怠け者

 恐らく多くの人間が思い当たる節があると思うが、何か努力している時、又はそのような他人を見かけた時、「何を無駄なことをしているのやら。どうせ死んじまうんだし、死んだら死んだで何も残りやしないんだから」と考えたりはしないだろうか。私はある、大いにある。しかもより悪いことに、こうした考え方であらゆる社会的事業を眺める始末である。

 チェーホフの中編に『ともしび』という作品がある。この作品に出てくる中年の鉄道技師はまさに上のような思想(果たしてこれを思想と呼んでいいかは分からないが)を問題にし、自分自身そんな思想にかぶれた時期があったことを認めつつも次のように断罪する。「私らの不幸はね、まさにこの終局から思索しはじめるという点にあるんだ。正常な人間が終わるべきところから、われわれは出発する。脳が独立の働きをはじめるか、はじめないうちに、われわれはそもそもの初っぱなから、最高かつ窮極の段階にのぼってしまって、それより下の段階のことなぞ知ろうともしないんだからね」と。これは楽な考えであり、何より慰みである。何をしようが無意味、全ては虚しい。そうであるなら最初から何もする必要がない。世に蔓延る慰めの哲学の全てがここにある。「思索する人間がこの段階に到達すれば、それでストップ、さ!その先は行くところがないもの。正常な思考の働きはここで終わりをまっとうするんだよ、それが当然でもあるし、ものの順序というものさ」。あらゆる段階をすっ飛ばすのだから、アレコレ深く考える必要は皆無である。これは怠け者の思想に他ならない。
 
 私自身オブローモフも真っ青の怠け者である。だからこそ、こんな下らない考えで己を慰め、しかもそれを他人にまで押し付けようとしている。ここには何か巡礼者めいたものがある。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?