生魚 猫助

こんにちは。ペンネームからもお分かりのように、猫好きのおじさんです。SNSはよく分から…

生魚 猫助

こんにちは。ペンネームからもお分かりのように、猫好きのおじさんです。SNSはよく分からないので一切やってません。若い時はキックボクシングジム、現在の趣味は薪割りです。宜しくお願いします。

最近の記事

中編小説「押忍」(74/最終回)

「タクミ、みんなオマエの応援に来てくれた。ちゃんと礼を言って、横浜を離れることと空手をやめること、ちょうどいい機会じゃねえか、ここで自分の口から伝えろ」  病室の空気が揺れました。そっと目を交わすベテラン会員は既にそれとなく気付いていたのでしょう。一番離れたところに立っていた孝子さんが、胸の前で小さく拍手してくれるのが見えました。 「え、ムラタ先輩やめるの?」 「聞いてねえよ」  ケンシロウが詰め寄るように顔を近づけてきました。「横浜を離れるってどういうことよ」  僕はベッド

    • 中編小説「押忍」(73)

       年下に病院送りにされたことは屈辱でしたが、相手も同じように鼻骨骨折で同じ病院に入院中と知り、そして僕は明日には骨の位置を戻して固定すれば退院できるものの、マサキはもう二、三日加療を要すると聞き、溜飲を下げました。  試合でも喧嘩も、俺の勝ち。  見舞いに来た加藤の首からは、新極北館全日本大会中学生軽量部の優勝メダルがこれ見よがしにぶら下がっていました。 「今日のムラタが相手だったら、俺は負けてたと思う」  そして僕の肩に置かれた奴の手。捻挫した指が数本、紫色に腫れ上がり、甲

      • 中編小説「押忍」(72)

         整同館の有望株は真っすぐ近づいて来て、意地のようにパンチと蹴りの雨を降らせてきましたが、長年この体で受け続けてきた岡本師範の突き蹴りに比べれば、それは蚊に刺された程度のものでした。  僕はコンビネーションもかなぐり捨て、フットワークもかなぐり捨て、ひたすら下段蹴りと胸板への突きを止めることなく出し続けました。  おい二宮、加藤、オマエらも上等だよ。  極北空手は相撲空手かよ、押し合うだけの低技術の空手かよ。  俺はその空手を、七年間修業してきたんだよ。  母さんが働いて払っ

        • 中編小説「押忍」(71)

           整同館特有の間合いより更に遠い、約二メートル半の距離。僕が近づこうとすると相手の前蹴りがそれを阻止し、床を踏み鳴らして挑発してみても、彼は一切それに乗ってこようとはせず、三十秒前の愚を繰り返すことはありませんでした。  打つ手なし。それでも距離を詰めようと僕は前進を繰り返しました。  目の前の男が左斜めに飛び、そのコンマ数秒後、顔の前をマサキの右足が高速で通り過ぎていきました。場内がどよめきに包まれました。  所詮空手家は空手家です。負けず嫌いという粘土で人形を作り、神様が

        中編小説「押忍」(74/最終回)

          中編小説「押忍」(70)

          「何でここにいるんだよ」 「たまたま通りかかってよ」  プロボクサーを目指し、二年前より明らかに体の厚みが増した男は、にやけた笑みを浮かべながら僕の肩に腕を回してきました。 「この程度の男に気絶させられたのかと思うと、三年前にタイムスリップして自分を叱りつけてやりてえよ」 「何だオマエ?今ここであの時の続きをやってやろうか?」  迫田は大笑いしながら僕の肩をそのまま二度、軽く叩きました。 「ムラタ、それそれ。その目だよ、オマエの本性は。きれいな組手でカッコつけてる場合じゃねえ

          中編小説「押忍」(70)

          中編小説「押忍」(69)

           新郎の幼少時代からの写真紹介に続いて、新婦のスライド。  生まれた時の孝子さん、幼稚園の頃の彼女、小学校に上がった頃の彼女。  辛い毎日だったという中学時代の写真は一枚もなく、高校時代の数枚のスライドも、彼女の笑顔を伝えるものはありませんでした。  大学時代になってようやく、画面の孝子さんから寛いだ表情が出てくるようになってきました。  そこで音楽が変わりました。  熊木杏里の「誕生日」。  二人で宮島に行ったとき、フェリー乗り場で流れていた曲。 ―素敵な歌だな ―関西や広

          中編小説「押忍」(69)

          中編小説「押忍」(68)

           やがて拍手の中入場してきた孝子さんは、純白のドレスが道着と同じくらい似合っていました。加奈さんの咽び声が更に店内に響き渡りました。  式が始まり、新婦の担当教授のスピーチが、孝子さんの日常を教えてくれました。癌病棟では常に患者の目線に合わせて話しかけていること、すい臓がんの早期発見のため膵管拡張と膵嚢胞の存在をいち早くキャッチする超音波技術向上を目指してフィールドワークを重ねていること、化学療法によって損なわれがちな女性の癌患者の尊厳を回復するための精神的ケアの確立を模索し

          中編小説「押忍」(68)

          中編小説「押忍」(67)

           冬休みに入り、加藤から電話がありました。「またこっちに出稽古来いへんか?」  どこまで空手好きなんだ、こいつは、と僕は苦笑を禁じ得ませんでした。 「いや、そろそろ本番も近づいてきた。手の内はもう見せねえ。それにこの冬はさすがに家でどっぷりと受験勉強だよ」 「そうか、オマエ受験生やったな」 「一応教えておいてやるけど、オマエも以下同文なんだよ」 「わはは。自分の名前を漢字で練習しとくわ」 「受験が終わったら、溜めに溜めたストレスをオマエにぶつけてやるよ」 「返り討ちにしたるわ

          中編小説「押忍」(67)

          中編小説「押忍」(66)

           苦しかった広島での中学時代。故郷には二度と帰るつもりもなかったのに、あなたたちにカッコいい親子関係を見せてもらったお蔭で、私も父母が懐かしくなって、前回の冬休みには上京後初めて帰省しました。喜んで私を迎え入れてくれた両親の姿に安堵し、私は一体何に悩んでいたのだろう、と拍子抜けする思いもありました。ちょうどその帰省中にあなたが電話をかけてきてくれて、わざわざ宮島まで来てくれたことは、神様の粋な差配だったのでしょうね。これからも正月ごとに帰省するつもりです。その点でも私は巧くん

          中編小説「押忍」(66)

          中編小説「押忍」(65)

           孝子ちゃんがこの後も返事を保留し続けたとして、たとえば三年後、彼はそれでもまだあなたに求婚していると思う?と香さんはまず聞いてきました。分かりませんと私は答えました。次に香さんはこう尋ねてきました。もし彼が三年経ってもプロポーズし続けてくれていたとするなら、未来のあなたはそれをうとましく感じてそう?それとも嬉しく思ってそう?両方の気持ちがあるというなら、どちらの方が大きい?  私は特に迷うことなく答えました。嬉しい気持ちかな。  そうしたらね、香さんはこう言ってくれた。  

          中編小説「押忍」(65)

          中編小説「押忍」(64)

           二学期が始まり、夏休みの間寝泊まりしていた関内の道場を離れて川崎の叔父宅に戻っても、僕は月曜から木曜は勉学最優先としつつ、朝は十キロ走り、夕方は一時間だけ近くの寺への長い階段を駆け上り、境内でシャドーボクシングを行い、樫の木の枝で懸垂腹筋を繰り返すひとときを設けました。気乗りしない時は、大阪の整同館本部道場で加藤に殴られ続けた記憶を呼び覚まし、ジャージに着替えて外に出ました。  紅葉深まる頃、孝子さんから長い手紙が届きました。その端正な字を目で追いながら、メールでもラインで

          中編小説「押忍」(64)

          中編小説「押忍」(63)

           よし、と僕は勢いをつけて立ち上がりました。 「ケンシロウ、よく決心した。俺も応援する」 「うん」 「道場での返事は押忍だ」 「押忍」 「白帯の試合は防具着用だけど、直接どつき合うことに違いはない。勝ちにいく以上、それ相応の稽古はしてくれ。オマエは今からただの練習生じゃねえ、岡本道場の看板背負った選手の一人だ。とりあえず夏休みの残りは毎日道場に来てもらう」 「押忍」 「よし、じゃあ防具つけろ。スパーリングを始める」 「いきなり?」 「嫌ならやめてもいい。そのまま俺は充分に準備

          中編小説「押忍」(63)

          中編小説「押忍」(62)

          「そうできれば俺も楽だったけどな。事あるごとに俺は諦めませんよと繰り返して。スナックで俺がキープしてるボトルには、『日本最強のストーカー』と加奈さんに毎回書かれてた。しまいには香さん目当てだったはずの土曜夜の常連メンバーどもも、みんなで俺を応援し始めた」  師範はそこで笑い、僕も無理してー本当に無理してー笑顔を見せました。笑う理由なんてどこにもなかったのに。 「最後はもう妥協案だよ。タクミの子育てが終わったら俺とお試し同居しましょうと。その時には私もうお婆さんよと言われる度、

          中編小説「押忍」(62)

          中編小説「押忍」(61)

           新横浜駅から関内駅まで地下鉄で移動し、道中のコンビニで飲み物とつまみを買い、八月の湿った浜風に吹かれながら、僕らは道場に着きました。どれほど瀟洒な内装にリノベートしようが、無人の道場には汗と生乾きの道着の匂いが宿命的に充満していました。七年に渡って嗅ぎ続け、僕の皮膚にもきっと染み付いている匂い。  僕らはサンドバッグの横に座り、互いのコップに互いの飲むべきものを注ぎ、そこで師範は前置きなく口を開きました。俺ならタクミの父親になれると言ったんだ。 「―いつ」 「オマエの中学入

          中編小説「押忍」(61)

          中編小説「押忍」(60)

          「DVDをざっと手に取りながらな、こっちは直接攻撃を当ててはいけない空手で一般には伝統空手または寸止め空手と呼ばれております、こちらは我々極北館が始めた打撃を相手に直接当てて戦う空手で俗にフルコンタクト空手と言います、なんて愚直に説明し続けましたよ、俺も。惚れた女がきっちり二十センチの距離を空けて膝揃えて座っているのを横目にな。自分は今この広い地球で一番徳を積んでいる男だとしみじみ思いながら」  その光景を想像し、口元が緩むのをどうしても止められませんでした。ジェントルゴリラ

          中編小説「押忍」(60)

          中編小説「押忍」(59)

          「冗談に聞こえませんよ、それ。母への最初の告白はどんな風に?」 「オマエが入門した日の週末、スナックに行って、香さんの前に群がる野郎どもを掻き分けて前に座ったら、岡本先生今後ともタクミを宜しくお願いしますと可愛く頭なんか下げてくるもんだから、惚れてしまったようです、と」 「どこまでが本当の話ですか」 「全部だよ」 「母の前に群がる男ってのは」 「あの人目当てであのスナックに土曜ごと通ってたオヤジが何人いたと思ってんだ。俺が月イチしか行かなかったのも、それが理由よ。この見てくれ

          中編小説「押忍」(59)