拝啓、社畜のわたしへ(過去の自分に書いた手紙を読み返す)


それにしても。うつ日記を活字化する作業は予想以上につまらない!

そんなコツコツ作業が毎日できるようになったら、ハロワ行きます。
そこで今日は「おっ、なかなかいいことかいてるじゃ~ん」と自画自賛してしまった過去の自分宛てに書いた手紙を掘り起こしました。


これは今から3年程前、休職から1年半を過ぎた頃に書いたものです。
まだ治らないのか、いつから働けるんだ、毎日なにやってるんだ、等々
勝手な外野の声に嫌気がさし、今後を考え悶々としていた時期でした。
前に進まなくて悶々とした時、よく現在と過去を比較していました。
そうすることで多少なりとも進歩していると思いたかったのでしょう。


2年前のわたしへ

今頃、やってもやってもちっとも進まない仕事とまっすぐ帰宅できない毎日に、酒と学業に逃げていましたね。なにを思って、というか何も思えない日々にどう暮らしていたのかあまり覚えていません。
何を食べるかなどどうでもよかったし何かがおいしかったというのもありませんでした。あの頃飲んでいた酒はどういう味だったのでしょうか。
覚えていない、というか最初から記憶に刻まれてなかったかもしれません。
体は疲れたままで、やることだけはたくさんあって、やってもやっても終わらなくて、そんな感じでした。

今の私は何からも逃げていません。お米がおいしいと感じるようになり、
食卓のドリンクはコーラになりました。手作りの料理はおいしいです。
風呂に入るのが心地よく、毎日を迎えるのが幸せだと思います。
風邪はひかなくなったし、めまいに悩まされることもなくなりました。

もちろんいいことづくめではありません。社会的には死にました。
もう技術職をやるのは無理でしょう。ということはこれまでのキャリアは
皆無です。ということはもう手職では稼げないでしょう。
じゃあこれからどうやって生計を立てるのかは現実問題です。
もう100%頑張ることはできなくなりました。MAX80%で、70~60%で暮らすことになります。時間をフルに使って生きていくことはもうできません。できることをやってくしかありません。

耳鳴りはずっと続いているので遠出は今後も厳しいでしょう。
並行してなにかを行うことは難しいですし、疲れると動けなくなるのは今後も注意が必要です。
でも、これを書いていても嘆きではないです。
もちろん職場の管理に過失があったことは事実ですが、結局は潮時でした。過去は過去、責める気はありません。責めても何も変わらないのですから。あとは自己責任なのだと思います。自分の事は自分で責任を持つだけです。
労働者である前にひとりの人間として生きる権利を保持するだけです。
社会的には死にましたが、人としては生き返りました。
生きることの権利を手放さず、価値が見えました。

2年前のわたしが大切なものは何でしたか?
きっとそんなこと考えていなかったと思いますが・・・
私が今大切なものは「今」です。迷わずはっきり言えるでしょう。
いつからか見えないものから逃げてきた私を追っていたのは、自分でした。もう逃げることがなくなった私は、手放したものはたくさんあるけど、もう走らずに歩いていいのだと思うと、とても落ち着いた気分で過ごせるのです。たぶんこれが幸せということなのだと思います。


わーこっぱずかし~い!!なんと幸福論まで語ってるじゃないですか、、、

自分を労うのが目的ですから、過去の自分に見栄張ったんだと思います。
私とはそういう人間なのですよ、、、


学業というワードが出てきますが、当時は通信制大学の学生でした。

キッカケは学歴コンプレックスの克服でしたが、たまたま選択したコースが産業関係の心理学。偶然とはいえ、まさか自分が当事者になるとは。
それまで労働法もロクに知らず言われるがままに働いてきたので、こうして知識をつけることでずいぶん救われ、少し自分を守れるようになりました。

そんなワケで自己責任だの権利だのと、もっともらしい偉そうなこと言っていますが、実際は今でも「怒りのマグマ」なんて書いてますけど、、、


また、耳鳴りがあるので今後も遠出は厳しい、などと書いていましたが、
昨年末、当時は存在さえも知らなかった推しに会いに行きました!
空路を利用した遠出でしたが、なんの問題もなく楽しい時を過ごしました。


最後に過去のわたしへ贈ります!
「推しは尊い」


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