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中編小説「押忍」(69)

 新郎の幼少時代からの写真紹介に続いて、新婦のスライド。
 生まれた時の孝子さん、幼稚園の頃の彼女、小学校に上がった頃の彼女。
 辛い毎日だったという中学時代の写真は一枚もなく、高校時代の数枚のスライドも、彼女の笑顔を伝えるものはありませんでした。
 大学時代になってようやく、画面の孝子さんから寛いだ表情が出てくるようになってきました。
 そこで音楽が変わりました。
 熊木杏里の「誕生日」。
 二人で宮島に行ったとき、フェリー乗り場で流れていた曲。
―素敵な歌だな
―関西や広島じゃ有名だよ。赤ちゃん紹介の番組で使われているからね
 研修中の彼女。患者と一緒にカメラに微笑む彼女。道場で型を練習中の彼女。ひとりの人間が自分の人生を自分の努力で切り拓いていく過程が、それらの写真にはありました。
 最後から二枚目のスライド。
 孝子さんは満面の笑みを浮かべてこちらに二十一歳の顔を向けていました。
 彼女だけではありません。
 今より一歳若い加奈さんも白い歯を見せていました。
 母さんの一度目の退院後、二人が毎日のように母さんの面倒を見てくれていた時期、僕が学校に行っている間に撮ったものなのでしょう。
 ニット帽を被り、頬がこけた土色の顔だったにも関わらず、母さんの横一杯に広がった唇も、本当に幸せそうでした。
 窓ガラスの向こう、灰色のビルの眺めは、とてもとても懐かしい、伊勢佐木町の風景でした。
 そして最後の写真。
 厳島神社を眼下に納める、宮島の大木。
 母さんが死の間際、今一番行きたいところだと僕に言ってくれた、夕暮れを過ぎて観光客も絶え、静寂を取り戻した、その島。
 その木の下に、僕らは母さんの骨を埋めたのです。
 一体これは何のスナップなのか、そんなざわめきが小さなフランス料理屋の中を木霊していたその時、僕はスクリーンから視線を外すことができませんでした。
 スライドが終わり、黒い画面に浮かんだ白い文字。
ー香さん。あなたに会えてよかった。ありがとう 孝子
 
 加藤は正反対のブロックに属していました。
「タクミ、あいつだけに気を取られるな。順当に行けば準決勝も、相手は整同館の奴だ」
 これが最後と決めた、地元で迎える全日本大会の初戦。
 二年ぶりの参加、緊張からか体が重く、思うように動けませんでした。幸いにも相手も同じような状態だったと見え、開始十秒で自分から前に出ることをやめた僕は、体が温まるのを待ちながらカウンター主体の組手に切り替えました。いくつかの攻撃に手応えは感じましたが、自分から仕掛けないスタイルは極北空手の好むところではなく、本戦終了後は引き分けで延長、も覚悟していました。
 五人の審判のうち四人の旗が僕に上がったのは、実力差以上にかつての同級生たちのやかましいくらいの声援が審判の判断を惑わしてくれたから、と考えるべきでした。
「おいムラタ、何しょっぱい試合やってんだよ」
 試合用のマットを下りると、そこには迫田がいました。中学入学の日、僕を体育館裏に呼びつけた、当時のボス猿。ジュンやオランゲ、そして奴らが連れてきた僕のかつての同級生たちとの様子を見ると、彼らのヤンキーネットワークは健在のようでした。

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