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中編小説「押忍」(53)

「美人だったよなあ」「俺たちのオカンとは、全然違ってた」
 彼らがその後三度、今度は前もって約束して僕の家を訪ね、そこで夕食の時を共有していたこと、母さんは最後まで話してくれませんでしたね。彼らが腫れ物に触れるように僕と接していたのと同様に、あの頃は母さんも僕の自尊心を扱いあぐねていたのでしょう。
 時を戻せるならば、一度だけでもその食事会に参加したかった。
 同級生たちが母さんの料理を褒め、母さんの物腰に溜息をつくのを、隣で眺めてみたかった。この人が俺の母親だ、とエラそうに言ってみたかった。
 
―話題は常にムラタくんのことだったよ。
「最近のタクミはどう?お母さんのその言葉が、食事の始まりの合図となっていたな。まあでもムラタくんについて気軽に語れるような俺たちじゃなかったし、ええ相変わらず強かったですとか、結構名の売れたどこそこ中の奴も一発でシメてくれましたとか、そんな話しかできなかった。お母さん、あまり嬉しそうじゃなかった」
「当たり前だろ。嘘でもいいから、横断歩道で婆さんの荷物持って歩いていましたとか言ってくれなかったのかよ」
「俺たちがそんな即妙の受け答えできるかよ。ただタクミはみんなに優しくしてる?って、それは毎回尋ねられたから」
「尋ねられたから、どう答えたんだ?」質問する僕の声は、少し上ずっていたかも知れません。
「ありのままに。ムラタくんは確かに話しやすい奴ではないけれど、いつも俺たちを助けてくれるし、自分から喧嘩を売ることもしない。みんなムラタくんのこと嫌いじゃありません、と。それは本当に俺たち全員の共通認識だったから、横断歩道で婆さん云々と答えるよりはずっと楽だったよ」
「そうか」そしてもう一度、心の中でつぶやきました―そうか。
「ありがとう」
 母さんが生きている間にそれを伝えてくれて、本当にありがとう、と心から僕は友人たちに感謝しました。
 
 一教科を除けば相変わらず崩壊間近な僕の学業成績ではありましたが、それでも彼らの求める僕なりの水準を維持し続けた見返りとして、師範及び叔父と新たに取り決めた三者間契約―夏休み期間はずっと道場で寝泊まりしても良い―に基づき、僕は毎日フルタイムで師範を手伝い、その報酬として三度の食事を確保し、小学生には優しく同級生には厳しく指導し、夜は極北館の海外道場生とチャットで繋がり、英会話を兼ねた技術交流を続け、中学生活最後の夏を過ごしていました。
 医学生の孝子さんが道場に顔を出すことはその頃には殆どなくなり、連絡も途絶えていたけれど、そんなことを気にする余裕もないほど、毎日が充実していました。
 
 盆前には、今度は加藤が横浜に来て、三日間を岡本道場で過ごしていきました。
 ゴールデンウィークに見せつけられた圧倒的な技量差をどれだけ埋められるか、そんな自分自身への期待は初日にもろくも崩れ去りました。

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