好きな曲。

今回は好きな曲についてツラツラ語ろうと思う。

まずはビーバーに出会ってハマった初めの曲。
「your song」
この曲好きな人、自己紹介カードで書いてる人結構いて嬉しかったな。
当時私は今振り返ってもほんとに自己肯定感も低く、自分が誰かの特別になりたくて仕方なかった。それは恋愛においても私生活においてもそうで。
自分の気持ちはあれどそれを主張する時に自分を上手く持ち上げられなくて自分が苦手な人や嫌いな人を棚に上げて主張する事が多かった。自分だって同じようなことしてるのに。
それが良くないと解ってても上手く自分を持ち上げながら伝えるってなんか恥ずかしいとか怖いとか、相手の事を考えてますよって話すのは偽善者のように感じて。
そんな自分を変えた曲といっても過言ではない。
相手の立場に立って考えて、主体は相手なのにそうしている自分をなぜか肯定できなかった自分。
なんだそんなもんか、
そう言われるのが怖かったりしたんだって気付いて、それでも伝えたい気持ち、言葉にならないもどかしさ、そういうものがあっていいものだと気付かされたというか。矛盾を感じてしまっていても、沢山考えて考えて、想いを伝える事を出来るようになったのはこの曲を聴いてからのように思う。
大切な人、大切なもの、色々考えて考えて、行き着く先には、ただ大切にしたいという気持ちがあればそれでいいのかもしれないと思った。

もう一曲は先日、私の中でのビーバーの応援歌はダントツと呟いた
「うるさい」
上でも語ったように私は自分の本音とか思いとかそういうものを隠す事が対人関係において最善と思っていた時期がある。
結構長い間そうだった。
これを言ったら引かれるかもしれないとか反感を買うかも、寂しいけど寂しいと言ったら迷惑かも、会いたいけど向こうは会いたくないかもしれない。とか。
我慢して耐えて大切にしていたはずなのに捨てられる離れていく、そういう事が多かった。
本当は私はそんなんじゃないってレッテルとか。
苦しい気持ちを吐き出せないから攻撃したりもした。
なんか違うなと思っていても前ならえをしたり。
そんな事をしていて自分を好きになれるはずも無いのにその時は必死で気づけなかった。
この曲が自分の中に落とし込まれてから漸く自分の周りが自己犠牲の上に成り立っているものだと気付いて虚しくなった。
自分を犠牲にして諦めたり苦しんだりすることを納得できないって言ってくれる人なんて居なかったからそれが自分が上手く生きる術だと思っていた。割と最近まで恋愛においては特にそうだった。
だけどこの曲を受け取って自分に素直に徐々になっていって残った友人は人数は少なくても私にとってかけがえのない存在だし、恋愛において全て素直に吐露して受け入れてくれる今の恋人は過去前例にないくらいに愛しい存在。
だからこの曲を聞く度に私は応援してもらえている気持ちになる。背中をバシッと叩いてくれるというより、そういう自己犠牲してしまったりする自分を認めて手を引いてくれているような。前を歩いてくれているというよりも隣で支えながら歩いてくれているようなそんな曲だと私は感じている。

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