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駱駝革命は私の中でも革命だった

武道館、あの時はまだSUPERBEAVER?wって小馬鹿にされることも多かった。あのころとは違う、満を持して凱旋じゃなく、ツアーの中でしかも3days、満員御礼。たまアリも3年前はコロナ禍で半分しか入れなくて声出しも出来なくて。それでもこんな広いところでできるなんて凄いとは思ってた。でも同時に悔しい気持ちもあった。 わたしならこのアリーナをライブハウスに出来んのに。って。 幸せのために生きているだけさを始め、アルバム曲も全て敢えて聞かず現場で初めて1から新曲を聞くってのをし

    • 初武道館の話

      初武道館が発表された日のことを今でも鮮明に覚えてる。 ZEPPTokyo、本編が終わってアンコール。まだこの頃は出てくる?来ない?なんか告知ある?ない?ってドキドキしながら。 流れ出した映像、徐々にざわめく周り、何処なのか解った瞬間に自然と涙が溢れてきて、周りでは泣く声、歓声、拍手、指笛。 まさかワンマンで、聖地、武道館。 メンバーが再度出てきた時、おめでとうの声が止まなかった。拍手も。 あの時、あの場で同じ感激を味わえた人達と、正直明日からの武道館で少しでいいから分かち合い

      • ビーバーとわたし3 27LIVE

        前回に引き続き、 私の記憶を掘り起こしているものなので現実との差異は必ずあるだろうという事を頭に入れておいてほしい。美化されてる部分、都合のいいように記憶している事はおそらく多いと思う。 サイン会の後DVDを何度も何度も観て27も繰り返し繰り返し聞いて自分の中にどんどんビーバーの存在が染み付いていくのを感じながら身体の違和感に気付く。 家から駅の間5分の道のり、1階分の階段を上がる、それだけで息切れと動悸がするようになっていて。入院したから体力が落ちているだけと思っていた。

        • 好きな曲。

          今回は好きな曲についてツラツラ語ろうと思う。 まずはビーバーに出会ってハマった初めの曲。 「your song」 この曲好きな人、自己紹介カードで書いてる人結構いて嬉しかったな。 当時私は今振り返ってもほんとに自己肯定感も低く、自分が誰かの特別になりたくて仕方なかった。それは恋愛においても私生活においてもそうで。 自分の気持ちはあれどそれを主張する時に自分を上手く持ち上げられなくて自分が苦手な人や嫌いな人を棚に上げて主張する事が多かった。自分だって同じようなことしてるのに。

        駱駝革命は私の中でも革命だった

          ビーバーとわたし 2

          前回に引き続き、 私の記憶を掘り起こしているものなので現実との差異は必ずあるだろうという事を頭に入れておいてほしい。美化されてる部分、都合のいいように記憶している事はおそらく多いと思う。そして前回よりも私自身の話も多くなるのでそこんとこはサラッとでも読んでください。 今回はサイン会の話。 彼らが生き甲斐だと思った後、「愛する」を購入。既に落としてあったので盤をただ買ったというだけなんだけど何となく満たされた気分になった気がする。 それからビーバーを聴く時間も増え、3ヶ月連

          ビーバーとわたし 2

          わたしのこと。

          有難くも人様の目に触れる事が多くなったなぁと思うので意思表示をしておきます。 ライブは年一行く程度の期間も長かったしフェスは行かないしワンマンじゃないならいいやァ…って、対バンも行ったことありません。 現場至上主義の彼らをまさに現場を追い掛けまくって参戦してる人には到底頭も上がらないし、好きになって間もないあなたでもDVD全部観たとか、たまに見かけるけどさ、凄いよ。 私DVDは3本しか持ってないし、遠征もした事ない。 コンテンツ全ては見てないしなんなら見てないblogとか動

          わたしのこと。

          ビーバーとわたし

          部屋とYシャツと私みたいなタイトルにしたかったんだけどしょーもないのでやめました。 出逢いの話に入る前に前置きとして。 当たり前だけど私の記憶を掘り起こしているものなので現実との差異は必ずあるだろうという事を頭に入れておいてほしい。美化されてる部分、都合のいいように記憶している事はおそらく多いと思う。多分。 そしてもうひとつ。 歴が長い事は自慢にはならないけど、ずっと彼らは私の自慢なんです!と叫び続けても中々聞き入れて貰えなかった期間が長かったので、こんな事があったんだよ

          ビーバーとわたし