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魔法を科学する人生再生カウンセラー、いなまつゆかです。元コミュ障なりのコミュニケーショ…

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魔法を科学する人生再生カウンセラー、いなまつゆかです。元コミュ障なりのコミュニケーション法などを講師として語ることも。まんがと本と文具と映画好き。少し不思議で、大分おばかで、こころと親しくなれる話を、エッセイや物語として書きます。http://spaceporepore.com

最近の記事

主体的に、想像力を使って、子どもと大人がともに遊ぶことの大切さ

「知的障害は治りますか?」(愛甲修子著,花風社,2020年)を読んだ。 愛甲さんは、臨床心理士・言語聴覚士で、心理カウンセラーである自分と同じフィールドに立つ人である。 「似ている」と思えて、うれしかったのが、子どもたちとの関わり方であった。 一般的には子どもと親を分けて、それぞれに専門家がつくということが多いかもしれない。 が、わたしは子どもさんと親御さんと一緒にカウンセリングをする。もっとも、ご本人が「親とは別にしたい」というならそうさせていただく。 一人で開業

    • 援助者がみようとするもの

      瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」を読んだ。 血がつながらない親たちが娘を育てていく話である。 主人公の女子高生森宮優子は、母を幼くして亡くし、実の父、育ての親が3人いる。 実の父から離れ、家を転々とし、次々と育ての親が変わり・・・。 という環境をケース記録として読むと、「大変な環境で苦労し、つらい思いをしている子」というクライエント像が浮かび上がる。 学校の先生方もそういった印象を持ち、いわゆるカウンセリングで言われそうな、「つらかったね。無理しないで、

      • 「こころはこんな感じやねん」の2意識と無意識の関係

        こころは広い。 せやけど、意識、自分がわかっている部分は、広かったり狭かったりするねん。 自分という意味で「自我(じが)」って言ったりもする。 意識が狭いと、収まりきらへんもんが出てくる。 小さな花束しかできへんときに、花がこぼれ落ちてしまう、みたいなもんや。 そしたら、こぼれ落ちたもんは、ないことになる。 認めたくない自分のことやな。 ないことになるけど、本当はあるから、こぼれ落ちた花は、「無意識」っちゅう倉庫に入れられてしまうんや。 ずっとおとなしく倉庫に

        • 「こころはこんな感じやねん」の1

          こころは見えへんやんか。 せやけど、こんな感じちゃうかなあって考えた人がいてはる。 今日はフロイトっていう人が考えたやつ、話すな。 氷を水につけたら、浮くやろ? 水から出てるとこが、意識(いしき)、水につかってるとこが、無意識(むいしき)、その間が前意識(ぜんいしき)。 まあ、そんな風に思てみて。 意識は、自分でわかってるところやな。気づいてることや、暑いなあみたいに、感じてるとこ。 私やったら美人で髪ツヤツヤ、みたいなとこやわ。 え、そうでもない? やかましいわ

        主体的に、想像力を使って、子どもと大人がともに遊ぶことの大切さ

          正しさは責任を隠す

          東京へ向かう新幹線の中、つらつら思う。 昨日、なんとなくつけたテレビに画家の藤田嗣治のことが取り上げられていた。 藤田嗣治はフランスで絵を学校で習わず、独学で自分にしか描けない絵を目指し、その後、高い評価を得た。 女性の肌の色が、他にない透明感のある乳白色で、フジタホワイトと呼ばれ、絶賛されたのである。 しかし、日本の画家たちからは、おかっぱやイイヤリング、服装などの風貌や他の人と戯れるライフスタイルをバッシングされたのである。今でなら大炎上ということだろう。 実は

          正しさは責任を隠す

          こころが動くものを表現すればよかったんだ

          昨日、今日と映画を観に行った。 昨日は、「Vision」。今日は、「羊と鋼の森」。 どちらも、映像が美しかった。 今朝の散歩のときに、家のすぐ近くの田んぼにこころが動いた。正確にいうと、元田んぼである。造成され、住宅地に変わることになっていたからだ。 もう田植えはない。雨のせいで水が張られた地が光り輝くのを観て思った。すると愛おしさが込み上げ、思わず写真を撮った。 「Vision」も、荒れつつある奈良の吉野の山を舞台としていて、美しさと共に切なさが残る映像だった。

          こころが動くものを表現すればよかったんだ

          誰にもアートが必要

          「半分、青い。」を毎日観ている。朝の連続テレビ小説である。 漫画家志望の主人公、鈴女は、売れっ子漫画家の秋風羽織に弟子入りする。そこでの修行をする。1日に、20分から15分、10分と時間を縮めて、10時間クロッキー(素描)の鍛錬をするシーンが圧巻であった。 その日の終わりに、弟子たちだけではなく、モデルをつとめた鈴女の幼馴染、律と律の友人、正人にも秋風は、スケッチブックをプレゼントした。 僕たちにも?と不思議に思う、律たちに、「絵を楽しむことは誰にでもできることだ」と言

          誰にもアートが必要

          我が家の非女子的記念日への熱情

          我が家は、誕生日、結婚記念日等への思いが、どうやらかなり熱いらしい。 どうやら、というのは、まったく意識していなかったからだ。 それを意識したのは、家を出た家族が「よその家は、誕生日にうちほど一生懸命じゃない」ということを教えてくれたときからである。 「うちは、もう朝から『さあ、誕生日だ』みたいなテンションが、お父さんにもお母さんにもあるやん。よそは、そこまでないのに、驚いたよ。あっさりして拍子抜けした」というのだ。 へええ、そうなんや。て、いうか、うちって、そんなに

          我が家の非女子的記念日への熱情

          寄り添うとはいらない力を抜くこと

          3月19日、20日と福岡の博多に行った。 仕事ではない。前回連れ合いの仕事に便乗して、京都へ旅に出たが、今回も少し似ている。連れ合いが滋賀から久留米へと連続の出張の仕事に行くのに、後から追いかけたのだ。 京都と違うのは目的があること。 連れ合いが福岡で、ある人たちと会う算段をしていたのを知ったからだ。その方々は、わたしが敬愛してやまない、カウンセリングにおける、こころの師たちであった。 カール・ロジャースの直弟子で、村山正治、尚子ご夫妻である。 ロジャースは資格も作

          寄り添うとはいらない力を抜くこと

          こころの漂白、半1人直感旅 in京都

          3月14日に、京都に行ってきた。 仕事ならホイホイどこへでも行くけれど、プライベートのフットワークは漬物石のように重い。超インドア派である。 だが、来年度、大きく活動が変わることに伴う、ストレスが漬物石よりも重く、「ああ、なんか旅に行きたい」という画期的衝動をもたらした。 とはいえ、どこに行っていいかもわからない。 そこへ、ふとカレンダーを観ていて目に飛び込んできた、連れの京都での仕事の予定。「そうだ、京都に行こう」と思い立ったのである。 こころの声が「キョウトへイ

          こころの漂白、半1人直感旅 in京都

          共感的理解とは、相手の風景をながめようとするもの

          兵庫の相生に月1回〜3回ほど行っている。 高校のキャンパスカウンセリングをしに行くのである。 相生市は兵庫の西の方にあり、海に面していて、以前アスファルトから生える「ど根性大根」で有名になったところである。 大好きな海を眺めることができるのも、相生に行く楽しみの1つである。 海を眺めていて回れ右をすると、当たり前だけれど、海は見えない。 そのかわりに山が見える。 もしも向かい合う相手が海を見ていて、「海がきれいやなあ」とつぶやいても、「何言ってるのん?海なんてない

          共感的理解とは、相手の風景をながめようとするもの

          みえない世界に戻る決心

          自分の大改造のため、見える世界に一歩踏み出した心理カウンセラーが、 5年の奮闘の末、 みえない世界に戻る決心をした話。 心理カウンセラーをして10年たったとき。 それは同時に生涯教育の講師をしての10年だったのだけれど、ある決心をした。 「これまでの延長線上にない、11年目を歩もう」ということ。 では、どうすればいいのか。 がつかめないままに、発進した。 最初に大きく一歩を踏み出したのは、講師業を学びに東京へ何度も足を運んだこと。 次にマインドマップというも

          みえない世界に戻る決心

          音がおしえてくれる

          鹿児島に帰省中である。 朝6時過ぎに出発し、車を連れ合いと交代で運転して、到着したのは17時20分。 車を降りると、家の横を流れる川の音が聴こえる。 「ああ、これこれ」 帰ってきたことを音が教えてくれる。 運転で疲れているはずのからだとこころに、川の音がしみて、どんどん癒やされた。 それからも、ろくに家を出ず、のんびりゆったりの時間を過ごしているのだが、 コーヒーを入れた後の出し殻を庭の木々にプレゼントするために、外に出るとやはり川が流れる音が出迎えてくれる。

          音がおしえてくれる

          共感とはありがたき悟りなり

          黒猫だ。冬日の当たるアスファルトの上に座り、ふさふさとした毛をなびかせ、透き通ったブルーアイズをこちらに向けている。  確か、あの手の獣は魔女の手下だったのではないか。ということは、魔法をかけられるはず。それが無理でも、せめてこの窮状をなんとかしてくれるよう、魔女に口添えぐらいはしてくれるのではないか。猫の手も借りたいとはよく言ったものだ。その黒い手をどうか私に貸しておくれ。  柔彦は、懇願の眼差しを黒猫に向けた。猫は無言である。当たり前か。  あほらしい。一刻も争う状況で、

          共感とはありがたき悟りなり

          勇気ある「同じだね!」が人と人とをつなげるのだ

          毎年、夏に帰省する。 今年も、新たなる祭日山の日に、無謀にも(混んでるに決まってますやんね〜)車で兵庫より鹿児島へと向かった。夫婦2人ドライバー体制である。 相次ぐ事故渋滞に、予定は遅れに遅れた。早朝7時過ぎに出発したにもかかわらず、九州上陸は16時ごろとなった。いつもより2時間ほど遅れている。 帰省シーズンにふさわしく、習志野や名古屋などのナンバーが周囲を走っている。そこへ連れ合いが、「お?姫路ナンバーやん」とつぶやく。 なるほどなるほど、われらと同じ姫路ナンバーの

          勇気ある「同じだね!」が人と人とをつなげるのだ

          偶然をただの偶然にしない

          河合隼雄という人を、こころの師としてあがめている。 どれぐらいあがめているかというと、ロジャーズ(心理業界では有名な臨床心理学者)の信奉者をロジェリアンと呼び、ユング(とっても有名な精神科医・心理学者)のそれをユンギアンと呼ぶのにならって、自らを「カワイアン」とよぶぐらいのものである。 河合先生は、世界に誇る日本の代表的な心理学者で、文化庁長官時代にも多くの功績を残された。 しかも、兵庫出身で、関西弁を駆使する、ユーモリストでもある。そこが、関西のものとしては、たまらな

          偶然をただの偶然にしない