めるにはまだ早いッス」

「あなたは、油すまし!」

「弁償のかわりにあいつを倒すのに協力するッス」

後輩キャラだったんだ。
バスでの出来事を思い出すと、彼の油で火をつければ、かつてのツルベの力を引き出せるかもしれない。怪我の功名とはまさにこのこと。
この煙も彼の能力だろうか。

「これはバスから盗んだ発煙筒です」

何やってんだこいつ!
追求しようとしたとき、再び強い風が巻き起こる。
煙を払おうとした天狗が、扇を使ったようだ。とっさに気にしがみついて必死に踏ん張る。
煙が晴れ、私たちの姿が天狗に丸見えになる。しかし、同時に風も弱まり、天狗も無防備になった。

「今ッス!」

油すましの合図とともに走り出す。走る私の頭上を背後から何かが飛び越え、天狗に直撃した。

「油だと!」

もちろん油すましが投げたものだ。
ツルベに火を点け、ようやくチャッカマンとしての正しい姿になる。そして油まみれの天狗を燃やさんと手を伸ばした時、不意にツルベが叩き落された。
天狗は大きな翼を躍動させ、私の手をはたいたのだ。
よく考えると、日本を代表する妖怪なのだから接近戦が強くてもなにも不思議はない。逆に勝てると思ってた自分の方が、今日遭遇したどんな怪奇より不思議だった。
体勢を立て直した天狗が、扇を構える。今度こそお終いだ。
しかし、私たちの攻撃を完全にいなしたはずの天狗の服に、小さな火が灯っていた。

「あっ、すみません火の粉が……」

「輪入道!」

お前は助けに来たとかじゃなくて通りがかっただけなのかよ。
しかし、火が付きさえすればこっちのものだ。
ツルベの能力によって火はたちまち天狗を包むほど成長し、薄暗い森を煌々と照らす。

「火を消してほしかったらツルベの大事なものを返すんだ!」

「わ、わかった。儂の負けだ……」

「あの、すみません服弁償します」

「い、いやいい……」

やっぱ輪入道ってちょっと避けられてるのかな。。


どうやらツルベが奪われたものは、名前の通り釣瓶だったようだ。

「道具が化生して妖怪になることはよくあるんです」

相変わらずチャッカマンのまま話しているが、しばらくすれば元の姿に戻るようだ。
ふと尻の矢がひとりでに発火し、驚く間もなく灰となって散ってしまった。ツルベの力によって矢だけを燃やしたようだ。

「また人ん家のゴミ勝手に燃やすのか?」

「いえ、今回の件で流石に懲りたのでしばらく自重します」

しばらくしたらまたやるのか……

「あなたはどうするんです?」

「そうだなぁ」

今回の件でいろいろ感じたことはあるけれど、帰ったらやろうと決めていたことがある。

「この町変だから引っ越すよ」

「それがいいですね」

                               完

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