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スレプツォフ『困難な時代』についての雑記

 19世紀の60年代はロシア文学にとっても意義深い年代である。この時代にいわゆる雑階級の作家たちが続々とデビューを果たしたのだ。ここに述べるスレプツォフ(Василий Алексеевич Слепцов)も、そうしたグループに属する作家の一人である。正確に言えば彼は貴族の生まれではあるが、貴族は貴族でも没落寸前であった(そういう意味ではネクラーソフに近い)。それ故に気分的には雑階級人に近いものがあった。
 
 岩波文庫から邦訳が出た、この『困難な時代』はスレプツォフの代表作である。舞台は農奴解放直後のとある地方。物語はニヒリストのリャザーノフが友人の地主シチェチーニンを訪問するところから始まる。この物語には劇的な筋書きというものは存在しない。強いて言うなら、シチェチーニンの妻マリヤがリャザーノフに感化され、最終的には新しい生活を夢見て夫と別れる物語である。しかし物語の大半を占めるのは、リャザーノフによる農村散歩だ。読者はリャザーノフと一緒にシチェチーニンの領地で何が行われているかを見るのである。

 この物語には典型的な人物や場面が数多く出てくる。例えばシチェチーニンは自由主義者(若い頃にベリンスキーから感銘を受けたのであろう)であり、農奴解放も好意的に受け止めている。しかし、次第に現実が理想とは全く異なっていることを知って妥協的な気分に陥り、最終的には蓄財に情熱を燃やすようになる。彼は典型的な小市民である。貴族クラブの場面は、農地の分与が実際は貴族たちの利益になるように行われていることを示しているし、地主によって一任された調停官や秘書が己の権力を振りかざして百姓たちをまるで家畜のように扱っているシーンもある。対してシチェチーニンの妻マリヤは、教育の自由(1)を求めて外国へと飛び立ち、そこで進歩的な知識を身に付けるに至った当時の女性たちを思わせる。スレプツォフはこの筋の無い小説を通して農奴解放やそれに伴う社会の変化(2)の実態を暴いているのである。

 しかし、主人公のリャザーノフは農村の出来事に関して極めて冷淡である。驚愕する事も無いし、憤激する事も無い。彼のこうした態度をマリヤは咎める。「つまりあなたは、こうしたすべての汚らわしいことがそのまま存在すべきものだ、とお考えになりますの?」。リャザーノフの無関心な態度を見れば当然頭に思い浮かぶ疑問である。実際彼は農村の現状に関して「何も特別なことはない」とさえ言っている。何となれば、それらは単なる結果だからである。「すべては、人間が置かれている條件によるのですよ。ある條件のもとでは、人間は身近かな者を壓殺し掠奪するでしょうし、別の條件のもとでは、彼は自分の最後の肌着すらも脱いでくれてやるでしょう。眼に見える結果は、その原因がわかっておれば、いつだって當然で自然です」。それ故に結果に一々驚いたり失望したりする必要は全くないのである。彼の無関心さの由来はここにある。「問題は、結果にあるのではありません」。結果を変えたいならば、その前に條件を変えなければならない。「残されているのは、新しい生活を考え出し、創造することです。そうしない限りは……」。しかし、これ以上をリャザーノフは言うことが出来ない。彼は失敗した社会活動家(それは物語において示唆されている)として懐疑に蝕まれているからである。リャザーノフはニヒリストの典型であり、それもバザーロフよりも更に踏み込んだ形で描かれていると言える。

 帝政ロシアの検閲制度は非常に苛烈なものであった。真正面から文章で社会批判を行うのは危険なことであった。そんなことをすればラヂーシチェフやチャアダーエフ(3)のようになるかもしれない。それ故に人々は小説や文芸批評の形で遠回しに批判を行う術を身につけていった。サルトゥイコフ=シチェドリンの作品はその最たる物であろう。スレプツォフの『困難な時代』もそうした作品の一つであり、それ故に暗喩や目配せがとても多い(リャザーノフの歯切れの悪さも部分的にはこうした事情に由来すると言えるだろう)。社会批判はロシア文学の一つの特質である。そういう意味において『困難な時代』は「典型的な」ロシア文学の作品なのだ。


(1)当時のロシアでは大学教育が大いに制限されており、特に女子は自由に勉強することも困難であった。自由に勉強するためには外国(スイス等)の大学に行く必要があり、そのためにはまず家庭から抜け出す必要があったので、友人たちと示し合わせて偽装結婚する例も存在した。有名な数学者のコワレフスカヤもそうである。リャザーノフはシチェチーニンに対して、「君が彼女(マリヤのこと)を家から救い出し、僕が彼女を君から解放した」というようなことを語っているが、この言葉は当時の事情を反映していると言える。

(2)興味深いのは商人ラーコフの存在である。彼は貴族たちと同じ席について食事をしている。貴族たちのラーコフに対する当たりは強いが、この力関係がすぐに逆転することは周知の通りである。「俺たちに金がないっていうのか?お前さんがたをみんな買取って、売拂って、また買戻してやらあ」とラーコフは酔って喚くが、この言葉の中には貴族より影響力を持つブルジョアジーの出現が仄めかされている。

(3)前者はシベリアに流され、後者は公的に狂人の宣告を受けた。

  

 


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