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ピーセムスキー『老の罪』(世界文学社)

ロシア文学に興味を持ち色々と読み進めていく人間がいつかは出会うであろう名前に「ピーセムスキー」がある。彼については、例えばクロポトキンの『ロシア文学における理想と現実』においては民衆作家の一人として取り上げられているし、ドブロリューボフやサルトゥイコフ=シチェドリン、チェーホフの著作にもその名前が出てくる。彼のことを知った人間の何人かはこう思うかもしれない。

「果たして彼の著作の邦訳は存在するのか?」

実際に古本サイトなどで検索してみると、たった一件だけヒットするのである。『老の罪』/ピーセムスキー と。これはあのピーセムスキーなのか?検索しても内容については何も分からない。ピーセムスキーに『老の罪』という作品が本当に存在するのか?

「買おうかな?でも本当にピーセムスキーなのかな?情報が全く無いし…」

結論から言えば、正真正銘ピーセムスキーの著作の邦訳である。しかも唯一の、である。何ゆえこの中編が選ばれたのかは分からないが、日本語で読める唯一のピーセムスキーであることは間違いない。だからみんな安心して買って欲しい。そのためにここに載せたのだから。

最後に、「ピーセムスキーってどんな人?」という人の為に簡単に紹介して終わります。彼があまり紹介されない理由もわかると思います。

アレクセイ・フェオフィラクトヴィチ・ピーセムスキーは1820年、地方地主の息子として生まれる。モスクワ大学卒業後は官吏の道を進み、同時に作家としても活動を始める。ゴーゴリの影響大きく、官僚や地主の腐敗した生活を余すことなく書いたため当時の左派の批評家たちから賞賛を受けるが、彼自身は左派の考えに共鳴していたわけではなく、むしろ地主側の人間として農奴解放をはじめとする新らしい思潮に馴染まず、『荒れ狂う海』では嘲笑を浴びせかけた。それに呼応して、民主的陣営の作家たちと激しい論争を繰り広げるようになり、特にクーロチキン主催の『イスクラ』(レーニンの同名の雑誌とは無関係)とは大々的な敵対関係に陥った。これによって彼の人気は落ちてしまった(クロポトキン曰く「並々ならぬ才能が死んだ」)。しかし、後にシチェドリンの『祖国雑記』(左派の雑誌である)に合流していることからもわかる様に、彼はより冷静になって当時の運動を見つめ直していたりもする。1881年死去。

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