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中編小説「押忍」(52)

 次の日曜日、同級生三人が前触れなく道場にやってきました。
「二年前に一回で逃げた連中だよな、オマエら」
 意地悪く笑う腹黒ゴリラに、彼らは答えました。
「ちょっと道に迷ってしまって。入会金、持ってきました」
「受験生がこんなとこで殴り合ってる場合じゃねえだろ」
「たまに息抜きは必要です。勉強だけじゃ煮詰まりますし」
「オマエらのツラ見る限りじゃ、煮詰まるほど勉強してるようには見えねえけどな」
 そんな風にして僕は十五歳になって、ようやく友人ができました。十五年かかって。
 そしてその日の練習後、七日前と同じメンツ、同じ場所で囲んだ晩飯の席で、初めて母さんと彼らが育んでいた奇妙な会合について聞きました。
母さん、僕は本当に、これっぽっちも知らなかったよ。
 
「道場でムラタくんにつけられたアザがようやくひきはじめたことを覚えてるから、あれは中一の秋ごろだよ。黄金町のゲーセンでいつも通り他中の奴らと揉めて、いつも通りやられて、いつも通り逃げて。でもその時は追手もしつこくてよ。空手の練習時間だってことは分かってたけど、万一の可能性に賭けて、ムラタくんの家に逃げ込んだんだ。チャイムを鳴らしたらお母さんが出て来て。俺たちも驚いたし、間違えましたすいません、て帰ろうとしたんだよな。でも―」
 
「タクミのお友達?」
 母さんは去っていこうとする彼らの背中に、そう声をかけたんだってね。
「ちょうど良かったわ。上がっていきなさい」
 母さんは有無を言わさず彼らを招き入れ、ちょっと作り過ぎたから、と言いながらオデンを振る舞ったそうですね。
「あのオデンはめちゃくちゃ美味かった」
 ジュンが窓の外を眺めながら、同じ言葉を二度繰り返しました。
「俺、食事はいつもコンビニ弁当だったから、こんな晩飯もあるんだ、てガラにもなく感動してさ」
 二年前、ジュンが仲間うちに話していた自身の家庭環境を、僕も横で少しだけ聞いたことがありました。アイツが十七で俺を産んだ時、相手の男は既に消えていた、もっと早く気付いてたらアンタなんてこの世にいなかった、と百回以上は聞かされながら育った。
「子供がいるから男と続かねえ、人生を邪魔されてばかりだ、と電話で誰かに話しているのを、ガキの頃に聞いた。まあアイツは俺の名前もそのうち忘れるよ」
 他に行き場所のない彼にとって、それは本当に贅沢な時間だったのでしょうね。
 当時、僕は母さんとあまり会話がありませんでした。別にこれといった親子ゲンカをしていた訳でもなく、たまたま僕がそういう時期でした。母さんはだから、同級生たちから僕のことを知ろうとしていたんですね。学校生活は毎日楽しいのか、寂しい思いはしていないか。
 葬儀の席でジュンが号泣していた理由が、その時ようやく分かりましたが、互いにその話題は避けました。思い出したいことだけを思い出せばいいのが、昔話の優れた点です。

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