主体的に、想像力を使って、子どもと大人がともに遊ぶことの大切さ

「知的障害は治りますか?」(愛甲修子著,花風社,2020年)を読んだ。

画像1

愛甲さんは、臨床心理士・言語聴覚士で、心理カウンセラーである自分と同じフィールドに立つ人である。

「似ている」と思えて、うれしかったのが、子どもたちとの関わり方であった。

一般的には子どもと親を分けて、それぞれに専門家がつくということが多いかもしれない。

が、わたしは子どもさんと親御さんと一緒にカウンセリングをする。もっとも、ご本人が「親とは別にしたい」というならそうさせていただく。

一人で開業していることもあるし、知らないところへ連れてこられて、親と離されて、知らない大人に質問されたり、絵を描かされたりするのは、怖いことではないかと思うからである。

嫌じゃない?それ。

単純にそう思って、一緒にというスタイルを取っている。

そして、やることは、これまた子どもさんの意向によるけれど、たいがい一緒に遊ぶということになる。

箱庭療法の砂箱やパーツがあるオフィスには、遊びに使えるものがたくさんある。

画像2

おままごとをしたり、お医者さんごっこをしたり、工作をしたり、ろくに隠れるところなどないのに、かくれんぼをしたり。

子どもさんが主体的にやりたいと思う遊びに、大人が付き合うというよりは、大人も主体的に、結構本気で遊ぶのだ。

たくさんのものを食べ、飲み、熱を出し、注射をされ、薬を服用した。

かくれんぼなど、マジドキドキしながら隠れているし、探すときも本気で探す。

絵や工作が好きなので、お菓子なんかが入っていた箱をばらし、その紙でありとあらゆるものを作った。

トイレとかベッドとか、タンスとか、サンダルとか・・・子どもたちは、紙とテープさえあれば、なんでも作ることができると思ったことだろう。

子どもたちも、さまざまなものを作り上げ、部屋に飾ったのだった。

愛甲さんの話にもあったように記憶しているけれど、子どもだけでなく、大人も楽しいカウンセリングである。

親御さんも、「家ではなんやかんややることあるから、こんなに子どもと遊ばないから、楽しい」と言ってくださる。

大人にも遊びは必要だ。

子どもは遊べば元気になる。

という単純な発想で、一般的には「遊戯療法」と呼ばれる手段をとることが多いのだが、毎回大いに遊んで、大人も含めてみんなで元気になっていく。

そして、主体的に遊ぶこのひとときを共有することが大切なのだということも、改めて今回確認できた。

さらによかったのは、改めて想像力を使う遊びをすることの大切さを意識できたことだった。

元気になるだけでなく、子どもが発達していくことをあらためて確認できた。

たしかに、元気になるだけでなく、育っていく。

想像力をはぐくもことは大切だと思っていた。思いやりも、発明も、豊かな生活も、想像力からやってくるものだからだ。

まっとうな育ちにはたしかにマストなものである。


そして思い出した。

私は子どもの頃、想像力をふんだんに使う遊びをたっぷりとしたのだった。

たとえば、昔はよくあった、布団の下に引くマットレス。

三つ折りぐらいになっていて、立てると壁になる。それでお家や基地を作って遊んだ。

母とよく遊んだのは、お人形さんを使った遊びである。

絵本を90度に開き、これまた立てて壁に見立て、お人形さんの家を作った。多くの絵本を使えば、部屋が何個もある大邸宅ができる。

一方、母の家は(多分面倒だから)「これでいい」と言って、4冊ぐらいを使った、ワンルームだった。しかし扉(多分下敷きかなんか)は上下に開く自動ドアである。

その頃はまだ生活にゆとりがあったので、リカちゃんハウスも買ってもらっていたのだが、絵本で作った家での遊びが断然楽しかった。

まさか、あの頃のたわいない、意味のないように思える想像遊びでつちかった力が、今の仕事にこれほど役立つとは驚きである。

そして、それが知的障害を治す、もしくは改善させるなら、世の多くの人が喜び、しあわせになることであろう。

楽しい支援が喜びにしあわせにつながる。

こんないいことはない。前からやっていたことではあったが、今回この本を読むことで、自信を深め、さらに意識的に取り組むことができる。

感謝である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?