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自殺の研究倫理を考える①前提

研究倫理(Research Integrity)とは、「科学者」「研究者」と呼ばれる人たちや、大学や研究所、附属病院など研究機関の機能を持つ組織が守るべき道理、規範のことです。

私のいた筑波大学では、入学時に「知の品格」という研究倫理が記載されたクリアファイルが配られ、日頃から研究倫理を意識するように教育を受けていました。大学院に入って自分の研究を実施する際には、研究倫理の授業やeラーニング、講習会を受講して確認テストに合格した上で、研究倫理審査委員会に研究計画の承認を受けることが必須でした。
しかし、いろいろな倫理教育はあくまで必要最低限の前提といえます。自分の研究を計画・実施して世の中に発表するまでの間には、常に主体的に研究倫理を考えて行動しなければなりません。

卒業研究では、指導教員から「自分で責任をとれない研究計画を実施させることはできない」と指導を受け、自分の知りたいことを明らかにしようとする(だけの)自殺の研究は実施に至りませんでした。当時は残念でしたが、本当にその通りだと思います。その後の修士の研究でも、自殺について尋ねる質問項目の考え方に苦慮しました。

その一方で、メンタルヘルスを扱う自治体や法人が、特に研究倫理の講習や審査も受けずに、メンタルヘルスに関する大規模調査を実施して世の中に発表していることは大変疑問でした。

なぜ、自分の卒業研究よりも明らかに他者に影響のありそうな調査を大規模に実施しているのに、「研究倫理審査」を受けずに、同じような工程を経ることができるのか?

研究倫理とはだれのものか

日本学術振興会「科学の健全な発展のために」編集委員会がまとめた、研究倫理のガイドライン『科学の健全な発展のためにー誠実な科学者の心得ー』には、その対象を

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としています。これを見る限り研究倫理は、研究を実施するあらゆる人に適用されるもののように思われます。

一方、厚生労働省が平成19年に発表している「研究活動の不正行為への対応に関する指針」では、「3対象となる研究者及び研究機関」として下記の記載があります。

上述の競争的資金等の配分を受けて研究活動を行っている研究者(中略)、それらの研究者が所属する機関、又は対象となる競争的資金等を受けている機関であり、厚生労働省の施設等機関地方公共団体の附属試験研究機関学校教育法に基づく大学及び同附属試験研究機関民間の研究所(民間企業の研究部門を含む。)、研究を主な事業目的としている民法第34条の規定に基づき設立された公益法人等、研究を主な事業目的としている独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)第2条に基づき設立された独立行政法人

これを読むと、研究資金を得ていることや、研究を主な事業目的としていることが、現行の研究倫理を守らなければならないことに関連するようです。

しかし私を混乱させたのは、「倫理審査委員会」がない大学の存在です。私が現在在籍している大学も、審査委員会が出来たのは比較的最近のことのようです。こういった大学に所属している研究者は、厳密にいえば外部で研究倫理審査を受ける機会はあるにせよ、倫理審査がある大学よりもある種、慎重になって自ら研究倫理を守りながら研究をしていくことになります。

研究倫理がピンとこない理由

では、研究倫理の審査委員会がある組織に所属している方が、研究倫理に則った行動をとるにはより良い環境といえるのでしょうか。
正直、私自身がこれまで「研究倫理」を本質的に考える機会があったかと問われれば、疑問符がつきます。

①研究倫理審査に申請する=研究計画の確定を意味するから

倫理審査委員会は月1回程度しか開催されず、さらに結果が分かるのは申請してから1か月以上経ってからでした。委員会の審査によって申請内容に修正が求められれば、申請した時点から研究を開始できるまでに2か月経ってしまうなど、とにかく時間がかかる印象です。
そのため、研究を実施したいタイミングよりも早い段階で研究計画を確定させる必要があり、研究倫理審査の申請書が実質、最終的な研究計画書になるのです(その後は、些細な変更でも変更申請が必要でした)。
したがって、院生は研究倫理や倫理的配慮云々を吟味するよりも、自分の研究計画を考えることに必死だったと思います。特に博士前期課程のころ、臨床実習と修士研究に追われている院生室では、誰かしら「倫理がやばい」と言っていて、常に「りんり」のことが話題にあったように思います。

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②論文を書いたり研究費をもらったりする経験がないので「研究不正行為」がいまいちよく分からない

「研究倫理」と表裏一体の「研究不正行為」、すなわち盗用、捏造、改ざんをしてはいけない、ということは教育課程で何度も教わりますし、不正行為をはたらいた研究者について度々報道で話題になりますので、頭では理解できています。しかし、初めて自分で研究計画書を書いて倫理審査の申請を出すときには、アイデアの盗用はまだしも、データの改ざんや論文の捏造といった不正行為は、今一つピンと来ません。
また、大学院生は自分自身で自由に使える研究費も基本的にないと思いますので、「研究費の不正使用」についても「自分には関係のないこと」と考えがちではないでしょうか。(※研究費の不正使用事例には、指導教員が院生に対して不正にお金を使うことも含まれるので、院生側がその内容を知っておくことは言わずもがな重要です)

③対象者の「人権の保護」の方法論が分からない

心理学の学生は「ミルグラムの実験」など、非人道的な心理学研究を習いますので、どのような研究を実施してはいけないのか、何となくわかります。それに先述した研究不正活動も何かは分かります。しかし、人間は「このような活動をすれば誠実である」と一概には決められないように、研究活動も「こうすれば誠実である」と一様に決めることはできないと思います。
誠実さを突き詰めようとすれば、(時間やお金、資源の限界はあるものの)どこまでも突き詰められるはずです。また、私が卒業研究で指導教員に言われたように、研究を実施するのが誰であるかによって、研究活動で果たせる誠実な態度や行動の範囲も変わるといえます。
研究計画の立案から研究終了まで、特に自殺の研究であればこの点を最もよく考える必要があるにもかかわらず、この部分はあまり教わらないのが実情です。

そのため、倫理審査を受ける期限や手続きの方が目立ってしまい、「研究倫理」≒「研究倫理審査委員会に承認を得ること」として意識されてしまっているのが、現状かもしれません。

研究倫理は、研究をする誰もが考えなければならない

ここで冒頭に戻るわけですが、自治体や法人などが研究倫理審査を受けずに調査を実施しているのは、「研究倫理」がどうやら「研究を実施するときの倫理」ではなくて、「研究者のための倫理」と捉えられているから、ということなのだと思います。
確かに、研究実施者が誰なのかによって、社会にもたらす意味も変わってくるので、研究倫理を最低限守る必要のある立場が決まっていることは理解できます。
しかし、特に自殺の分野においては、研究者はもちろん、官民一体となって自殺対策を進めていますから、調査や研究をして世の中に発表するのは研究者だけではありません。社会に影響を与える知的生産活動としての研究を実施するなら誰でも、研究倫理は守らなければならないものだと思います。

私は現在、大学院生ではなくなり、指導教員もいなくなり、自分が研究責任者として研究を実施することもある職業研究者になりましたので、実施する研究に公的資金を配分されているか否かに拘わらず、また所属機関や論文公表先が倫理審査の要不要を問わなくても、最大限の研究倫理を考え、それに則って研究を進めるように努めていきたいと思います。
また、自殺研究に取り組む者として、研究倫理については次のような姿勢を忘れずに守っていきたいと思います。

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研究倫理を考えるのに参考になるページ

つづく

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